第50話 深夜の密会

 

 空の青が朱に変わり始める頃、ロミ村南の森の街道を、一台の馬車がトコトコと北に向けて走っていた。


「あんたらに頼んでよかったよ。化け物は一掃してもらえたし、その原因も潰してくれた。これでうちの村は孤立せずに済む」


「そこはシノに感謝して下さい。まぁ僕らも弾丸の補充ができましたし、依頼は大変でしたが戦闘経験を積むことができました。互いに利がある形で終わってよかったですね」


 御者台で話すトーリとクロフトの声は当然荷台にも聞こえている。

 が、荷台で揺られる三人は話に耳を傾ける余裕もなく、気まずい空気で向かい合って座っていた。




「ええと……」


 誠治がごほん、と咳払いをして口火を切る。


「ラーナ、ありがとうな」


 彼は正面に座る、小柄な無表情ポニテ少女に話しかけた。


「……何が?」


 視線を僅かに上げ、表情を変えずに誠治に視線を返すラーナ。


「いや、その。詩乃ちゃんの魔力酔いの解消法を教えてもらったからさ」




 魔力酔い。


 他者からの魔力譲渡の際に起こる、魔法的な意味での中毒症状。

 個人差や相性にもよるが、頭痛、吐き気、倦怠感などの他、性的興奮を覚える場合もある。


 魔力の授受は、送り手側が相当の魔力量を持ち、受け手側が高度な魔力制御能力を持つ場合に限られる為、行われた事例自体が少なく報告されている症例数は極めて少ない。

 送り手と受け手で加護が異なる場合、より大きく副作用が出ると言われている。らしい。




 ラーナは二人の痴態を目撃するとすぐに状況を理解し、魔力酔いの解消法を二人に教えてくれた。


 詩乃と誠治はラーナの指示通り、向き合って両手を合わせ、詩乃の中に残っていた誠治の魔力を彼に戻すことで、事なきを得たのであった。


 尚、詩乃の中で練られたことで既にある程度二人の魔力は同一化しており、今度は魔力を戻した誠治の身体が妙に元気になったりしたのだが、そこはそれ。

 誠治は男歴四十年の経験で、なんとか色々と誤魔化し、抑え込んだのだった。




 ラーナは誠治の感謝の言葉に、小さく頷いた。


「……気にしなくていい。私はたまたま知る機会があって、あの症状を知ってただけ。魔法のない世界から転移して来たあなたたちは知らなくて当然。それに、あのまま何もせずに後から来たクロフトたちにアレを目撃されるくらいなら、あそこで私が止めに入った方がまだ気まずくないのでは、と判断した」


「いやぁあああっ!」


 詩乃が両手で顔を覆ったまま、悲鳴をあげた。


「私、なんてことを…………」


 誠治とラーナから顔を背け、自分がやらかした現実から逃避を試みる詩乃。


 そこにラーナが追い討ちをかける。


「……今夜はお楽しみですね」


「おいい?!」


「いやぁああああああ!?」


 誠治の叫びと詩乃の悲鳴に、不思議そうに顔を見合わせる御者組であった。





 その日の晩。


 クロフトが早々に寝入り、すかー、とイビキをかく一方、誠治は全く寝つけずにいた。


 原因はもちろん、昼間の詩乃との一件である。

 あの時の詩乃の上気した顔が、熱を帯びた表情が、頭から離れずに悶々としていた。


(童貞小僧かよ……)


 誠治は自己嫌悪に苛まれる。


(しかも十代の女の子相手に……)


 更に自己嫌悪に陥る。

 まさにスパイラルである。


 誠治とて、豊富とは言わないまでもそれなりに女性経験はあるし、なんといっても元妻帯者である。

 親子ほど歳が離れた少女が気になって眠れないなど、あるはずがない。

 いや、あるはずがなかったのだ。




(それがこのざまか)


 誠治は人知れず頭を抱えた。

 とりあえず肉体的な衝動は自己解決を図ったが、それでも精神的な衝動は収まらず、寝つけないでいる。


(僕は彼女の保護者になる、と決めたんじゃなかったのか?)


 自問自答する。

 が、どんな理屈をこねようと、現在進行系で詩乃に劣情を抱いてしまっているのは、違えられない事実。

 それは自分が一番よく分かっている。


(この感情、どう処理したらいいんだか……)


 誠治は、本日何度目になるか分からない寝返りを打った。

 今夜はどうにも眠れそうになかった。





 そうして小一時間も寝返りを打ち続けた頃、誠治は近くに誰かの気配があるのに気づいた。


 部屋の中に、ではない。

 部屋の中には呑気にイビキをかき続けるエルフのクウォーターがいるだけだ。


 その気配は、自分の意識のすぐ側にあり、自分に繋がろうか、やめておこうか、迷っているようだった。


 〈詩乃ちゃん、いるんだろ?〉


 誠治は彼女に向かって呼びかけた。


 〈ふぇ?!〉


 突然呼びかけられた少女の意識は、咄嗟のことに驚き、右往左往する。


 〈よっ……と!〉


 誠治は自分から詩乃を掴まえに行った。


 今までに何度もメンタルリンクで繋がっているせいで、またその魔力の一部を取り込んだおかげで、彼女の魔力の波長はすでに身体に染み込んでいる。

 近くに来てくれてさえいれば、自分から繋がりに行くのは容易だった。


 〈?!〉


 詩乃と繋がった瞬間、実際は目の前にいないにも関わらず、互いに相手の姿を認識する。


 通常のメンタルリンクでは音声的な意識のやりとりだけだったことを考えると、魔力をやり取りしたことによる影響かもしれなかった。


 〈お、おじさま?! どうして分かったんです???〉


 詩乃が戸惑いながら尋ねる。


 〈この一週間、探索で繋がりっぱなしだったからね。さすがに気配くらいは分かるようになるよ。あ、あと、魔力を戻した時に君の魔力も少し取り込んじゃったから〉


 誠治は苦笑交じりに答えた。


 〈魔力を取り込むって……あああ…………〉


 詩乃は自分がやらかした出来事を思い出し、赤面する。


 〈えーと、なんというか…………〉


 誠治はフォローの言葉を選ぶ。


 〈魔力酔いってあんなもんらしいし、色々あったけど未遂だったし、あまり気にしなくてもいいんじゃ……〉


 〈そおゆう問題じゃないです……〉


 恨めしそうに見つめる詩乃。




 なんと言ったら詩乃の機嫌が直るのか。

 いや、機嫌は悪くないのか。恥ずかしがってギクシャクしてるだけで。


 誠治はしばし考える。


(あの時の彼女を肯定してみようか)


 ある意味博打である。

 が、虎穴に入らずんばだし、と思う誠治だった。


 〈あー……こほん。でもまぁ、あんな情熱的な詩乃ちゃん初めて見たよ。僕もドキドキしちゃったな〉


 ちら、と詩乃を見る誠治。


 詩乃の顔がみるみる真っ赤になってゆく。

 もうちょっと、押してみても大丈夫だろうか。


 〈あれが魔力酔いじゃなかったら良かったのにな〜、なんて……げふっ!〉


 言い終わらないうちに、詩乃が飛び込んできた。

 互いに肉体的接触はないはずなのに、なぜか胃袋近辺に衝撃が走り、詩乃の感触が伝わってくる。

 メンタルリンクの謎は深まるばかりである。

 それはさておき……




 詩乃は誠治に抱きつき、顔を埋めたまま問いかける。


 〈あんなはしたないことする女の子は、嫌じゃないですか?〉


 〈むしろ大好きです〉


 即答する誠治。

 詩乃は顔を上げて誠治を見た。


 〈おじさまは、ああいうのが好きなんですか?〉


 〈いやいやいや。別に押し倒されるのが好きなんじゃなくてね。普段おとなしい詩乃ちゃんが、あんなに積極的に迫ってきてくれたのが、嬉しいというか、キュンときたというか……〉


 いや、普段もかなり積極的か。と、誠治は内心で思い直す。


 よく考えたら、詩乃は誠治に対してはかなりスキンシップ多めである。

 だが詩乃は雰囲気や仕草が清楚で儚げなので、あれだけ積極的にアプローチされると、その雰囲気とのギャップにくらくらしてしまう。


 〈そうですか…………〉


 誠治から離れ、俯く詩乃。


 〈…………〉


 〈…………〉


 微妙な間が空く。


(ヤバ……ひょっとして調子に乗り過ぎた?!)


 〈いや、あのね……〉


 焦った誠治は、詩乃の顔を覗き込むように顔を近づける。次の瞬間、


 ちゅっ


 頰に柔らかい感触を感じ、誠治は固まった。


 これはあれか? やっぱりあれだよな???


 誠治が我にかえった時には、詩乃は再び誠治から離れていた。そして、


 〈おじさま、大好き!!〉


 頰を上気させてそう叫ぶと、詩乃は身を翻し、たたっ、と向こうに走って行く。


 誠治が茫然としているうちに、メンタルリンクはプツリと切れたのだった。




 意識が肉体に戻って来た誠治は、ベッドから上半身を起こした。

 心臓は脈打ち、全身が火照っていた。


「…………ヤバいかも」


 誠治は人知れず呟く。

 今夜はますます寝られそうになかった。

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