第282話 予期せぬ訪問者(5)

「それでは、ゆっくりお寛ぎください」


「あ、待って」


 一礼して部屋を辞そうとする私をオリヴァー殿下が引き止める。


「座ってお喋りしようよ。トミーはあんまり僕の相手をしてくれないからさ」


 困ってトーマス様を見ると、窓際に立っていた彼は諦観したように首を竦めた。殿下に付き合ってくれってことかな。


「では、お言葉に甘えて」


 私は自分の紅茶を用意して席に着く。殿下の真正面にならない下座に座る私の斜め横のソファに、トーマス様も腰掛けた。

 透けるようなプラチナブロンドの殿下と、琥珀色の髪の補佐官。濃度の違う金髪美青年に囲まれると、王立劇場の特等席でオペラを観ているようなまばゆさです。


「では、遅くなったけど。この前は助けてくれてありがとう、ミシェル嬢」


「いえ、お元気になられて何よりです」


 神々しい笑顔に恐縮しっぱなしの私に、オリヴァー殿下は畳み掛けるように、


「ミシェルって呼んでいい?」


「どうぞ」


「僕のことはオリーって呼んで」


「呼びません」


 私が考える間もなくトーマス様が瞬時に切り捨てた。


「なんでトミーが答えるの? 僕はミシェルに訊いたのに」


 ぷくっと頬を膨らますオリヴァー殿下を淡々とあしらうトーマス様。


「返答に困る質問をしないでください。ミシェルさんは慎み深く常識あるお嬢さんなんですから」


 ね? と同意を求められて、私は曖昧な笑みを浮かべるけど……正直、助かりました。王族の頼みを面と向かって断れないし、かといって愛称で呼ぶ度胸もない。


「ええと、お二人は仲がよろしいのですね」


 気まずい空気を払拭しようと話題を変えると、


「そうだよ」


「違います」


 同時に声が返ってきた。


「俺と殿下は学生時代、机を並べていたことがありまして」


 将軍補佐官の言葉に私は思い出して、


「トーマス様は王都の騎士学校の出身ですよね?」


 これはベルナティア様情報だ。


「そうです。騎士学校は王城から一番近い高等教育機関なので、オリヴァー殿下はたまに座学の授業を聴講しに来ていたんですよ」


「城の奥で家庭教師に勉強を習うだけじゃ退屈だからね。たまには同年代の子達と交流しないと」


 トーマス様の説明をオリヴァー殿下が補足する。


「でも、聴講したのは年に数回ほどだし、そもそも実技は受けされてもらえなかったから卒業はしていないんだけどね」


「そんなわけで、殿下と顔見知りなんですよ」


 つまらなそうに言うトーマス様に、オリヴァー殿下は紅茶を啜りながらにこやかに、


「顔見知りなんて他人行儀だね。騎士学校を卒業して軍部に就職してからも、仕事で城に来ては迷子になっていた君をよく道案内してあげたのに」


「そんな昔の話でいつまでも恩を着せないでください」


 それは、トーマス様がシュヴァルツ様の補佐官に就任する前の部署での話だそうで。お城は攻め込まれにくいように内部構造が複雑なのだそうです。


「感謝しろとはいわないけど、薄情にされると寂しいじゃない?」


「元々俺とあなたの間に厚みのある情はありません」


「酷いな、トミー。傷つ……おっと!」


 オリヴァー殿下が苦笑しながら言いかけた瞬間、ソーサーに戻そうとしたカップが揺れて、中のお茶が手に跳ねた。


「大丈夫か!?」


 王子が驚きの声を上げると同時に、将軍補佐官はソファを蹴倒す勢いで立ち上がっていた。


「火傷したのか? 痛みは!?」


「大分ぬるくなってたから平気。ちょっと袖が濡れただけ」


 真っ青になってオリヴァー殿下の手を取るトーマス様に、のほほんと答える殿下。彼の言う通り、真っ白な手は赤くなってもいなかった。ただし、上等なブラウスの袖は染みになっていますが。

 トーマス様は王子が火傷していないことを念入りに確認すると、ほうっと肩の力を緩めてから……拗ねたように零した。


「気をつけてください。殿下にもしもの事があったら俺が責任を取らされるんですからね」


「そうだね、火傷だと火刑かな?」


 素直に「心配した」と言わない臣下を王子が王族ジョークで笑い飛ばす。

 ……この二人の関係性がイマイチ解らないのですが。

 とにかく私は、


「只今タオルをお持ちしますね」


 自分に出来ることをするべくリネン室へと急いだ。

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