第266話 ベルナティア総長の来訪(8)
「あんな花の咲いたような屈託のない笑顔を向けられたのは初めてだった」
所詮、政略結婚。相手が誰であろうと構わない。相手だって同じだ。そう思っていたのに……。
「彼は自分の立場を理解していて、それでも心から私との結婚を喜んでくれていたんだ」
王家にとってもファインバーグ家にとっても利用価値の低いオリヴァー殿下。捨て駒のように降婿される彼に卑屈さは微塵もなかった。
『僕のことはオリーって呼んで。君のことティアって呼んでいい?』
当時のオリヴァー殿下は二十一歳。王城で療養しながら事務方の公務をこなしていたという彼は、時間が空けば差し入れと称してお菓子を持って近衛騎士団本部に婚約者の顔を見に訪れ、ファインバーグ家にも贈り物を届けた。休日には王家の花園で二人だけのお茶会もした。
「オリヴァー殿下は聡明で博識で気遣いが上手くて、話していてとても楽しかった。家督を継ぐことだけを目標として生きてきた私に、彼は様々な価値観を教えてくれた。そしてその上で、私の生き方を支持してくれた」
彼女の話を熱心に聞いてくれて、時には共感し励まし、時には的確な助言をくれた。槍試合や剣技大会の時は最前列で応援してくれた。
人懐っこい彼は、近衛騎士団ともファインバーグ家の家人達ともすぐに打ち解けた。
「正直、私はこの年まで色恋沙汰に興味はなかった。私の家柄目当てで寄ってくる物好きもいたが、大抵の男は自分より権力も腕力も勝っている女など敬遠する。私はただ自分の地位さえ守れればそれで良かった。だが……それが変わった」
『ティアは凄いね! 僕、ティアと婚約できて幸せだよ』
自分を肯定し、明確な愛情を示してくれる婚約者に、彼女はどんどん惹かれていった。たとえ政略結婚であっても、第三王子を指名してくれた国王に感謝した。
そして翌年、二十四歳になった彼女は晴れて正式にファインバーグ侯爵を継承し、オリヴァー殿下と結婚することとなった。
先に彼女が侯爵位に就いたのは、王族を婿に迎えるにあたって令嬢のままでは箔が付かないからだ。
結婚式は王侯貴族を招き、王都で一番大きな教会で執り行われる予定だったが……。
「結婚式の数日前、殿下が倒れたんだ」
ベルナティア様は深いため息をつく。
一時は命さえ危ぶまれるほどの重症で、回復までに数ヶ月の時間を要した。
そして容態が落ち着いた現在まで、彼らは結婚に至っていない。
「先に籍だけ入れてしまいたかったのだが、それは教会の許可が下りなくてな」
フォルメーア王国では、国民の戸籍は王国教会が管理している。国民の出生や婚姻は教会に届けを出し、受理されると市民台帳に記載されるのだ。
蛇足だけど、婚姻手続きにはかなりの手間が掛かるため、庶民には届けを出さずに事実婚で済ませる夫婦も多い。貴族は市民台帳の他に貴族名鑑もあって更にややこしいんだけど、お金を払えば司法神官が手続きを代行してくれる。
王家と王国教会の繋がりは深い。そして、フォルメーアでは結婚は取り分け神聖な物として挙式が推奨されている。
儀式とは重んじられて然るべきだ。
だから国王の第三王子が神の前で愛を誓わず書類だけで婚姻を結ぶことは許されなかったのだろう。
……そういえば、父と
とりとめのない私の思い出は頭から追い出して、今は侯爵の話に集中する。
ベルナティア様が侯爵位を継ぐ条件はオリヴァー殿下との結婚。それを差し引いても、彼女と彼は結婚を望んでいる。最初の結婚式の延期後、幾度も式の予定を立てたが、殿下の体調や参列者の都合でその都度計画は流れた。
そして今年、新しい年を迎えた彼女はとうとう決意した。
参列者の都合など構っていられない。オリヴァー殿下の体調の良い時に二人だけでさっさと式を挙げてしまおう、と。
「それで、王都郊外の教会で近いうちに式を挙げる手筈を整えたのだ」
閑静な場所に佇むそこは古くこぢんまりとしているが、王家に縁がある由緒正しき教会なのだという。
「そこで――」
いよいよ本題に戻ってきました。
「――君のドレスのデザイナーに私のドレスを作って欲しいんだ」
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