第246話 星繋ぎの夜会(16)

「わ……っ、我が家の従者が何か致しましたでしょうか?」


 うぅ、声が上擦る。それでも精一杯背筋を伸ばし、アレックスを隠すように青年貴族と対峙する。

 ……まあ、アレックスの方が私より背が高いのですが。


「は? お前がそいつのあるじか」


 貧相な令嬢わたしの登場にますます気が大きくなったのか、黄緑の夜会服の青年は鼻息荒く捲し立てる。


「その小僧が下僕の分際で俺に楯突いたんだよ! まったく態度の悪い下僕だ。上等な酒もぶちまけやがって。王の夜会を台無しにしたこの責任、どう取るつもりだ!?」


 怒声に足が竦む。でも……怯えるのは後回しだ。


「我が従者が不快な思いをさせたのであれば申し訳ありません。これはひとえにわたくしの教育不足、心よりお詫びいたします」


 ドレスの裾をつまみ、膝を折って淑女のお辞儀をする。背後でアレックスが悔しそうに歯噛みする音が聞こえる。青年は満足気に口角を上げた。


「そうか、分かれば……」


「しかしながら」


 愉悦の声を遮断し、私は彼を真っ直ぐ見つめる。


「グラスを落としたことに、こちらの落ち度はありません」


 毅然と言い放った私に、彼はぎょっと目を剥いた。


「なんだと? その下僕を庇うのか!」


「こちらに非があれば誠心誠意謝罪致します。しかしながら、わたくしが目撃したところによると、グラスを落としたのは貴方であって、我が従者はグラスにも貴方にも指一本触れておりません。それは間違いありませんよね?」


 ……もし、叱責されているのが自分だったら、床に額をこすりつけてでも許しを請うていただろう。抗わず心を殺し、相手の怒りが過ぎ去るのを待つ。そうやって私は今まで自分を守ってきた。

 でも……アレックスにはそんな理不尽な思いはさせたくない。彼女の尊厳は、年長者である私が守らなければ。


「ば、馬鹿にしてるのか!?」


「いいえ、至って真面目に事実を確認しているだけです」


「な、な、な……!」


 顔を赤黒く染め、今にも噴火しそうな彼に、最初からその場にいた貴婦人がぼそりと、


「わたくしも見ていましたわ。彼、一方的にその子に言いがかりをつけてましたの」


「そうね、給仕係を足蹴にしたのもちょっと……」


「なんだ? 揉めてるのか?」


「あの男が子供の従者に言いがかりつけたって」


「国王陛下の夜会の場で、大人が子供に喧嘩吹っかけたのか?」


 さざめきの輪が伝播していく。周囲からの白い目に、今度は彼が唇を噛む番だ。


「も、もういい! 興醒めだ!」


 怒りに震えながらも、形勢の不利を感じてか踵を返し立ち去ろうとする黄緑の夜会服。私も極力目立ちたくはない。これ幸いとアレックスを連れて散っていく人の輪に紛れてその場を離れようとしたが――


「おい。お前、名前は?」


 ――首だけ振り返って、最後に一番嫌な質問をされた。貴族同士、名前を訊かれたら答えないわけにはいかない。私は一瞬だけ逡巡して、


「わたくしはテナー子爵ロバートの娘、ミシェルです」


 ……シュヴァルツ様の巻き込むくらいなら、実家の家名を出す方がよっぽどマシだ。


「覚えておけよ、チャニング伯爵家を侮辱した罪、後悔させてやる!」


 大理石が割れるんじゃないかという怒気を込めた靴音を立てて彼は人混みに消えていく。 

 ……『覚えておけ』って捨て台詞、実際に使う人いたんだ……。

 軽い目眩を覚えつつ、私達は彼とは逆方向に歩き出した。

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