第212話 夜会の準備(8)

 終始上機嫌なトーマス様とは反対に、シュヴァルツ様は浮かない表情だ。一切れのパテをまるごと口に入れると、太い眉を寄せて黙々と咀嚼していく。

 因みにトーマス様が持って来てくれたパウンド型二本分の豚肉パテの配分ですが、トーマス様とアレックスとゼラルドさんと私で一本、残りの一本は全部シュヴァルツ様に配膳しました。私とゼラルドさんは量が食べられないので、トーマス様とアレックスより少なく切り分けています。みんな食べる量は違えど十分に満足できる内容です。


「閣下はなんでそんなに夜会が嫌いなんですか?」


 陰鬱なため息をつく上官を察してか、部下が声をかけた。シュヴァルツ様は黒い瞳でちらりとトーマス様を一瞥し、


「嫌いというより、ひたすら億劫なだけだ」


 また大きなため息を吐き出す。


「貴族に社交が重要なのは理解している。そこから縁を広げ、自分の地位向上や領地の発展を図るのは良いことだと思う」


 一度言葉を切ると、鋭いフォークの先でパテを突き刺し、


「だが、それは俺には無用のものだ」


 口に放り込む。


「興味のない話をあくびを噛み殺しながら聞くのも、言いたくもないおべっかを延々愛想笑いで喋り続ける者の顔を眺めているのも面倒くさい」


 ……シュヴァルツ様は我が国ではその名を知らぬ者のいない英雄だけど、王都に来たばかりで社交界での地位はまだ確立されていない。そんな未知数な彼を自分の派閥に取り込もうとしたり、名声を利用しようと近づく動きがたくさんあったのだろう。

 彼の性格的に、そういう腹の探り合いな世界は苦手だというのはよく解る。


「あとは、やたらと娘を紹介したがる連中が嫌だ」


 あ、はっきり嫌って言った。


「血を分けた子とはいえ、別個の人間だ。供物のように差し出す者の気がしれん」


 ……ぎゅぅ、心臓が痛い。実は私も差し出された側なのですが……。

 私はこのお屋敷に来て幸せだけど、そう思えるようになったのは、シュヴァルツ様の人柄を知ることができたから。

 シュヴァルツ様の以前の赴任地の領主カノープス様のご令嬢や、コーネル伯爵令嬢ロクサーヌ様。……多分、私が知らないだけで他にも彼への縁談はごろごろ舞い込んでいるのだろう。ロクサーヌ様は友好的だったけど、カノープス家ご令嬢は卒倒したって言ってたし。シュヴァルツ様にとって、互いの意に染まない縁談は煩わしいだけなんだろうな。

 ……いえ、シュヴァルツ様の恋愛観なんて私には解りませんが。


「ただでさえ夜会は面倒くさいのに、今回はダンスまでついているのだろう? さらに面倒くさい」


「えー、ただ座って会食するより素敵なお嬢さん方と踊っていた方が楽しくありません?」


 軽口を言うトーマス様をシュヴァルツ様がギロッと睨む。眼光が尖すぎて浴びたら石化しそうです。


「今日、練習して思い知った。俺はダンスに向いていない。王命だから夜会には出るが、誰とも踊らん」


 将軍はきっぱり宣言するが、


「でも、自分から誘わないのはいいですが、相手から誘われたらそうはいきませんよ。下手に断ったら妙齢のお嬢さんに恥を掻かせることになりかねませんし」


 補佐官の返答にぐぬっと声を詰まらせる。

 ……そう、フォルメーア王国の舞踏会というのは、独身の貴族にとっては出会いの場だ。いくら嫌がっていてもシュヴァルツ様は有力貴族、親に強要されなくてもお近づきになりたいと考える人も多いはず。まったく誘われないなんてことはあり得ない。


「……断ったらいけないのか?」


 『妙齢のお嬢さんに恥を掻かせる』という台詞が気になったのだろう。頬を引きつらせて聞き返すシュヴァルツ様に、トーマス様は意味深に口角を上げた。


「基本的には。でも、理由があれば断っても無礼にはなりません」


「理由?」


 首を傾げる将軍に、補佐官はいたずらっ子のように目を細めて、


です」


 視線を私に移して、にっこり微笑んだ。

 ……え?

 はっと気づくと、アレックスもゼラルドさんも、私を見ている。

 ……えーと……?

 恐る恐る上座に顔を向けると……カチッと嵌るようにシュヴァルツ様と目が合った。

 な……なんでそんな捨てられた子犬のような瞳で私を見ているんですか?


「ミシェル、頼む」


 ……頼むって、何をですか……?


「俺と一緒に星繋ぎの夜会に出てくれ」


 ……。


「ええぇぇええぇ!?」


 ――私は頭を抱えて絶叫した。

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