第209話 夜会の準備(5)

「はいはーい!」


 手の空いているアレックスがドアを開けた瞬間、


「ごきげんよう、ガスターギュ家の皆さん! 今日も俺が来ましたよ!」


 この上ない爽やかな笑顔で登場したのは、トーマス・ベイン様。言わずと知れたシュヴァルツ様の補佐官だ。


「げっ!」


 琥珀色の髪の美青年貴族を正面から出迎えた赤毛の庭師は露骨に嫌そうな声を上げた。……こらこら、お客様に失礼ですよ。


「……何しにきた?」


 私の手を取ったまま唸るシュヴァルツ様に、招かれざる客は気にも留める様子もなくズカズカと玄関ホールに足を踏み入れた。


「ガスターギュ閣下が今日から休暇に入るとのことで、きっとダンスの練習してるんだろうなと思って見学に来ました。ほら俺、将軍補佐官なので閣下がいないと仕事ないですし」


 相変わらず、勘の良い御仁です。


「生憎、見学者は募集しておらん。帰れ」


 シュヴァルツ様は相変わらずの塩対応だけど、


「冷たいこと言わないでくださいよ。あの社交嫌いのガスターギュ将軍の舞踏会デビューですよ! ぜひ近くで楽し……応援させてください!」


 ……我が家の一大事を完全に娯楽扱いしてますね? トーマス様。


「それにほら、陣中見舞いを持ってきましたよ。夕飯にどうぞ」


 彼が差し出した一抱えもある大きなバスケットの中には、市場のデリで買ったと思しき豚肉のパテが二本とミックスビーンズのサラダにバゲッドが二本。わ、嬉しい! そろそろ夕刻の頃合い。練習に集中していて午後のお茶の時間も取れず、夕食の準備もまだだったんだよね。この差し入れがあれば、あとはスープとちょっとした副菜を添えれば立派なディナーになる。

 トーマス様は驚くほど気配りと根回しがお上手な方なのよね。

 シュヴァルツ様はトーマス様の開いたバスケットの中身を一瞥して、


「それはありがとう。食い物を置いてとっとと帰れ」


「差し入れは受け取るんですか?」


「俺は人は憎んでも食い物は憎まん」


 ……至言ですね。


「ダンスはどうですか? 練習上手くいってますか?」


 再三の帰れコールも物ともせず、トーマス様は飄々と話を変えてくる。この人の心の強さは本当に羨ましい。


「夜会当日に王城に箒星ほうきぼしが落ちればいいと思うくらいは絶望している」


 国家存亡の危機を願うほど諦めないでください。

 シュヴァルツ様の言葉に、トーマス様は苦笑を返す。


「パーティーのダンスは技量より魅せ方ですよ。堂々としていれば様になります」


 そう言うと彼は、腰を折って優雅に一礼すると、私に手を差し出した。


「踊っていただけますか? レディ」


 戸惑ってシュヴァルツ様を振り仰ぐと、将軍は不機嫌そうに頷いた。私が躊躇いがちに手を重ねると、トーマス様は慣れた仕草で私を引き寄せる。そして、早いテンポのダンス曲をハミングしながら踊り出す。

 わっ。こんな曲、ついていけない!

 ……と思ったけど、トーマス様のリードは巧みで上手い感じに振り回されていく。ゼラルドさんもすぐにバイオリンを合わせる。

 ターンやリフトを折り込みながら玄関ホールを縦横無尽に駆け回って、一曲終了。

 弾む息を整える私の耳に、大きな拍手の音が響いた。


「すげー! トーマス様が初めてカッコよく見えた! 王子様みたい!」


「あはは、思う存分敬って!」


 興奮気味に捲し立てるアレックスの褒め言葉を、臆面もなく受け止めるトーマス様。……でも、彼女のその台詞、シュヴァルツ様にも使ってましたよ?


「ミシェルもお姫様みたいだった!」


「あ、ありがとう……」


 一応、私は貴人の娘という意味では『姫』と呼ばれる立場なのですがね。

 私の手を離したトーマス様は、気のない風に私達を眺めていたシュヴァルツ様に歩み寄る。


「閣下、ステップ覚えるだけなら俺が練習相手になりましょうか? 俺、両方の立ち位置のステップ解りますし」


 え? 私の代わりにトーマス様がシュヴァルツ様のパートナーになるってこと? そんなのアリなの??

 将軍は露骨に眉を顰めたが、


「そうだな。ミシェルも疲れただろう、休むといい」


 意外にもトーマス様の提案を受け入れた。


「あの、いいんですか?」


 確かに軍人の彼らとは違い、体力のない私は何曲も踊ってくたくただけど……大丈夫かしら?

 不安になって見上げる私の頭を、シュヴァルツ様はぽんぽん撫でた。


「問題ない。トーマスなら足を踏み放題だしな」


「踏むの前提なんすか!?」


 間髪入れず抗議を叫ぶトーマス様に、思わず笑ってしまう。


「では、少し下がらせていただきますね。後ほどお茶をお持ちします」


 よかった、これで夕食の準備をする時間も確保できた。

 私は面倒くさそうに手を合わせるシュヴァルツ様と愉快そうなトーマス様を横目に頬を緩めながら、玄関ホールを後にした。

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