第196話 ガスターギュ家の祝祭・準備(5)
「なあ、ミシェル! オレ、これから出掛けていい?」
アレックスがそう言って家に飛び込んできたのは、午前の早い時間。庭の掃除が済んでからのことだった。
「うん、いいよ。何か用事があるの?」
「プレゼント選びに街に行こうと思って。その後、友達と集まる予定だから、夕飯はいらない」
「はーい」
地元出身のアレックスは近隣に友人が多い。人懐っこい性格もあるのだろうけど、同じ王都民でも友達が一人も居ない私には、羨ましい。
……まあ、私の場合は、家族が私が他人と親しくするのを嫌がっていたわけですが……。
アレックスには存分に青春を謳歌してもらいたいな。
同僚が一人抜けた屋敷の中で、私は仕事を再開する。今の作業が終わったら、廊下の掃除と薪の補充。年末年始は市場が閉まるから、保存食の残量もチェックしとかなきゃ。今日のお昼はゼラルドさんと二人だし、軽めな物を……と、厨房でお皿を拭きながら段取りを考えていると、
「ミシェル殿」
不意に家令に声を掛けられた。
「つかぬことをお伺いしますが、明後日の晩餐のメニューはお決まりですかな?」
……はい?
「ええ。伝統的な魚料理と祝い菓子をメインに、後はいくつか副菜を用意しようかと」
私の答えに、彼は立派な口髭を撫でながら、ふむふむと思案する。
「でしたら、主菜はお任せしますので、主食は某にご用意させていただけませんかな?」
主食って……パンやライスのこと?
私は驚きに目を見張る。
「それは構いませんが……。ゼラルドさんが料理をお作りになるのですか?」
彼にはたまに厨房を手伝ってもらうけど、食材を切ったり出来上がった料理を盛り付けるだけで、直接味付けには関与してこなかったのに。
「はい。某はあまり料理が得意な方ではございませぬが、良い機会なので、皆様に某が以前お仕えしていた領地に伝わる秘伝の一品を振る舞うことで祝祭のプレゼントに代えさせていただこうかと」
「わ! それは楽しみです!」
ゼラルドさんの料理なんて、特別感満載だ。手を合わせて歓喜する私に、家令は意味深に口角を上げる。
「それでは、鍋を置きたいのでグリル台の一角をお借りできますかな」
「ええ、勿論」
我が家のグリル台は竈に網が敷いてあって、鍋が三つは置けるスペースがある。調理時間を調整すれば、グリル台が多少狭くなっても私の作業には支障はないはず。そう思ったのだけど……。
「では、早速これから調理に取り掛かります」
「……は?」
ゼラルドさんの宣言に、私の目は点になる。
「え? これからですか? パーティーは二日後なのに??」
聞き返す私に、三つ揃え燕尾服の彼は、キリリと頷く。
「二日では遅いくらいです! 本来ならば三日は煮込みたいところ。一刻も早く仕込みを始めなければ!」
えぇ!? そんな大掛かりな料理なのですか??
「某が責任を持って管理します故、パーティー当日までは厨房の火を落とさぬようお願いします」
「は、はあ」
「あと、しばらく一人にしてくれませぬか。スパイスの調合は門外不出でして。あ、昼食も勝手に済ませますので」
言いながら彼は上着の内ポケットから麻の小袋をいくつも取り出して、調理台に並べていく。その収納、どうなってるんですか?
口紐の解けた袋から、乾いた植物の種が零れ出る。
あれは……クミンシード? 匂いから、シナモンや胡椒、カルダモンも入っていそう。パッと見で十種類は香辛料があるみたいだけど……、一体、どんな料理になるんだろう?
真剣な表情で乳鉢で材料をすり潰すゼラルドさんを置いて、私はそっと厨房を出た。
……ゼラルドさんって、結構職人肌なのね。出来上がりが楽しみです。
私も午前の仕事が終わった後は、居間の日当たりの良い窓辺にソファを移動させて、編み物を始める。みんなが気合い入れてプレゼントを用意してるから、私も頑張らなくちゃ。
一人の部屋は耳が痛くなるくらい静まり返っている。ここに来る前は一人になれる時間だけが安心できたのに……今は一人が少し寂しい。
棒針に掛かった目を数えていると、足元で「ミュウ」と声がした。ふわふわ毛並みのサビ猫は、体重を感じさせない軽さでひょいっと私の膝に飛び乗ると、コロコロ喉を鳴らして丸くなった。
「……そうだね、独りじゃないね」
私は小さく微笑んで、時折ルニエに毛糸を引っ張られながら編み物を続けた。
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