第181話 それぞれの役割(3)

 私の弱音を黙って聞いていたシュヴァルツ様は……。

 やおら右手の人差し指を伸ばすと、ピシッと私の額をつついた。


「ひゃうっ」


 痛くないけど、びっくりしました。


「な、何するんですかっ」


 おでこを押さえて抗議する私を、彼は呆れた目で睨む。


「今更阿呆なことを抜かすから、目を開けたまま寝ているのかと思った」


「あ……あほう?」


 ……なんか酷いこと言われました。


「いいか、ミシェル」


 シュヴァルツ様は落ち着いた声で語り出す。


「俺はお前が来てくれてから、毎日が充実している。飯は美味いし、部屋は綺麗だし、布団はいつも乾いていて柔らかい。着る物にも困らなくなったし、飯も美味い」


 ご飯のこと二回言いました。


「それは皆、ミシェルのお陰だ。感謝している」


「シュヴァルツ様……」


 改めて言われると、じんときてしまう。


「それに、ゼラルドとアレックスだ。雇った経緯は偶然だが、ここに留まっているのはミシェルのお陰だぞ」


「え?」


「最初からあいつら二人だけだったら、アレックスは屋敷を10分で出奔していたぞ」


 ……ま、まあ。二人共、頑固なところがありますからね……。


「人にはそれぞれ得意分野がある。ゼラルドは経済に明るく、アレックスは若いが腕のいい庭師だ。だが、あの二人だけでは我が家は回らん。ミシェルが中心にいて、我が家の基盤を作ってくれたから、他の者は十分な働きが出来るのだ。……そして、それには俺も含まれている」


「わ、私は特別なことはなにも……」


「特別なことを当たり前に出来るから、ミシェルはすごいんだ」


 近づいてきた彼の手が、テーブルに置かれた私の指先に微かに触れる。


「お前は愚痴を言う時さえ、その対象を褒めるのだな。そういうところは、本当にすごいと思う」


「それは……二人には貶す要素がありませんから……」


 ……私だって、お腹の底には私を捨てた人達への言えない悪意を抱え込んでいる。

 俯く私に、シュヴァルツ様は口元だけで微笑む。


「ミシェルを雇った日、お前は俺が快適に過ごせるよう力になると約束してくれたな」


「はい」


 確かに、そのようなことを言いました。


「お前は俺の願いを叶えてくれた。俺はこの家が好きだ。ずっと戦場を渡り歩いていた俺が、初めて帰りたいと思えるようになった場所、それが……ミシェルの居るこの家だ」


「シュヴァルツ様……」


「ミシェルは今のままですごい奴だ、俺が保証する。自分に出来ない事柄を数えるより、自分に出来る事柄を誇れ。勿論、出来ない事柄を出来るようにする努力も尊いと思うがな」


 ……シュヴァルツ様は、私が自分で掘った穴に埋まって窒息しかける度に、見つけ出して引き上げてくれる。


「それに、俺だってゼラルドのように資産を管理できんし、庭木を切ればアレックスに怒られる。ミシェルのように美味い飯も作れないが、この家の主として自分を卑下したりせんぞ?」


「……それは、シュヴァルツ様が尊敬できる方だと皆が知っているからです」


「俺もお前をそう思っている」


 ……シュヴァルツ様って、他人を説得するのが上手いです。


「ありがとうございます、シュヴァルツ様。元気出ました」


「そうか」


 彼は子供をあやすように私の頭をポンポン撫でる。その拍子に、メイドキャップの縁フリルが袖口に絡んだ。


「む、すまん」


 慌てて腕を引くと、キャップはするりと外れてしまった。


「いいですよ。もう寝る準備をするところでしたから」


 私は笑ってお団子に纏めていた髪を解いた。癖のある栗色の髪が背中に零れる。

 シュヴァルツ様は少しだけ目を見張り、息を止めた。


「……髪、伸びたな」


「え、そうですか?」


「出会った時は肩くらいだった」


 あの頃は髪を乾かす時間も惜しくて短くしてましたからね。今は肩を越えています。


「そろそろ切らないととは思っているのですが……」


 毛先をいじる私に、彼は「な!?」と叫んだ。


「? どうされましたか?」


「いや……髪型は好きにすればいいが……そのままでもいいと思うぞ?」


 不自然に目を逸らす彼の耳朶が赤い。


 ……えーと。

 じゃあ、しばらくこのままにしておきます……ね?



◆◆◆

いつもお読み頂きありがとうございます。

連載開始から今日までなんとか毎日投稿してきましたが、本日の更新をもちまして一旦お休みさせてください。

12月以降は不定期投稿になりますことをご了承ください。

181話にして付き合ってもいない二人ですが、まだまだ書きたいことはたくさんあるので、これからものんびり見守って頂ければ幸いです。


※追記(9:04)

言葉足らずでご心配お掛けして申し訳ありません。

実は書籍化が決まりまして、そちらの作業を進める為に、web版の更新を一時休止しております。落ち着きましたらweb版も再開させて頂きます。

詳細は後日改めてご報告致しますので、お待ち頂けると幸いです。

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