第110話 海からの客(5)

「こちらのお部屋をお使いください」


 私がゼラルドさんを案内したのは、二階の廊下沿いの中央の部屋。南のシュヴァルツ様の南側と私の北奥の角部屋の二つ置きの中部屋だ。

 元々、前の住人のプライベートスペースなので室内は広く豪華だ。


「本当にこの部屋を使っていいのですか? 某など屋根裏で十分ですが……」


 ……私も就職した時はそう思いました。


「お気になさらず、当主の方針ですので」


 一般的な貴族屋敷の常識で考えると、ガスターギュ邸は驚くことばかりですよ。


「長旅でお疲れでしょう。ゆっくりお休みくださいませ。後で水差しをお持ちしますね」


 型通りの挨拶をして、部屋を辞する。ドアを閉じる直前、鞄をサイドテーブルに置いて、脱力したようにベッドに座り込むゼラルドさんの姿が見えた。

 居間に戻ると、一人でワイングラスを傾けるシュヴァルツ様が居た。私に気づくと、ふっと表情を緩める。


「今日は慌ただしかったな」


「思わぬ再会に驚きました。でも、ご無事で何よりでした」


 シュヴァルツ様に座るように手振りで促され、私は対面に腰を下ろす。


「明日から面倒を掛けるが、よろしく頼む」


「はい」


 多くを語らないご主人様に、私も色々質問せずにただ従う。

 ……シュヴァルツ様がゼラルドさんを引き止めた理由も、すぐにお礼の指定しなかった理由も、なんとなく察せられたから。

 故郷は滅び、話を聞く限りもう住み慣れた領地には戻れないだろう元傭兵の貴族家執事。

 旅をするには小さすぎる鞄一つを持って恩人の家に現れた彼は、目的を果たした後はきっと……。


「……すまんな。俺の我儘に付き合わせて」


 ぽつりと零すシュヴァルツ様に、私は首を傾げた。


「何故謝るのですか? このお屋敷のことはご主人シュヴァルツ様がお決めになるべきです。使用人わたしに異論はございません」


 実際、人手不足なのは事実ですし。

 シュヴァルツ様は「それはそうなのだが……」と歯切れ悪くモゴモゴ言った後、不意に私の頭に手を伸ばした。一瞬躊躇ってから、大きな掌で優しく頭を撫でる。


「ミシェルにはいつも助けられている。とても感謝している」


 改めて言われると、頬が熱くなる。


「……お気持ちは伝わっていますよ」


 大切にしてくれているのは十分感じている。はにかむ私に将軍は続けて、


「言葉でも伝えておきたかったんだ」


 ――シュヴァルツ様はいつも、私が不安にならないように配慮してくれている。

 だから私は安心して日々を送れる。


「何かおつまみを作りましょうか?」


 テーブルにはワインのグラスだけ。尋ねた私に、彼はいいやと首を振る。


「つまみはいらんが……、もう少しここに居てくれ」


「はい」


 静かな夜の空気が辺りを包む至極の一時。

 私達は二人きりのお喋りを楽しみました。

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