第93話 お庭のこと(6)

「お前の言い分は解った。しかし、事情があるからといって、罪が容認されるはずがない。それくらい理解できる年だろう?」


「……ああ」


 深く重みのある声に、アレックスは項垂れる。


「罪を犯せば報いを受けるもの。憲兵に捕まって投獄されるか絞首刑になるか。あるいは私刑によって痛めつけられるか、殺されるか。いずれにせよ、お前は自身の行いのせいで、大事な父を独り残すことになるのだぞ」


「……っ」


 アレックスは唇を噛んで肩を震わせる。泣くのを堪えているんだ。


「……オレ、これからどうすればいい? やっぱり憲兵に突き出す? それとも……」


 すがるように尋ねる彼に、シュヴァルツ様は買い物カゴから香草チキンの包みを一つ取ってポンッと放った。


「とりあえず食え。腹が減るとまともな考えが浮かばない」


 至言ですね。

 受け取ったアレックスはシュヴァルツ様と香ばしい匂いの包みを交互に見てから……やおら包みを破って鶏むね肉に食らいついた! よっぽど空腹だったのだろう。ものの数口でたいらげてしまった。

 指まで舐めて最後までタレの味を堪能する男の子にシュヴァルツ様は、


「お前、脚立の扱いは知っているな?」


「ああ、当たり前だろ」


 庭師の子供なんだから、とふんぞり返るアレックスに、屋敷の主はハケと塗料入のバケツを渡した。


「では、外周の槍柵にサビ止めを塗れ。手間賃はそうだな……銀貨三枚だ」


「やすっ! なんだよ、それ!?」


 アレックスは唇を尖らせる。


「手伝わせるつもりなら、サビ止め塗りより庭木の剪定がいい。あんたよりオレの方が上手いよ」


 しかし、彼の不満をシュヴァルツ様はピシャリと遮断する。


「信用も信頼も得ぬうちから仕事を選ぶな、烏滸がましい。まずは与えられた仕事をこなして実績を作れ。主張するならそれからだ」


「ぐぬ……」


「どうする? やらないならそれでいい」


「やらないとは言ってない!」


 アレックスは少年にしては高い声で悪態をつきながらも、片付けようとしたシュヴァルツ様の手から塗料を奪い取る。


「でも、この時間からじゃ日暮れまでに塗り終わんねぇぞ」


 もう日が傾きかけている。屋外作業は日が出ている内でないと無理だ。アレックスの尤もな主張に、シュヴァルツ様は事も無げに返す。


「明日も来ればいい。期限は三日。期限より先に終わっても報酬は満額払う。期限を過ぎれば減らす」


「……分かったよ」


 早く仕事が終わればそれだけ報酬が早く貰えるのだから、悪い話ではない。アレックスは不機嫌な表情で、でもなんとなく足取り軽く正門を出ていく。

 お庭には、私とシュヴァルツ様の二人きり。アレックスの背中が遠くなってから、将軍はゴホンと咳払いした。


「悪かったな。被害に遭ったのはミシェルなのに、勝手に俺があいつの処遇を決めて」


 ばつが悪そうに言う。


「いいえ。ちょっと擦りむいただけですし。ご飯も無事でしたから」


 私は買い物カゴを目の高さに上げて笑ってみせる。アレックスの言う通り、私が鈍くなかったら転ばなかったかもしれないもんね。


「俺のやり方は正しくないのだろうが……昔を思い出してな」


 将軍は柵の向こうからせっせとサビ止めを塗る少年に感慨深げに目を細める。

 ……シュヴァルツ様は幼い頃に家族を亡くされている。きっと、生きるために色々な経験をして……誰かに救われたりしてきたのだろう。


「世間的な正しさは知りませんが、私はシュヴァルツ様のお考えを支持します」


 理屈じゃなく、ただ絶対信頼を寄せる相手がいても、いいと思う。

 シュヴァルツ様は穏やかに表情を緩め、私の頭をぽんぽん撫でた。


「それにしても、夕飯が無事だったのは不幸中の幸いだったな」


 買い物カゴに目を落とししみじみ言う食いしん坊将軍に、私はえへんと胸を張る。


「頑張って死守しましたから!」


「……死守?」


 訝しむ彼に、私は鼻高々で、


「転びそうになった時、落とさないよう必死でカゴを抱えたんです。だから手を突けずに膝と肘を打っちゃったんですけど、お陰でご飯は無傷だったので……」


 私が意気揚々と語っている傍らで、シュヴァルツ様はどんどん眉を吊り上げて鬼の形相に変わっていき……、


「馬鹿者っ!!!」


 ……とうとう大噴火した!


「どうしてそんな馬鹿な真似をしたんだ!? 命より大事な物があるか! 一番にすべきことは身の安全の確保だ。金品を奪われそうになったらくれてやれ! ミシェルに何かあったら、俺は……っ」


 ギリリと奥歯を噛んで言葉を飲み込むと、踵を返して庭の奥へと消えていく。地面が抜けそうな足音からも、怒っているのが伝わってくる。


 ……また、やっちゃった……。


 善かれと思ってしたことが、逆鱗に触れてしまう。

 私はしょんぼり肩を落とした。

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