第79話 海へ(朝の砂浜1)
藍色の夜空に瞬く星が、東から白みゆく朝の空に溶けていく。
夕方はあんなに大雨だったのに、今は雲ひとつない。
私とシュヴァルツ様はさざなみの音を聴きながら、のんびりと白い砂の上を歩いていた。
夏とはいえ早朝の海は空気が冷えていて、私は昨日お土産に買ったキルトのストールを肩に掛けていた。
早い時間のせいか、海岸には人影がない。遠い沖に帆が見えるのは、漁船だろうか。
「お」
小さな声を上げて立ち止まるシュヴァルツ様に、私も傍らに足を止める。
空と海とを分ける水平線が黄金に輝き、ゆっくりと生まれたばかりの太陽が顔を出す。
無限に広がる海は泡の一粒まで煌めき、光の絨毯に変わる。
空も赤・紫・オレンジと複雑に色を混ぜながら、やがて見渡す限りの青へと染め上げていく。
荘厳な一日の始まり。
私はその幻想的な光景を息をするのも忘れて見入っていた。
この土地に住む人にとっては当たり前の景色。でも私にとっては初めての感動だ。そしてそれは……シュヴァルツ様にとっても。
「前線に居た頃は、太陽は山から昇るものだと思っていた」
徐々に高くなる朝日から目を離さず、シュヴァルツ様が呟く。
「王都は建物が多くて気づくと日が高かった。同じ太陽でも、見る角度で別の物のようだ」
角度に因って、違う面が見えてくる。それは人間関係にも似てますね。
「雨が降って良かったな。昨日帰っていたら、この朝日を見逃したことすら気づかず人生を送ることになっていたぞ」
「そうですね」
彼の大仰な台詞に笑みが零れる。
シュヴァルツ様のこういう前向きな考え方、すごくいいなって思います。
太陽はすっかり水平線を離れ、海は穏やかに凪いでいる。夜はいつの間にか西の彼方に去り、快晴の青空だ。
「では、旅荘に戻るか。腹が減った」
ぐんっと伸びをしたシュヴァルツ様に私はクスクス笑う。どこに行っても健康的ですね。
「旅荘の朝食は大食堂でビュッフェだって言ってましたよ」
「食べ放題か、全部食っていいのか?」
「規約的には問題ないと思いますが……できれば他のお客様の分も残していただければと」
ほどほどにしないと出禁になりかねませんから。
他愛もないお喋りをしながら波打ち際を歩いていると、
「わっ!」
急に押し寄せてきた大波に慌てて飛び退く。しかし、後ろに下げた足が泥濘んだ砂に滑って、
「わわっ!」
私は盛大にバランスを崩した。
ぐらりと揺れた身体が大きく仰け反る。背中からの転倒を覚悟した、刹那。ガシッと腕が掴まれた。
そのまま力強い手に抱きしめるように引き寄せられる。
「大丈夫か? どこか捻ってないか?」
心配げな声が降ってくる。
「は、はい。なんとも……」
さすが我が国最強の将軍、反射神経が半端ないです。お陰様でびしょ濡れ砂まみれを免れました。
「ありがとうございます。シュヴァ……」
顔を上げると、思ったより間近に迫った彼の瞳と目が合って、言いかけた声が止まってしまう。
わ……私、今、シュヴァルツ様に片腕で抱きしめられて胸の中にいる状態で……。
一瞬で昨夜のやり取りが頭に浮かんで、脳が破裂しそうになる。
「ミシェル?」
真っ赤になった私の顔を、彼が不安げに覗き込んでくる。
近いっ! 近いですって!
私の名を呼ぶ唇から零れた吐息が、頬を撫でる。
「……どうした、ミシェル?」
小首を傾げられると、更に顔が接近する。
ひ、ひぇ! ど、どうしよう……。
彼の眼の中に、潤んだ瞳で見上げる私の顔が映っている。
ゴクッと彼の喉仏が上下した。
「ミシェ……」
無骨に太い彼の指が。私の顎を掬い上げようとした……寸前。
「あ」
私は彼の肩越しに、奇妙な物を見つけた。
砂浜の端、ゴツゴツとした岩場にへばりついた黒いボロ布。打ちつける波に半ば沈みながら辛うじて尖った岩に引っかかっているそれは……!
認識した瞬間、私は咄嗟に叫んでいた。
「シュヴァルツ様、人が倒れています!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。