第77話 海へ(宿泊3)

 雲のように柔らかいベッドに体を沈ませながら、何度も目を閉じては睡魔を待って、諦めて瞼を上げる。

 豪華なプレジデンシャル・スイートは貴族屋敷の間取りを模した造りだけれど、私の実家やシュヴァルツ様のお屋敷よりもずっと高級な家具が置かれている。

 このベッドも枠はアンティークだが、マットレスは真新しくスプリングが利いている。


 ……シュヴァルツ様は本来、こういう大豪邸で何十人もの使用人にかしずかれて暮らすような方なんだよなぁ……。


 先程のやり取りを思い出すと、恥ずかしくて消えてしまいたくなる。

 私はシーツに頭まで包まって、広いベッドの中でジタバタする。

 目隠しに迫り出した壁の向こうからは、微かないびきが聴こえてくる。

 将軍はもうお休みになられたようだ。

 フカフカの羽枕の上で寝返りを打って、深い溜め息をつく。


(私はなんて愚かなのだろう)


 彼に言われるまで、私は男性と暮らすことの意味を理解していなかった。

 シュヴァルツ様は雇用主として最上級だ。

 働きに見合うかそれ以上の報酬をくれるし、何かと融通も利かせてくれる。

 住み込みであることで貞操の危機を感じたこともない。

 ごくたまにハグや頭を撫でたりはあるけど、合意の上のスキンシップだ。

 シュヴァルツ様は私の嫌がることはしない。

 むしろ……距離感を間違えていたのは、私の方だ。

 異性としても使用人としても、私は彼に近づきすぎた。

 私は彼に好感を持っている。

 認めてもらえるのは嬉しいし、辛い時は親身に話を聞いてくれた。

 でも……性的な情愛は? と訊かれると答えられない。

 シュヴァルツ様はご主人様で、私は使用人。その先を見ようとすると、思考が停止する。

 一緒に出掛けるのは楽しい。人混みで肩を引き寄せられると安心する。

 でも……それ以上は?

 灯りを落とした室内に、また大きなため息が零れる。

 私は多分、シュヴァルツ様に庇護者としての役割を望んでいたのだ。

 私に無関心だった父と比べていたのかもしれない。

 勝手に親近感を抱いて懐いて、いざそういう場面に遭遇したら、取り乱して「その気はなかった」って逃げるなんて……。


(私って、ものすごくズルくない?)


 今更ながら、自分の行いに頭を抱える。

 でも、シュヴァルツ様は私の言動を理解してくれていたし。

 そもそも、彼の方から要求されてすらいないし。

 それに、「女性と同じベッドに入れば」って言ってたから、私以外でもいいのだろうし。


「……」


 頭がごちゃごちゃする。

 母が亡くなって以来、まともに学校も行けなかった私の周りには同年代の子がいなかったから、私は恋愛経験はおろか恋の体験談すら耳にしたことが殆どない。

 唯一年の近い継姉とも、プライベートな話題なんて一切しなかったし……。

 こんな状況では、どう対処するのが正しいの? 誰か正解を教えて欲しい。


 ……このままずっと、時が止まってしまえばいいのに。


 私は纏まらない思考を胸の隅に押しやって、冴えた瞳をぎゅっと閉じた。

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