第75話 海へ(宿泊1)
大浴場で冷えた体を温め、露店で適当に買った服に着替える。
突然の大雨に追われた私達は近くの旅荘に身を寄せた。
この港街は観光地だけあって宿泊施設が多い。しかし、
「風呂のある宿で良かったな」
ドレッサーの前で洗い髪を櫛で梳いていると、シュヴァルツ様が入ってきた。その出で立ちは今朝着てきた麻のチュニックではなく、目に鮮やかな赤地に無数のサメが泳ぐ模様の前開きシャツ。彼の体格に合う服がこれしか売っていなかったのですが……。厳つい風貌にド派手な柄が負けてなくてよくお似合いです。
「街道はやはり水浸しで馬車が通るのは難しいそうだ」
「そうですか」
窓の外の雨はすでに小振りになっている。短時間に集中して降るのが、この地方の季節雨の特徴だという。
まだ日暮れ前のはずだが、雲に覆われた空は暗い。視界の悪いぬかるんだ道を馬車で移動するのは危険だ。無理せず宿を取ったシュヴァルツの決断は正しい。……だけど。
「すみません。私が誘ったばっかりに、こんな場所で足止めされてしまって。明日はお仕事もあるのに……」
しょんぼり肩を落とす私に、彼は不思議そうに、
「ミシェルは天候を操れるのか?」
「へ?」
なんでそんなこと訊くの?
「いえ、無理ですけど……」
首を振る私に、シュヴァルツは鷹揚に答える。
「ならばこの雨はミシェルのせいではないだろう。自分にどうにもならないことまで責任を感じるな。過ぎたことより次の手を考えろ」
「……はい」
実家の人達は、私のいない場所で石につまずいても私のせいだと詰ってきたのに……。シュヴァルツ様と話していると、いつも心が軽くなる。
「あと、俺は明日も仕事休みだから気にするな」
「え?」
「うちの補佐官がせっかくだから夏休みも取っておけって今日から一週間休暇届出してた」
こんなことなら軍の保養所も押さえておいて貰うんだったなとぼやく将軍。
……
「まあ、無事部屋も取れたし、野宿にならずに済んで運が良かった」
シュヴァルツ様は壁に備え付けの棚からウィスキーのボトルを出して、手酌で飲み始める。
「部屋にあるものは好きに飲み食いしていいと受付で言っていたぞ」
「は、はあ……」
芸術的に盛られたウェルカムフルーツのリンゴを皮も剥かず齧るシュヴァルツに気後れしてしまう。
見渡すと、ワンフロア全部を使った広々とした室内には、革張りの応接セットや脚の高いダイニングテーブル。一つ続きの
……プ……プレジデンシャル・スイート……!!
もー、部屋入った瞬間、眩暈がしましたよ!
いくら空き室がここしかなかったからって、雨宿りのために最上級の部屋を取りますか? 普通!?
一泊いくらするんだろう? 馬車よりは安いと思うけど、せっかく出費を抑えた旅行を計画したのに最後の最後に巨大な落とし穴が待っていましたよ!
いえ、シュヴァルツ様は地位のあるお方だから、このくらいのお部屋がふさわしいのですが。
……私一人なら、雨風を凌ぐくらい納屋で十分だったのにっ。
「どうした? ミシェル。食わないのか?」
「……後程いただきます」
瀟洒なシャンデリアの下で自宅のように寛ぐ金銭感覚の豪快なご主人様に、貧乏性の私はこっそり頭を抱えて蹲った。
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