第70話 海へ(遊覧船3)

 彼らの仕事はいつも簡単だった。

 いつものように小島の影から遊覧船が通るのを待ち、いつものように小舟で近づき、いつものように遊覧船に乗り込み制圧し、乗客から金品を奪って逃げる。

 ――それが、彼ら『海賊団』の通常業務だ。

 広大な海の上。武器で脅されれば相手に逃げ場はない。死にたくなければ大人しく従うしかない。

 実にチョロい商売だ。

 今日もさっさと仕事を終わらせ、戦利品を元手に酒場でいい女を侍らせ酔い明かす。

 そのつもりだったのだが……。


◇ ◆ ◇ ◆


 いつの間にか遊覧船の右側に接近していた小舟から、鉤縄が投げられる。

 船縁に掛かった縄を伝い、男がひらりと遊覧船に飛び移った。

 ドクロマークのアイパッチにスキンヘッド、タンクトップがはち切れそうなほど筋骨隆々な彼は、絵に描いたような『海賊』だ。

 船上パーティーに相応しくない風情の闖入者に、乗客は目を見張って息を呑む。

 海賊はこれみよがしに、湾曲した巨大なナイフの刃を舐めた。


「お前ら、大人しくしろ! この船は俺達海賊団が乗っ取った! おおっと、抵抗したって無駄だぞ。俺達には仲間がいるんだ。なぁに、素直に言うことをきけば無事に陸に帰れるさ。この麻袋に財布とアクセサリーを全部詰めろ。お嬢ちゃんのそのキラキラしたイヤリングもな。逆らうとサメの餌だぞ。グズグズするな、とっととやれ!」


 海賊はそうやっていつもの脅し文句を怯える乗客に叩きつけるはずだった。……多分。

 でも、今日はそうはならなかった。

 アイパッチは、


「お」


 と口を開いた瞬間。

 遥か彼方に消えていた。

 いや、比喩表現ではなく、物理的に。

 海賊の足が遊覧船の床に着地した刹那、シュヴァルツ様が猛然と男に突き上げるような体当たりを仕掛け、そのまま海へと吹っ飛ばしたのだ!

 男は綺麗な放物線を描いて乗ってきた小舟を超えた先まで飛んでいくと、ドプンと激しい白波に掻き消えた。

 あまりの出来事に、乗客はおろか仲間の海賊まで呆然と動きを止める。

 そして……我が国最強の英傑は、その一瞬を見逃さない。

 もう一人、船縁に手を掛けていた細身の海賊を片手で引き剥がすと、大空へとぶん投げた。


「こ、この……っ、ぐはっ!」


 続いて乗り込んできた長髪の海賊には、振り返りもせず靴底で強烈な蹴りを叩き込む。

 長髪が痛みに悶絶している間に、シュヴァルツ様は次に縄を渡ろうとしていた男を顔面パンチで撃沈させ、アイパッチから奪っていたナイフで遊覧船と海賊船を繋いでいる鉤爪つきロープを一刀両断した。

 ひえ! あの縄、私の手首くらいの太さがあるのに!

 船首の細い速度重視の小型船に乗っていた海賊は目視できるだけで九人。すでに半数近くが戦闘不能だ。


「くそっ! てめえ!」


 小型船に残っていた五人の海賊が各々に素焼きの瓶を振り上げ弓を構える。瓶の中身はきっと可燃性の高い油だ。船体にぶつけて火矢を掛けるつもりだろう。

 逃げ場のない船上で火事が起こったら……!

 しかし、戦慄する乗員乗客にもシュヴァルツ様は動じない。

 武装した小舟の海賊達を睨みつけたまま、将軍は未だ甲板で呻いている長髪の海賊の髪を掴み船縁に立たせた。


「この船を追うな。さすれば程よい場所でこの者を解放する」


 氷の刃のようなシュヴァルツ様の声に、小舟の海賊達は動揺する。

 彼らの返事を待たず、シュヴァルツ様は操舵席を振り返った。


「船長、船を出せ」


 ハッと我に返った船長が船員に指示を出す。


「ほ、帆を上げろ! 港へ急げ!」


 三角帆が風を受け、遊覧船が走り出す。

 海賊船は追ってこない。小さな高速艇が目視できなくなる寸前、シュヴァルツ様は人質の海賊を海に突き落とした。

 ……がんばって仲間と合流してね。サメの多い海域らしいけど……。

 ひと仕事終えたシュヴァルツ様は、パンパンと手を払って踵を返す。そして、言いつけ通りマストの近くで待機していた私に声を――


「素晴らしい! 君は英雄だ!」


 ――る前に、大勢の人々に取り囲まれる。


「ありがとう! あなたは命の恩人よ!」


「ああ、神よ! 感謝します!」


「ぜひお名前を!」


 溢れる拍手と喝采。

 一瞬にして戦況を掌握する能力。それが英雄だ。


 ……海賊の誤算は、この船にシュヴァルツ・ガスターギュが乗っていたことだ。


 本当に、私のご主人様はすごい人なんだ……。

 乗員乗客総出で称賛を浴びるシュヴァルツ様を、私は離れた場所から静かに見守り続けていた。

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