第58話 ビスコッティ

 晴れた休日は、お庭の整備をします。

 午前中はシュヴァルツ様と一緒に草むしりして花壇に苗を植え、午後からは「不用意に歩き回られると危険だから邸内に入ってろ」とのことなので、私はお屋敷で自由時間。

 ……一体、どんな作業してるんだろう……?

 せっかくなので、空いた時間でお菓子を作ります。

 ボウルで小麦粉と砂糖とベーキングパウダーを混ぜて、更に卵とバターを加えてまぜまぜ。最後にナッツも投入。


「何してるんだ?」


 オーブンを予熱していると、シュヴァルツ様が厨房にひょっこり顔を出す。


「お疲れ様です。お庭仕事は終わったんですか?」


「キリの良いところまではな」


 彼はタオルで首筋の汗を拭いながら、


「あ、外に出る時は、玄関から門に続く石敷きの通路以外歩くなよ。落ちるから」


 お……落ちる?


「ミシェルだと這い上がれないだろう」


 ……どんだけ深いんですか?

 後で罠を仕掛けた場所の地図を描いてもらおう。


「今、お菓子を作ってたんです。お茶を淹れますから、居間で待ってて下さい」


 ご主人様を厨房に立たせたままじゃ申し訳ないと思ったのだけど、


「ここで見ていていいか?」


「ええ、どうぞ」


 物作りが好きなシュヴァルツ様は、料理風景を眺めるのも楽しいらしい。スツールを持ってきて作業台の前に座る彼に、私も止めていた手を再び動かす。

 材料を混ぜた生地を一纏めにしていると、横から何やら気配がした。

 振り返ると、そこには作業台の下から伸びるシュヴァルツ様の指が!

 甘い匂いに誘われたのだろう。生地をつまみ獲ろうとする手に、私は咄嗟に生地の塊を持ち上げ「いけませんっ!」と叫んだ。

 こんなに激昂されるとは思っていなかったのだろう。天下の大将軍はびっくり眼で、


「す、すまん。美味そうだったから、つい……」


 と狼狽えながら謝罪する。しかし、私はつまみ食いを怒ったわけではありません。


「生の小麦粉は危険なんです。火を通さずに食べたらお腹壊しますよ!」


 眉を吊り上げ訴える私に、彼は冷水を浴びたようなショックを受けた。


「なんと……小麦粉は生で食べてはいけなかったのか」


 悄然と呟く。


「昔、前線砦で腹が減った時に貯蔵庫から小麦粉を一掴みちょろまかして水で練って食った後、えげつない腹の下し方をしたのだが……そのせいだったのか」


 何やってるんですか、将軍。


「どうして焼く手間を惜しんじゃったんですか?」


「火を使うと煙でバレるから」


 ……つまみ食いも命懸けですね。良い子は真似しちゃダメですよ。

 こちらのお菓子は十分加熱致します。

 一纏めにした生地を楕円形の伸ばしてオーブンへ。


「いい匂いだな!」


「まだ、もうひと手間ですよ」


 待ちきれないという顔のシュヴァルツ様に苦笑して、私は焼き上がった生地をオーブンから取り出す。

 粗熱が取れたら細長く切って、断面を上にして並べて再度にオーブンへ。


「二回焼くのか」


「ビスコッティという焼き菓子です」


 カントッチョとも呼びますね。


「二回焼くので、水分が飛んで日持ちが良くなるんです。たくさん作ったので、職場にも持って行って下さいね」


「それはありがたい」


 シュヴァルツ様は出来たての長細い半月型のビスコッティをしげしげ眺めてから、パクリと齧りつく。


かたっ! でも美味いな」


「コーヒーや紅茶、ワインに浸して食べても美味しいんですよ」


 私はグリルにかけていたケトルを持ち上げ、ティーポットに注ぐ。

 狭い厨房でビスコッティを囲んで、細やかなお茶会。


「この硬さ、軍の携帯食を思い出すな」


 ゴリゴリとナッツたっぷりの焼き菓子を噛み砕きながら、シュヴァルツ様が感慨深げに言う。


「どんな食品だったんですか?」


「穀類を焼き固めた物だ。硬くて不味くて口の中の水分が全て奪われた」


 口をへの字に曲げる様子からも、相当酷い味だったらしい。


「それは散々でしたね。でも、これからは美味しくなりますね」


 私の言葉に、彼ははて? と首を捻る。


「何故、そう思う?」


 聞き返されて、私もあれ? と首を傾げる。


「だって、シュヴァルツ様は軍部の偉い方なのでしょう? ご飯を美味しくすることもできるのでは?」


「……あ」


 彼は目から鱗、というように呟いた。


「そうか。王都へ召還されてから、国王陛下に前線での知識を活かしてくれと頼まれ、治水工事や補給線の確保、駐屯地の増設を進めてきたが……。糧食の味も改善してもいいのか。戦闘糧食は不味くて当たり前という固定観念があった」


 ……王都に来てすぐの頃のシュヴァルツ様の食事姿を思い出すと、無頓着さが窺えますね。


「俺は戦いしか知らない人間だから、平和な王都でできることなど何もないと思っていたが……。末端だったからこそ、できることもありそうだ」


 ニヤリと口角を上げる彼は、英傑の風格だ。

 本当は引退したかったというシュヴァルツ様。新しい職場でやりがいを見つけられるといいですね。

 シュヴァルツ様は私の方を向くと、穏やかに目を細めた。


「ミシェルは凄いな。いつも俺にない視点をくれる」


「そ、それほどでも……」


 想像もしていなかった側面から褒められ、私の頬は熱くなる。


 ……私も、貴方に色々影響されていますよ。

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