第18話 休日(1)

 ちゃぷんをお湯の跳ねる音が心地好い。


「ふう……」


 私はため息とともに浴槽の中で腕と足を伸ばした。

 ここは街の公衆浴場。この国には個人宅にはお風呂がなく、皆、公衆浴場に通います。一応、朝から夕方まで営業していますが、午前中に入りに来る人が多いです。

 私もいつもはシュヴァルツ様を送り出してからお風呂に行って、それからおうちの家事を始めています。使用人たるもの、身嗜みは大事。清潔にしておかないとご主人様に不快な思いをさせますからね。

 因みに、シュヴァルツ様は仕事終わりに軍施設の共同浴場で入ってくるのだそうです。

 普段は仕事があるから素早く体を洗って上がるけど、今日は肩まで浸かってのんびりお湯を堪能する。

 だって、今日は休日だから!

 週に一度の国の定めた休養日。官庁が――当然シュヴァルツ様も――お休みの日に、彼は「ミシェルも家のことを一切やるな」と命じました。


「仕事はメリハリが肝心だ。休養日はしっかり休んで、平日を乗り切る英気を養え」


 というのが、シュヴァルツ様のお言葉。

 なので、今日は洗濯も掃除もなしで、食事も外食かテイクアウトです。

 朝ご飯も昨日の残りのパンだけでいいと言われて卵も焼かせてもらえなかったので……ちょっぴり手持ち無沙汰です。

 ……私、働いてないと何していいか解らない人間なんだ……。

 実家では、休む間もなく何かしら言いつけられていたからなぁ。もっと、自分で考えられるようにならないと。

 ということで、家にいるとうっかりお掃除を始めちゃいそうなので、街に出ました。

 休養日は学生やお勤めの人が休みな分、市場は平日とは違った人出で混雑している。

 お小遣いはたっぷりあるから、とりあえず自分の服や日用品を買い足して、あとはシュヴァルツ様への贈り物を探そう。将軍は何が好きなのかな? 趣味とか全然知らないや。

 色々考えながら歩いていると、


「お嬢さん、ハンカチ落としましたよ」


 不意に声を掛けられた。振り返ると、爽やかそうな青年が私に見慣れない花柄のハンカチを差し出している。


「それ、私のじゃないです」


「あれ? 違ったのか」


 彼はいそいそとズボンのポケットにハンカチを仕舞って、


「でも、せっかく知り合えたんだし、偶然に感謝だね! 君、ここらへんの子? お茶でもどう?」


 突然ぐいぐい来られて、私は思わず後退る。あ、これ、ナンパだったんだ。


「いえ、結構です。急いでますので」


 本当は全然急いでませんが。


「そう? さっきから見てたけど、暇そうにお店眺めてたじゃん。買い物付き合うよ?」


 わあ、見られてた! ちょっと怖い。


「いえ、本当に大丈夫ですから」


「いいじゃん、行こうよ。楽しいよ」


 ぎゅっと手首を掴まれる。


「やだ……」


 私が必死で振りほどこうとした、その時。


「何してる?」


 不意に頭上がかげった。

 振り仰ぐと、そこには巨木のような……シュヴァルツ様。


「俺の連れに何のようだ?」


 歴戦の英雄の地の這うような重低音に、ナンパ青年の顔は青を通り過ぎて真っ白になる。


「なななんでも、しつ、しつれい、しま……!」


 恐怖に舌が回らず、青年は転げるように逃げていく。

 ……何もしていないのに、すごい破壊力です。

 見上げる私に、彼はバツが悪気に後頭部を掻いて、


「……邪魔したか?」


「いいえ! すごく助かりました!」


 私は思わずシュヴァルツ様を拝んでしまう。


「でも、どうしてここに?」


 寝起きの悪いシュヴァルツ様は、私が家を出た時はまだ自室でお休みだったのに。


「小腹が空いたから、何か食いに来た」


 今はお昼時。家に何も用意してなかったから、外食しに出てきたらしい。


「そうだったんですか」


 それなら一緒にお食事でもと言いたいところだけど。今日はお互いに休日で自由行動だから、誘わない方がいいのかな?

 シュヴァルツ様も独りの休日を楽しみたいよね。


「では、私はこれで……」


 挨拶して立ち去ろうとした私は、ふと、シュヴァルツ様がどこかを凝視しているのに気かついた。

 視線を辿ると……そこはログハウス風の可愛い外観のカフェテリアだった。オープンテラスでは、私と同年代の女の子達がフルーツパフェを頬張っている。

 ……えーと。


「シュヴァルツ様、喉が渇きませんか? あのお店で休んでいきましょう」


 私がカフェテリアを指差すと、将軍は「うぇ!?」と動揺の声を上げた。


「いや、まあ……ミシェルがそこまで言うなら……」


 そこまでは言ってませんが、流れに乗っておきましょう。


「是非お願いします!」


 渋々という体の将軍を連れて、私はカフェテリアに入った。

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