26.再会
星が瞬く。
美しくも見えるその場所に終わりはなく、ただどこまでも星闇が広がっているばかり。
わたしが座り込んでいる床でも星が輝いて、どこが空でどこが地なのか、その境界も曖昧だった。
「久しぶりね、ロズ。元気にしていたかしら?」
茨が作る椅子に腰掛け艶美に微笑むのは、ルダ=レンツィオ王国の第一王女であられるピアニー様だ。あの王城で別れた以来だけれど、お人形のように美しいその美貌は変わっていない。
艶やかに真っ直ぐ流れる金色の髪も、深くて濃い青色の瞳も、薄く紅色に色付いた唇も。とても美しいのに、同じだけ恐怖を感じてしまうのは……わたしの体の奥底に痛みと恐怖が刻み込まれているからかもしれない。
「お前はわたくしのものなのに、全身から他の男の魔力を匂い立たせるだなんて悪い子ね。……お前の呪いを解く為に、解呪式を魔力と共に流し込んでいるのでしょう。さすがは皇国、魔術にも武術にも秀でた国だわ」
何も言う事が出来ないわたしを気にした様子もなく、ピアニー様は形の良い眉を下げて溜息をつく。ほっそりとした手を頬にあてながら、ゆっくりと華奢な足を組み替えた。
「お前は皇国で奴隷になるか、慰み者として甚振られるか……そのどちらかだと思っていたのに。堕ちるところまで堕ちたとしても、お前はそれでもグラナティスの為に生き延びようとするでしょう。そんな惨めに落ちぶれたお前と会うのを楽しみにしていたのよ、わたくし」
ピアニー様の椅子から伸びた茨が、わたしの両手を拘束する。首にも細い茨が絡みついてはゆっくりと首を絞め上げてくる。
「ねぇロズ、皇国での暮らしは幸せだったでしょう。森に実る宝石を見ていればわかるわ。艶めいて大振りで、お前がどれだけ満たされているのか。それを見たグラナティスの残党なんて涙を流して喜んでいたくらいよ」
「か、は……っ」
息苦しさに声が出ない。漏れるのは噎せたような細い息ばかり。このまま死んでしまうのかと思った瞬間に茨が緩められ、荒い呼吸も零すわたしを見てはピアニー様は笑うばかりだ。
そしてまた締め付けられ、遊ばれるように解放される。
「でもその幸せも、もう終わり。お前はずっとこの場所に居るのよ。胸に宿した幸せな思い出も色褪せて消えてしまうほどの、悠久の闇の中に」
思い出……リアム様の事も忘れてしまう? そんなの出来るわけがない。忘れたくなんてない。
これから先に何があっても、リアム様との思い出や、リアム様への恋心が胸にあれば耐えれると思っていたのだから。気付けばわたしは首を何度も横に振っていた。
「暗いのは嫌いかしら? じゃあ特別よ」
ふふ、っと鈴鳴る声で笑ったピアニー様が指先を振ると、天に大きな熱量が生まれる──太陽だ。それを認識した瞬間、強い日差しがわたしの肌を焼く。
「ああああっ!」
耐える事の出来ない痛みに叫んでしまうと、ピアニー様が満足そうに笑ったのが聞こえた。広がる痛みと爛れる臭いに涙が溢れる。逃れたくても両腕を拘束されて叶わない。顔を背けたくても、首に絡まる茨がそれを許してくれなかった。
パチン、と指が鳴らされる。その瞬間に煌々と空間を照らしていた太陽は一瞬にして消えてしまい、焼かれたわたしの肌も癒されていく。痛みも遠くに消えてしまって、残るのはただただ恐ろしいと思う、その気持ちだけだった。
「この場所はわたくしのものだもの、これくらい簡単な事よ。だから……お前の心を壊すのに何だって出来てしまうの。痛みだけじゃない、お前の大切にしている者が死ぬ様だって見せてあげられる」
「そんな……」
「ここに居れば、心を失った体は死んでしまう。そうしたら、お前の心を宝石の中に閉じ込めて持ち歩くのも素敵ね。ロズ、お前が誰のものなのか、その心にしっかりと焼き付けてあげなくては」
体が震える。またあの痛みを繰り返される? それだけじゃない。目の前で大事な人が死んでいく恐ろしい姿を見せられる?
逃げる事は出来ない。助けも来ない。これからを思うと恐ろしさに涙が溢れる。
それでも……負けたくないと思った。
「わたしはピアニー様の思う通りにはなりません。わたしは……ピアニー様のものではありません」
「……ロズ? まだ躾が足りなかったかしら」
「あなたの力の源は、畏怖される事。負の感情を糧にあなたは力を得ているのでしょう。わたしはそれを乗り越えてみせる。どれだけ辛い思いをしても、この身が苛まれても、わたしは……あなたに屈しません」
ピアニー様の顔が怒りで歪む。ぐっと拳を握るとわたしに絡みついていた茨がその力を急激に強めた。息が出来なくて目の前が暗くなる。呼吸の代わりに漏れた呻きが響いて落ちた。
「許さない。お前はわたくしを恐れていればいいの。わたくしに跪いていれば、それでいいのよ」
茨の締め付けがきつくなる。このままだと窒息するよりも、骨を折られる方が先かもしれない。
わたしがここで死んでしまっても、きっとリアム様はグラナティスを解放する為に動いて下さるだろう。
でも、叶うならひとつだけ。──ありがとうと伝えたかった。
視界が黒く染まっていく。もう痛みも感じない。
「遅くなった」
低音と共にわたしを包んだ力強い温もりは、慣れたパルファムの香りを纏っていた。
ザン、と独特の音が響く。
その瞬間に拘束が緩み、一気に息を吸い込むけれど息苦しさに盛大に噎せてしまう。胸に両手を当てて何とか呼吸を整えた。
「大丈夫か」
わたしを抱く腕。焦りを含む低い声。
振り返るとそこに居たのは、紛れもなくリアム様だった。
「リアム、さま……」
「帰るぞ」
「え、あの……どうやって……って、角! リアム様の角が……」
「気にするところはそこか。いいから帰るぞ。長居したい場所じゃない」
もう会えないと思っていた。それなのに、助けに来てくれた。
胸の奥が締め付けられて、安堵感とか喜びだとか困惑だとか、様々な感情が心の奥で混ぜ合わされてどうしていいのか分からない。
「あら、誰かと思えばフェルザー将軍ですのね。わたくし知っていますわよ……あなたがわたくしのロズに魔力を注いでいるという事を」
「ふざけるな。シェリルはもう俺のものだ」
「いけない人……あなたも捕らえて躾けてあげなくてはいけないのかしら」
「出来るものならな、クソ王女」
ピアニー様の顔から表情が消えるけれど、その体は怒りに小さく震えている。片手を伸ばすと黒い光が収縮し、そこに現れたのは黒い六枚の羽を持った精霊だった。全体的に蒼白い色彩の精霊は、唇を笑みに歪めているけれど今にも耳まで裂けてしまいそう。清廉さを感じられない、ただただ不気味な存在だった。
「闇に堕ちた精霊か。それが……貴様の呪術の源だな」
「絶対に逃がさない。お前達は二人ともわたくしに膝をつくがいいわ」
精霊が哄笑を響かせるけれど、その声はひどく
ピアニー様が手を振ると、同じように精霊も両手を振る。一瞬にして現れたのはわたしの身の丈ほどもある大きな炎。勢いを増してわたし達へと向かってくる熱量は、まるで太陽を思わせて息が出来ない。
しかしリアム様はその口元に薄く笑みを浮かべるだけだった。炎が迫るその刹那に一陣の風が吹き荒ぶ。その風は刃となって炎を切り裂き、後には何も残らなかった。
「わたくしの炎が……!」
「なめて貰ってはこまる。これでも軍では不敗でね」
悔しそうに顔を歪めるピアニー様をよそに、リアム様は踵をひとつ床に打ち付けた。紫色の穏やかな光が円となってわたし達を囲んでいく。
「シェリルの呪いは必ず解く。貴様の思い通りには、俺がさせない」
そうリアム様が言い切るのを合図にしたように、光は柱となって立ち上る。そして、弾けた。「もう大丈夫だ」と優しい声が響く。それに頷く事しか出来ずに、わたしはリアム様へと体を預けたまま眠りの中へと落ちていった。
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