冒険者における最大のタブー


 ブロンゼフさんが葛城を殴り飛ばした。

 体験学習会において参加者達の負傷は極力回避する方針で進めていた中で、ギルドマスターである彼がそれを破った事実に驚きを隠せない。

 その光景を目にした誰もが言葉を失くして立ち尽くしてしまう。 


「ちょっとバーディス……」

「責任は俺が持つ。まぁ事情が事情だから平気だろ、多分」

「多分って……ハァ」


 唯一動いたストレーナさんがやんわりと注意するけれど、ブロンゼフさんの楽観的な返答に呆れてため息をつく。


 一方で殴られた葛城は左頬を手で押さえながら、ブロンゼフさんへ非難の眼差しを向ける。


「い゛っでぇー……よくも殴りやがったなおっさん! 体罰とか最低だぞ!」

「うるせー。俺が本気で殴ってたらテメェの頭なんて木っ端微塵だったんだぞ? 手加減した一発だけで済ませてやったんだから感謝して欲しいくらいだ。何せ本来なら殺されてもおかしくねぇ真似しでかしたんだからな」

「こ、殺されるって、なんでだよ!?」


 そう吐き捨てたブロンゼフさんに対し、葛城は意味が分からないという表情で狼狽える。

 ましてや先の一撃で自らの人生が終わっていただろう恐怖も混じり、顔色は真っ青に染まっていた。


 そんな葛城の非難に然したる動揺を見せないままブロンゼフさんが続ける。


「伊鞘のことも結構好き放題言ってたが、とどのつまりアレだろ? テメェ、アイツのことが羨ましいってだけじゃねぇか」


 だがな、とブロンゼフさんは言葉を一度句切る。


「テメェには無理だ」

「おい、勝手に決め付けんなよ!」

「いいや断言してやる。少なくとも冒険者にとって最大のタブーを犯した時点で、伊鞘と比べるまでもなく失格だからな」

「た、タブーってそんなの聞いてねぇぞ!?」


 そういった規則があるならどうして早く教えてくれなかったのか。

 寝耳に水という風に狼狽する葛城に、ブロンゼフさんは頭を掻きながら唾棄するように告げた。


「わざわざ言うまでもないだろ。がタブー以外のなんだっていうんだ」

「……!」


 常識だろうと答えられた葛城が愕然と共に目を丸くする。

 けど納得がいかないのか、青ざめた顔色のまま眉を顰めて口を開く。 


「し、仕方ねぇだろ! あんな化け物からさっさと逃げなきゃ死ぬかもしれなかったんだぞ!? ほら、死んだらそこで終わりだって言ってただろ? 命優先して何が悪いんだよ!!?」


 まだ自分に非はないと言い逃れようとしているのか。

 ここまで来てしぶとい自己保身には呆れるばかりだ。


 聞いているだけで沸き上がる苛立ちを押さえていると、ブロンゼフさんは腕を組んで賛同するように大仰に頷いて見せる。


「確かにその言い分は自体は間違ってねぇな。冒険者ってのは、必要に駆られれば逃走する時もある」

「な? だからさ──」

「だが逃走そいつは取れる手を尽くした上での最終手段だ。初っぱなから逃げたテメェに関してはただの腰抜けでしかねぇぞ」

「はぁっ!?」


 一部分の肯定をされて乗ろうとした図を外され、葛城が心外だと言わんばかりに声を荒げる。


「オレだけ悪いってのかよ!? 逃げたのはソイツらだって同じだろ!」

「前提が違う。あの三人はタトリちゃんの指示を受けて逃がされたんだ。ガイアドラゴンが暴れた原因と状況の報告を託してな。一人で勝手に逃げたヤツと一緒にすんな」


 冒険者に限らず、あらゆる面において情報というのは強力な武器だ。

 一つでも持ち帰ることが出来れば、後続にとって非常に心強いアドバンテージになる。

 実際に三人はガイアドラゴンが起こった原因と、フェアリンさんが囮になったという情報を持って来てくれた。


 対する葛城は自分のために逃げた上、保身のために嘘まで付く始末だ。

 彼らと一緒くたにする理由はどこにもない。


「っま、命はあってもタブーを犯した以上、テメェはもう冒険者として大成するどころか、その資格すら手に入らないことは確定だがな」

「な、なんでだよ! それじゃ学習会に参加した意味が無くなるだろ!?」

「まだ分かんねぇのか? いや、分かってたらそもそもしねぇか」


 冒険者にはなれないと断言されて困惑を隠せない葛城に、ブロンゼフさんは呆れを露わにしながら続ける。


「この学習会中における経過内容はギルド内で報告、共有するつもりだ。当然、今回の騒動はもちろんテメェのやらかしもな。前例から鑑みてもブラックリスト入りは確かだ。後日、冒険者証を発行をしようとしても門前払いされるだろう」

「そ、そこまでするのか!?」

「殺されないだけマシだって言っただろ。ついで言っとくが仮にどうにかして冒険者になれても、テメェをパーティーに入れるヤツなんざいねぇぞ」

「は? どういうことだよ……?」

「そりゃテメェがやったことが他の冒険者や支部の受付にも広まるからだよ。その上で分かりやすく教えてやる」


 そこでブロンゼフさん一度言葉を止め、一切の反論を許さないような威圧感を放ちながら言う。

 葛城が犯したタブーによる最大の代償を。



「──いざって時に仲間を見捨てて逃げるようなヤツと、誰が組みたいなんて思うんだ?」

「……ぁ」


 その断言を受けた葛城はようやく理解が及んだようで、反抗心で強張っていた表情が脱力していった。

 言葉にされるまでその可能性にまるで考えが至らなかったらしい。


「強敵を前にした瞬間に逃げて勝手に囮をさせられるかもしれない、依頼された採取物を隠し持って報酬を独り占めするかもしれない、盗賊と対峙したら後ろから刺してくるかもしれない……ざっと端的に挙げただけでも、こんなリスクを背負うハメになるんだ。そりゃ誰だって抱えたくねぇだろ」

「も、もうそんなことは……」

「二度としませんなんて、口先だけで言われて信じられるかってんだ。いいか? テメェが犯したタブーは冒険者が命よりも失くしちゃいけねぇ大事な実績……依頼人やギルドからの信用をマイナスにまで突き落とすようなことなんだよ」

「……」


 現にブロンゼフさんからの信用を失くした物言いを前に、葛城はついに反論する口を閉ざす。


 それは奇しくも先日、伊鞘君から聞いた冒険者にとって大事なことと同じ言葉だった。

 信用が無ければどんなに優秀な能力を持っていようとも、依頼が回って来ることもパーティーの誘いも無くなる。

 そんな状況では伊鞘君のように冒険者として大成するのは不可能に等しい。

 失くした信頼を取り戻すために実績を上げたくとも、その肝心の依頼が無いのだから。


 そしてそれは冒険者だけに限った話ではない。


 地球の社会人はもちろん著名人でも一度信用を損なえば、仕事を失う上に世間やSNSでのバッシングに晒されている。

 それまでどれだけ善い行いに努めていようとも泡のように消えてしまうのだ。


 異世界において特に分かりやすいのは半吸血鬼ヴァンピールだろう。

 平和になって三十年も経った今もなお、魔王の使徒と呼ばれ忌み嫌われているのだ。

 未だに根強い恐怖と恨みは同種になった私にも向けられる程で、完全に払拭するにはまだまだ途方も無い時間が掛かる。


 果たして葛城がマイナスになった信用をゼロに、もっと先のプラスに戻せるかというと……とても出来るとは思えない。

 私がそう感じたのも、まさに信用を失くした証左と言えるだろう。


 そういう意味では伊鞘君が積み上げてきた信用の大きさに感心する他ない。

 両親によって勝手に登録させられたにも関わらず、S級冒険者として認められるだけの実力と信用を重ねた彼の努力は運や不正などでは決して成し得ないのだと。


 また一つ好きな人の素敵な部分に触れて嬉しく思っていると、話を静観していたレイラ様が前に出てきた。


「葛城くん。今回の件は学習会を依頼した生徒会としても看過出来そうにないよ。生徒指導の先生に報告して、向こうでも処罰を受けてもらうからそのつもりでね」

「! ……ぅ」


 生徒会長から告げられた宣告に葛城はぐうの音すら出せずに項垂れるしかなかった。

 危うく人命を損なう事態に発展させたのだから、異世界だけでなく地球でも罰が齎されるのは当然だ。


 命あっての物種だと主張していたが、これからの人生を思うと素直にその通りだとは思えそうに無い。

 とはいえそこは葛城自身が解決するべき問題であり、私達には関係のないことである。


 私にとって目下の懸念事項は二つ。

 フェアリンさんの無事と、伊鞘君の帰還だけだ。

 二人が無事に戻って来た時、私に出来ることをするために。


「よしっ。バカへの説教も終わったところで参加者達にはひとまず街に戻って貰う。日も暮れ始めてるし、このまま野営しようにもドラゴンが気になってそれどころじゃねぇだろうからな」


 ブロンゼフさんの指示に逆らう人は誰もおらず、参加者達は浮かない顔だったり何やら思案気味だったり、様々な表情を浮かべながらも待機させていた馬車へと乗り込んでいった。

 先の説教で何かしら思うところがあったのかも知れない。


 気にはなるが今は他に集中するべき事があると意識を切り替える。


「俺とクレネア、サクラとリリスの嬢ちゃん達はこのままここで野営して伊鞘とタトリちゃんの帰りを待つ。なんなら二人にも戻って貰いたいんだが──」

「まさか。伊鞘君恋人を置いて帰るなんて出来るワケがありません」

「一人だけ逃げた人の説教の後でぇ~、指示されたからって似たようなことしたくないもぉん」

「……悪い。くだらねぇことは忘れてくれ」


 私達の返答にブロンゼフさんは僅かに虚を衝かれたような面持ちになったが、すぐに首を横に振ってその先を口にしなかった。


 こちらの身の安全を慮ってくれたのはありがたいが、待つのならせめて近い場所が良い。

 現時点で最高峰の安全を確保して貰っているのだから、それ以上甘えては伊鞘君の恋人として面目が立たなくなる。


 ただ恐らくだが彼は、私達が残るということを予想していたのかもしれない。

 でなければ自分とストレーナさんも待つだなんて言わないだろう。


「ったく……こんな可愛い子達に信頼されてるなんて、百発殴っても足りねぇくらいに羨ましいじゃねぇか。バカ弟子が」


 照れ隠しなのか何やら憎まれ口が聞こえてきた。

 素直でない不器用な信頼に微笑ましく思いながら、私達は野営の準備を始めるのだった……。


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