第66話 66 遅れてきてみれば

 寮には現生徒会長が愛する家庭菜園が設けられており、太く立派な大根は地面から顔を出して、今か今かと収穫を待ち侘びている。


 松明を持ち、その近くを通ったと思われる足跡を確認して、マルクは焦りで汗を滲ませる。


 生徒会副会長を務めるライラにアイリス様が居ないと報告を受けたとき、彼は瞬時にゲルトが動いたと気付いた。

 ベッドは彼女の付ける香水の香りがまだ強く、まだ温もりもあった。

 まだ、近くにいる。そう思い、寮の外へ飛び出した。


 彼女らしい、まるで童話のお菓子を置いて道標とするような、その彼女足跡が逃げた方向を教えてくれる。


 校舎方向。

 そう、そちらに目を向けたとき、雷でも落ちたのかと言うほど白い発光が夜空に向かって通りすがった。

 街灯一つないこの世界ではよく目立つ。

 ただ、発現させる場所が悪く、もっと寮に近ければ気づく生徒も多かっただろう。


 マルクはそれが治癒科の白魔術と気付き、足を急がせた。


 ――――


 状況の把握には少し手間取った。

 最初は、魔術科の生徒会長の主人が襲っているのかと思ったが、丁度影に隠れてしまっていた伸びた二人の不審者に気づく。


「ご無事ですか?アイリス様」


 松明の橙の光のせいもあったのだろうか、それとも、激しく逃げたせいだったのだろうか、彼女は頬は紅に染まっており、それは珍しく耳まで達していたので、マルクは眉を顰める。


「あ……。マルク、私は無事です。ローランさんは大丈夫ですか?」


 少し呆けていたようで、マルクの声で我に帰ったアイリスは正面の男に気遣いの言葉を告げる。

 ローラン・バン・キャメロンも何故か混乱していた様子で頷いている。


 彼は、ここ最近多くのトラブルに巻き込まれているらしく。今回も無意識にドラブルに巻き込まれたのだろう。


「ローラン殿、あなたがこの二人を?」

「あ、ああ」

「そうか、感謝する。姫の危機を救ってくれて」


 そこに伸びているのは、帝国の特殊部隊。

 暗殺などを主にこなし、隠密行動が得意な者たちだ。

 それで分かる。ゲルトの策略と。


 なので、今回彼を巻き込んでしまったことは気の毒に感じた。

 何故なら、ゲルトに命を狙われる候補に上がる可能性が生まれるからだ。


「ローラン殿、このことは忘れてくれまいか」


 帝国の内情など、一から説明していては夜明けを迎える。

 説明不足とはわかっているものの、マルクはローランにそう告げた。


「いいのか?何か大変なことになっているようだが」

「あなたには無関係だ。これは、我々、帝国国人が解決しなければならない問題だ」


 二、三のやり取りで彼はあっさり納得していた。

 不気味なほど物分かりがよくて、マルクは肩透かしを食らった。


「後の始末は私でやっておくので、ローラン殿はもう戻られよ」

「分かった。変に手を出して済まなかった」

「いや、感謝のしようがない。本当にありがとう」


 深々と頭を下げると、彼は大丈夫だと背を向けて歩き始める。

 威張らぬその背中にマルクは感服する。

 まるで、人生二回目の聖人みたいではないか。


「あの、ローラン様」


 ふと、アイリスが声を放った。

 それを聞いてローランも振り返る。


「その、また今度、改めてお礼をさせてくだいまし」


 その声にローランは笑って手を挙げている。

 分かったのサインなのだろう。

 そして再び、部屋へと去っていった。


「素晴らしいお方ですね。一人でこの二人を?」

「そうです。暗くて見えませんでしたけれど、一捻りを体現していたように思います」


 まるで、路上の曲芸師の大技を見た後のような感動した面持ちでアイリスは話す。

 見えていなかったのではないのか?

 なんて細かな事を言ってしまえば五月蝿く喚くのでやめた。


「それよりもです、マルク」


 こほんと咳払いをしてアイリスがこちらに向く。

 こう、改まって話す時は大体説教だ。


 遅れた事を咎められるのだろうか。

 それとも部外者を巻き込んでしまった事だろうか。

 アイリスの説教は嫌いだ、論理的で逃げ道がない。


 正論で固められ、切り返せば我儘で押し返される。

 だから、マルクはいつも反論せずに受け止める。

 今夜は眠れるだろうか……。


「その、お礼の時は何をお贈りすれば良いでしょう?」


 マルクは耳を疑った。

 彼女はなんと言ったか。

 お礼?誰に?あぁ、ローラン殿か。

 何を贈る?


 幼少期から私にはカエルやら蝉の抜け殻やらをプレゼントだと言って渡してきたこの皇女が贈る物に困っている?


「残る物と残らない物だったらどっちがよろしいでしょう。菓子折りなら、最近出来たスイーツ店の奴がいいかしら」


 ふむ、様子がおかしいな。

 マルクは少し考え込む。そして、なんとなーく、察した。

 でも、それではローラン殿が益々ゲルト卿に命を狙われるではないか。

 アイリスはそれを理解しているのか。


「でも、私的には残る物でアクセサリーとか、とか。よくと思いますの。身に付けてくれていたらそれだけで嬉しいですし、リングとかよろしくありませんか?」


 あぁ、アイリスは気づいていない様子だ。

 だからマルクは幼馴染として、長く続いている主従関係として教えてあげることにした。



「リングは少々、気持ちの重い女性と思われるかと思います」

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