One more time、One more chance

翌朝、疲れているはずなのにいつもと同じ時間に目が覚めてしまった。

習慣というのは恐ろしいものだ。

二度寝しようとしたが、寝つけなかったので不本意ながらベッドを出た。


ゆっくり時間をかけて風呂に入る。身体の芯から溶けるような気持ちよさに、思いの外、長風呂になってしまった。


トーストを焼いて食べていると、母が声を掛けてきた。


「あなた宛の手紙が来てたから机の上に置いといたわよ。いい加減、住所変更手続きしときなさいよ。転送期間も終わっちゃうでしょ」


そう、もうすぐ引っ越して一年になる。手紙も届かなくなるだろう。

ところで誰からの手紙だろう? 後でゆっくり見てみよう。


部屋に戻って机の上に置かれた手紙を見た。見覚えのある綺麗な文字。そして可愛らしい封筒。羽月ちゃんからだった。

会いたくて会いたくて仕方がないひとからの手紙だ。僕は歯を磨き、ひげを剃り、スウェットから着替えてから封を開けた。


☆ ☆ ☆


親愛なる今井さんへ


ご無沙汰してます。お元気ですか?

新しい仕事はどうですか?

好きな人はできましたか?

もしかして、素敵な女性とお付き合いしてたりしますか?

今井さんと最後に会ってから一年以上経つのに、あれこれ気になってしまいます。


実はお知らせがあって、この手紙を書いています。

私は卒業したらフランスに行って、絵の勉強をすることになりました。うちの高校の美術の先生の奥様がパリで勉強しながら画家をやっていて、そこに住まわせてもらいながら美術学校に通うことになりました。


さすがにもう駅のホームで偶然今井さんを見かけるなんてことも無くなってしまいます。寂しいのですが、自分で決めたことなので後悔はしていません。しっかり勉強してこようと思っています。


もう終わった間柄だから黙って行くべきなのかもしれませんが、会えなくなるからこそ最後に今井さんに気持ちを伝えたくてこの手紙を書きました。


もしかしたら、今井さんは私のことなんてもう忘れているかもしれませんが、私は今でも今井さんのことが大好きなんですよ。

「羽月ちゃん!」て言いながら、突然目の前に現れてくれないかなぁっていつも考えていました。

山崎まさよしさんの曲みたいに、「こんなとこにいるはずもないのに……」って思いながら、あちこちキョロキョロしていました。

できることなら空を飛んで今すぐにでも会いに行きたいです。


でも、それは叶わないから……。


頑張ってパリで素敵な男性を捕まえちゃおっかな、なんてね(涙)


3月9日夕方のエア・マルセイユの便で成田から旅立ちます。最後の最後に会いたいな。

わがままでごめんなさい。

こんなこと言ってたら嫌われちゃうかな?


今まで本当にありがとうございました。

身体に気をつけて、どうかお元気で!

(もう若くないんですからね・笑)


羽月


☆ ☆ ☆


「何だよ、フランスって……」


僕は愕然とした。そしてもう一度手紙を読み直す。


――3月9日? 今日じゃないか!


以前住んでいた住所宛の手紙は、転送されていた為、通常よりも配達に日数が掛かってしまっていた。



僕はいてもたってもいられず、しとしと降る雨の中、車のキーを握りしめて家を飛び出した。


『南海上を東に進む発達した低気圧の影響で、午後からは荒れた天気になります』


エンジンをかけるとカーオーディオからラジオ番組のアナウンサーの声が聞こえてきた。


「……また雨かよ」


小さく呟いた。

雨は嫌いだ。


ワイパーを左右に動かしながら、車はゆっくりと走り出した。

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