ティアーズ ロール ダウン

その日はあっという間にやって来た。


最寄り駅まで、羽月ちゃんが迎えに来てくれる約束だ。

僕は近所で評判の甘味処『餡・どぅ・とろあ』でたい焼きを買ってから電車に乗った。

各駅停車で25分。短くもなく長くもなく、手頃な時間で彼女の住む街へ運んでくれる。


――休日に電車に乗って出掛けるなんて、いつ以来だろう?


そんなことを考えていた。


過去のことを振り返ると、いつも僕は苦しくなる。

そうだ、数年前渋谷へ映画を見に行くのに電車に乗った。何の映画だったかは忘れた。ただ、隣にいた彼女の笑顔だけは今でもしっかり覚えている……。

――ドクン ドクン

鼓動が早くなる。

そして………



ほどなく僕を乗せた列車は彼女が待つ駅へ到着した。

ホームへ降り、階段を昇る。その先に改札口が見えてきた。


自動改札の向こうに羽月ちゃんの姿が見えた。まだ僕の姿を見つけていないようで、落ち着かない様子でキョロキョロしている。『待て』と言われて必死に我慢しているわんこのようだ。

そして人混みの中に僕の姿を見つけた途端に笑顔の花が咲いた。

右手を高速で左右に振る様子は、大喜びでしっぽを振ってるわんこそのものだ。


「今井さん、ようこそあざみが丘へ。」


市長のような言葉で迎えてくれた。


次の瞬間、僕の顔を見て「あれ?」と言った彼女が右手を伸ばす。僕の左頬に白く細い指がそっと触れた。


「涙?」


表情が曇る。

昔の思い出に不意に涙がこぼれていたようだ。


「今井さん、何か悲しいことがあったのですか? 」


慈しむような表情で彼女が問い掛けた。


「え?あ、うん、寝不足でさ。大あくびしたら涙が出ちゃったんだ」


僕は取り繕った。


「なーんだ。心配して損しちゃいました。この前のヨダレといい、今井さんたらまったくお子ちゃまなんだからー」


彼女の顔に笑顔が戻った。

余計な心配をかけまいと、僕はホッとするとともに、僕に対して本気で一喜一憂するこの少女に、今までに無かった感情が芽生えてきたことに気がついた。

だが、それが恋愛感情であることに僕自身が気がつくのは、まだもう少し先のことだった。

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