3.5章 物語が始まる
3.5章 1話 赤い帽子の少女
《夏休み》
夏休みが開始して1週間。
俺は誰かと遊びに行くわけでもなく、帰郷するわけでもなく、外にも殆ど出る事無く、クーラーが効いた部屋の中で過ごしていた。
何故なら宿題をしていたからだ。
俺は嫌な事は早めに終わらせる性格だ……、と恰好を付けて言えたらいいのだけど、実際は違う。
外は暑いし、事件に巻き込まれたら面倒だ。
だから宿題をするという言い訳を使って、外に出る事を徹底的に拒否している。そのおかげで宿題を全て終わらせてしまった。
する事が無くなってしまったぞ。
クラスメイトから遊ばないかという誘いの連絡は来ているのだが、今は忙しいからと返事を先延ばしにしている。
ものすごく申し訳ない気はするけど、俺にだって何もしない日があっても良い筈だ。学校から、クラスメイトから離れて、普通の休日を満喫したい。
そう思っていてもクラスメイトが事件に巻き込まれていたら、委員長としてなんとかしなければならない。
だからこそ外に出ない。
見ていない事件は起きていないのと同じだ。
そうして目をそらせる事件もあれば、目をそらせない事件もある。
それは食糧問題だ。
冷蔵庫にはヨーグルトしか入っていないし、カップラーメンも底をついた。霞を食べても生きていけないので、この空腹を埋め合わせるには食料を買いに行くか、外食をするか、もしくは宅配に頼るしか方法は無い。
「宅配にするか……。高いけど校長から小遣いを貰っているし良いだろう」
俺は1学期の間で幾度も命の危機に直面している。
だから夏休みの直前、校長から金をせしめる為に、校長室へ労働災害だと言って駆け込んだところ、なんともあっさりと、決して小さくない額の小遣いを渡してきた。
だから懐に余裕があるので宅配をしても問題ない。
家に引きこもり続けると太る気がするが、それも問題ないと思いたい。
電話をする為に携帯電話を取り出したその時、俺は重要な事を思い出した。
イヤホンの右側の音が出ない。
俺はネットで動画を見る時は基本的にイヤホンを付ける。引きこもり生活で最大の親友はネットであるから、これは一大事である。
ネット通販で注文しても来るのは明後日になるだろう。
「買いに行くしかないか。嫌だな」
気は進まないけど、家電量販店はそう遠くは無い。家を出て多田篠公園を突っ切るとそれはある。ゆっくりと歩いて買いに行っても、帰ってくるまでに1時間も掛からないだろう。
「仕方が無い。運動も兼ねて買い物に行くか」
俺は知り合いに誰とも会わない事を願いながら玄関を開けると、そこから見える空はどこまでも広がる快晴で、なんだが気持ちが上向いてきた。
思い返せば以前も似たような状況で家を出たような気もするけど、今回は大丈夫だろう。
今までそんな希望はことごとく打ち砕かれたというのに、俺は学習をせずに安易な気持ちしか持っていなかった。
多田篠公園でそう思わされた。
「ねえねえお兄ちゃん、一緒に遊んでほしい」
服の裾を引っ張られたので振り向くと、そこには赤い帽子を被った金髪碧眼の可愛らしい女の子が俺を上目遣いで見ていた。
年齢は小学生ぐらいだろうかとか、何故この場所にいるのだろうかとかを考えている場合じゃない。
これはいつものパターンだ。
絶対に面倒な事になる。
俺は3か月の間に学習をして、知識と経験を得た。安易に話に乗ると大変な事になる。
ゆっくりと掴まれた裾から指を離していく。
「ごめんね。お兄ちゃんは忙しいから、他の人を当たってくれるかな」
言葉が終わるよりも早く、この場から逃げるように体を前に動かしたのだが、再び裾を掴まれた。
「ねえねえお兄ちゃん、一緒に遊んでほしい」
「話を聞いていたかな? ごめんね、ちょっと忙しいからね」
女の子の指を押し広げて裾を離させるが、もう片方の手で裾を掴んでくる。
どうやら女の子の中で諦めという感情は無いらしい。仕方が無いので話だけでも聞いてやろう。もし面倒事なら隙を見て逃げてやればいい。
そして今度こそ引き籠ってやる。
「遊んでほしいってどういう事かな? お父さんかお母さんはどうしたの?」
「えっと、そんな事はどうでも良いの。遊んでほしいの」
そう言う女の子の上目遣いの目を見ていると、庇護欲が湧くと同時に、劣情を駆り立てるような魅力を含んでいる。
もし俺に女の子を愛でる趣味があるのなら、我を忘れて抱きしめていただろう。だが俺はそんなへまはしない。自分の持てる魅力を全力で投げてくる女の子が、まともである筈が無い。
これは話を聞く前に逃げるしかない。
「どうでもは良くないだろ。他を当たってくれるかな」
俺は女の子の指を振り払おうと力を入れて体を振るが、女の子の指は離れない。
「ねえ、お兄ちゃん。私の事を可愛いと思う?」
「可愛いんじゃないか」
「そんな可愛い少女とお兄ちゃん。大人が信じるのはどっちだと思う?」
「何を言っているんだ」
「ここで私が叫んだらどうなるのかな。お兄ちゃんから飴をあげるから来いと言われた。それで怖くなった。
お兄ちゃんは反論するだろうけど、それを信じる大人はいるのかな。お兄ちゃんが遊びに付き合ってくれるのなら、丸く収まるんだけどなあ」
女の子は純粋無垢に見える笑みを浮かべながら、俺に脅しをかけて来た。女の子の言う通り、俺の方は分が悪い。
今は女の子に従うしかない。
「何をして遊べばいい?」
「ありがとうお兄ちゃん。オオカミごっこをしたいの。付き合ってくれるよね」
「俺はオオカミごっこを知らない」
「簡単だよ。教えてあげるね。
初めに1人のオオカミ役を決めるの。そのオオカミ役の子はテーブルみたいな姿を隠せる物の下に入る。それで他の子達はオオカミ役の子にこう聞くの。
『オオカミさんはいますか? 何をしていますか?』。オオカミ役の子は身支度の状況を教える。例えば『今、歯を磨いています』、『今、靴下を履いています』とかね。
そのやり取りを何回も繰り消して、最後に『馬にまたがって森を出る』と言って、他の子達を追いかける。捕まった子が次のオオカミになるの。分かった?」
「理解はしたけど、この遊びは2人でするものじゃないだろ」
「そんな事ないよ。2人でも絶対に面白いからしようよ、ね! ね!」
女の子は俺の手を何度も駄々をこねるように引っ張ると、顔を近づけてくる。
「遊んでくれないと叫んじゃおうかな」
連発する女の子にあるまじき邪悪な脅しは俺にしか聞こえていないようで、周囲で遊ぶ子供達やその親は全くこちらを気にしている様子は無い。
「遊ばないとは言っていないだろ。付き合ってやるよ」
「ありがとう。お兄ちゃん」
逃げ出すチャンスは幾らでもある。この女の子がオオカミ役でテーブルの下に隠れたら、全力で逃げてやればいい。簡単だ。だから1回ぐらいは素直に付き合ってやる。
絶対に何かを企んでいやがるけど、逃げてしまえば関係ない。
「お兄ちゃんがオオカミ役ね」
「了解だ。身支度の状況を言えばいいんだよな。それじゃあ、あのテーブルの下にもぐるから、声をかけてくれ」
俺は公園内に設置されたベンチテーブルを指差すと、女の子は嬉しそうに頷いた。身を屈めてテーブルの下に入り地面に座る。
そこは程よい暗さに冷たい地面が合わさって、意外と居心地が良い。
ここならば落ち着いて本を読めそうだ。
そんな事を考えていると、テーブルの外から声が聞こえてくる。
「オオカミさんはいますか? 何をしていますか?」
そうだった。答えてやらないと。
「服を選んでいるところだ」
テーブルの下から外を見ると、女の子は楽しそうに「わかった!」と返事を返す。少ししてから、「今は何をしていますか?」と再び聞いてくる。
こうして何度かのやり取りが行われた。
「靴下を履いているところだ」
「あと少しだね! 今何をしていますか?」
「上着を羽織ったところだ」
「今何をしていますか?」
「靴を履いたところだ」
次だ。次でテーブルの下から出て追いかけるのだったな。
俺は次の声を待ち構えながら、足に力を入れて女の子の方を見ると、背後から声を掛けられた。
「あら? あなたはテーブルの下で何をなさっているの?」
振り返ると、全身真っ黒な服で身を包んだ少女が体を屈めて俺を見ている。
また知らない少女が増えてしまった。
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