1.5章 最終話 解決! 赤い犬

 レシートに記載されたアリバリアについて何も考えずにここまで来た。赤い犬の都市伝説について、真剣に考える必要がある。


 まず都市伝説の話を整理しよう。


 赤い犬に目を付けられた人の家にある物が消失していく。

 順番は前後するが、消失に気づいて家中を確認すると赤い犬の置物を発見し、アリバリアと印字されたレシートを見つける。

 家中の物が消失し、家主が失踪する。


 だいたいはこのような話だ。


 赤い犬の置物とレシートである。

 サマンサやグルールの話から、赤い犬とアリバリアは同一のものと考えていいだろう。


 レシートとは購入した物をリストとして、また証明書として印字する。つまりはレシート上ではアリバリアという商品を購入している事になる。


 ではアリバリアとは何か。

 買った記憶が無いのに増えている物だ。それは赤い犬の置物だ。

 

 逆説的に考えると、アリバリアを購入したから赤い犬の置物が手元にあると言える。そこで問題になるのが対価だ。


 物を購入する場合、同等に価値のある物と交換する必要がある。現代社会ではそれを硬貨や紙幣という貨幣を支払うという形を取っている。


 だがアリバリアを購入した時、貨幣を支払っていない。では何を支払っているのか。それは自分が所持している物だ。物々交換である。


 借金を返せなくなった場合、債務者が所持する物を取立人が差押という方法で無理やりに借金返済をする場面を、映画やドラマで見る事がある。

 

 そうなると、赤い犬の置物の代金を取り立てる為に、赤い犬が動いていると考えられる。


 では取立人である赤い犬を追い払うにはどうすればいいか。

 それは赤い犬の置物を受け取った対価を払う事。その対価がわからない。レシートには何も書かれていない。


 それならば。


「マージエリ夫人。このレシートと赤い犬の置物を持って、ここに書かれているスーパーに向かってください」


赤い犬の置物はマージエリ夫人が持っている。


「何をするの?」


 マージエリ夫人が近づいてきてレシートを手に取った。


「訂正です。このスーパーでアリバリアの欄を訂正してもらってください。

 返品が出来るのかは知りませんが、10円とかそのぐらいに書き直してもらってください。

 明確な値段を書けば、アリバリアの価値が定まります。

 榊さんはスーパーへの根回しの方お願いします。それとマージエリ夫人はたぶんですけど赤い犬に襲われません。ですが一応護衛をお願いします」


「承知した。相山君が何を思いついたのか、後で教えてくれるのだろうね」


「はい。上手くいけば、ですけど」


「楽しみにしているよ」


 榊さんは胸元に手を当てて部下に指示を出している。


「マージエリ夫人、お願いします」


「やっと私の出番という訳ね。訂正が終わったら榊さんの部下の方に連絡をしてもらうわね。少しだけ待ってね」


「はい、お願いします」


 マージエリ夫人は出入口の方を向き歩き出し、一切の躊躇なくサマンサの膜の外へ出る。さすがに度胸がある。


 もし俺の考えが間違っている場合、マージエリ夫人は赤い犬に襲われるかもしれない。だがその心配は杞憂に終わった。


 マージエリ夫人は赤い犬に襲われずに、洗濯場の出入り口に到着した。小さく手を振るマージエリ夫人に軽く会釈をして、赤い犬に向き合う。

 赤い犬と俺たちの戦いが再び本格化した。


 そして15分ほど過ぎた。


 だが未だに赤い犬の攻勢は続いている。しかもおそらくは数が増えている。今のところ阿字ヶ峰が呼び出した怨霊のおかげで、サマンサの膜に触れる赤い犬は少ないけど、増え続けたらどうなるかわからない。


「疲れたよぅ」


 明美さんは限界が近づいているようで、前かがみで息を切らせている。こればかりは責められない。肉体的な疲労だけではなく、精神への疲労も甚大だろう。


「もう少し頑張って下さい」


 明美さんの肩に手を置くと、彼女は顔を上げて頷いた。


「そうだよね。私が皆を巻き込んだ。だから私が真っ先に倒れるのはおかしいよね」


 真っ先に倒れているのは特に何もしていない高梨さんなのだけど、今はそこに触れないでおこう。

 どうやら高梨さんは自分が育てた常識を遥かに超えた光景を見た事で、キャパシティーオーバーになって固まっているようだ。


「もう少しの筈だ」

 

 それはただの願望である。俺の考えが正しいとは限らない。

 

 状況の変化は突然やって来た。

 赤い犬の全てが立ち止まり静止したのだ。俺達も攻撃を止め、固唾を飲んで赤い犬を見ている。


 すると赤い犬はお辞儀をすると、その全てが消えていった。


 先ほどは倒したと思ったが、暫くすると復活した。今回もそうとも限らない。


 静まり返った洗濯場を榊さんの声が響く。


「何! そうか。了解した」


 榊さんが俺に近づいてくる。


「レシートの訂正は終わったそうだよ。それとレシートと赤い犬の置物も消えたらしい。跡形も無くね」


「終わった。という事でしょうか」


「ハッキリとわからないのが、都市伝説の恐ろしいところだね。だけど都市伝説の出発点が消えたのなら、解決したと見ていいかもしれない」


「そうですか。じゃあ少し待って、明美さんの家に戻りましょうか」


「それがいいね」


 こうして俺達はここで30分程の時間を潰してから、洗濯場から退出した。既に外はオレンジ色の世界になっている。

 

「もうこんな時間か」


 空を見てしみじみと呟いていると、高梨さんが俺の前に立ち深々と頭を下げた。


「本日は済まなかった。取り乱して何も出来なかった」


 その素直な謝罪に今度は俺が取り乱しそうになる。榊さんを見ると小さく笑っている。


「突然どうしたんですか」


「私はこの年まで真実を見る事が出来ていなかった。それなのに君はその若さで、あのような者達と戦っている。私は君を尊敬する」


 高梨さんに肩を強めに掴まれた。混乱しているのか知らんけど、情緒がめちゃくちゃでどうしたら良いのかわからない。


「あ、ありがとうございます。それに俺だけでやり遂げたわけではなりません」


「君は謙虚だな。そこもまた良い」


「はあ」


 面倒になって来たぞ。早く終わらせて帰りたいんだけど。


「君には何かをしてあげたい。何でも言ってくれたまえ」


 何でもいいから俺を開放してくれ。でも何か言うまで離してくれそうにない。


「それでは今後の治療費をタダにしてくれませんか」


「よしわかった。君の治療費を永久的に無料にしよう。これを受け取ってくれ」


 そう言うと高梨は胸元から自身の名刺を取り出して俺に渡してきた。


「怪我や病気で困った事があれば連絡をほしい。いつでも対応しよう。それでは本日はこれで失礼させてもらう」


 高梨さんは改めて頭を下げると背筋を伸ばして歩き出すと、阿字ヶ峰が声を上げた。


「少し待て。お主に言っておく事がある」


 高梨が振り返る。


「なんでしょうか」


「あの建物の件じゃが、除霊をしようなどとは考えぬ事じゃ。集まっている者達は悪い者では無く、むしろ良い効果をこの病院に与えている。

 お主がこの先も出世して、多くの金を稼ぎたいのなら、少しばかりの悪戯なら目を瞑ることじゃ。

 もし目に余る現象が起きた場合は、こいつに連絡を入れろ。ワシの仲介役になってくれる」


 阿字ヶ峰は俺の腰を何度も叩く。

 おい待て。そんな面倒な事を何故俺がしないといけない。それに、そうなると高校を卒業してからも阿字ヶ峰達との関係が続くじゃないか。


「承知しました。相山君。その折にはよろしく頼む」


 高梨さんは再び頭を下げると、今度こそ歩いて行った。

 横には笑顔で俺を見上げる阿字ヶ峰がいる。


 まあ仕方ないか。

 俺の治療費が永続的に無料になったし。


 小さくなる高梨さんの背中を眺めながら、名刺をポケットから取り出した財布の中に入れた。

 

「それじゃあ明美さんの家に戻りましょうか」


 明美さんの家への道中、赤い犬の一切が出現する事は無かった。本当に赤い犬の都市伝説は終わったようだ。


 だが明美さんの家の物は無くなったままだ。アリバリアの値段を10円に変更したが、既に取り立てられた物は戻らないらしい。つまりは……。


「あ! 俺の教科書が無い! 赤い犬に持っていかれた」


 勉強用に持ってきていた教科書を、赤い犬に投げてしまった。赤い犬が教科書を掴んだまでは見ていたけど、そのまま持って帰ったようだ。


 メモをしていたのに。肩を落とす俺にサマンサは心配そうに顔を覗き込んで来る。


「大丈夫? あの、私の貸すよ? 勉強は、もう大丈夫だから」


 そうか。サマンサも同じ教科書を持っている。借りればいいのだ。だけど引っ掛かるのはもう大丈夫という部分だ。サマンサは力だけではなく、頭も俺よりもうんと優れている。


 勉強しないとな。

 

「貸してもらってもいいか。今日にでも取りに行かせてくれ」


「うん。いいよ」


 そうだ。明美さんが勉強を教えてくれると言っていた。その明美さんは椅子に座って壁を眺めながらぼんやりとしている。

 俺は明美さんの横に座ると彼女を見る。


 近くで見ると明美さんの頬に涙の後がある。


「大丈夫ですか?」


「あ、ごめんね。なんだがホッとして力が抜けちゃった」


「窓、割れてしまいましたね」


「命に比べたら軽いものだよ。窓は榊さんが手はしてくれたから、明日には直るしね。

 今日は段ボールでも貼っておくよ。それよりありがとうね。君は自分だけの力じゃないと言うと思うけど、君がいなければ榊さんもサマンサさんも阿字ヶ峰さんも、ここにはいない。

 きっと私は助からなかった。だから相山君には感謝しているの」


 高梨さんの時は早く終われと思っていたけど、明美さんに感謝されると素直に嬉しい。これも心象の違いだろう。


 だけどこう目を見て言われると恥ずかしい。


「明美さんが助かって良かったです。勉強を教えてもらえますから」


「フフ、そうだね。試験は来週だよね。だったら明日から勉強を教えてあげる。夕方は他の生徒さんが入っているから、夜でも大丈夫?」


「構いません。明日からよろしくお願いします」


「相山君は立帝社大学付属高校だったよね。こう見えてその高校の生徒さんを、何人も教えているから。私に任せて。今後の試験もね」


「はい」


 試験勉強の当てが出来た。


 よくよく考えたら赤い犬の都市伝説のおかげで、俺は医療と勉学の両方を手に入れた。

 苦労は多かったけど、かなりの得をしたのかもしれない。


 今日はこれで解散となり、サマンサの教科書を借りる為に彼女の家に向かう。


 外はすっかり暗くなっていた。


「ねえ、委員長はアリバリアの目的、何だと思う?」


「目的?」


 そうか。結局、アリバリアが物と人を連れていく動機がまだわかっていない。


「何だろう」


 アリバリアの動機、検討もつかない。何がしたかったのか。


「私の方で、調べてみる。私の世界の問題だから。委員長は、大丈夫。気にしないで」


「そうか。悪いけど頼むよ。他の世界での騒動は俺の手に余る。だけど俺に出来る事、サマンサが困った事があれば言ってくれ。なんとか考えるよ」


「うん。お願いね」


 俺は今回の騒動で明美さんからアリバリアを追い払えたけど、肝心のアリバリア教団がどうなったのかわからない。被害の有無すら知り得ない状況だ。


 だけど今は都市伝説の赤い犬が解決した事を喜ぼう。そしてアリバリアが再開しない事を祈ろう。

 ついでに期末試験の成績も……。


 空に浮かぶ満月と、歩く度に揺れるサマンサのとんがり帽子を眺めながら、俺は来週の期末試験を憂いていた。

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