1.5章 3話 休息! 試験勉強
金属が落ちる音が聞こえてきたのは玄関の方向からだ。
その音と共に全員が静まり返り、一拍を置いてから明美さんが俺の腕にしがみついて騒ぎ始める。
「ダメだぁ。もう終わりだぁ」
「落ち着いてください。とにかく見に行きましょう」
見ない事には判断が出来ない。とんでもなく怖いけど、縮こまっていては何も進まない。
俺は明美さんの腕を優しく払って立ち上がる。皆の目が俺に集まる。
「さあ行きますよ。全員で」
こうして俺を先頭にして、音のした方へ歩いていく。この場で最年少はきっと俺である。どうして俺が先頭を歩かなきゃならないのか。
音の発信源は扉の向こう側だ。心臓が早打ち、瞬きすら忘れる。
めちゃくちゃ怖い。だけどこんな薄暗い廊下で立ち止まるのはもっと怖い。
早く日の当たるダイニングキッチンに戻る為にも、俺は扉を開けた。
この部屋は物が少ないどころの話ではなく、ほとんど物が置かれていない。だからフローリングに落ちている5円玉を見つけるのに、時間はかからなかった。
5円玉を拾い上げてその表面を見てみるけど、特に変化して様子は無い。
「明美さん。この部屋は元々何が置かれていたんですか?」
「こ、ここは物置だよ。ペットボトルのお茶とか、季節ものの服とか、いろいろと置いていたんだけどね。何も無くなっちゃった」
部屋の中には押し入れがあり、その扉が開け放たれているので中が見える。だがそこには何も無い。部屋の中を一通り見ても、服が置かれた痕跡は何も残されてはいない。
物件の内見をしている気分になる。
「この5円玉の下には何が置かれていたんだ?」
「トイレットペーパー、だよ」
そう答えたサマンサが、俺の手の平にある5円玉を掴んで眺めた。
「何かわかるか?」
「私には、わからない。魔法の痕跡は、何も無い」
「そう簡単にはいかないか。
だけどわかった事もある。トイレットペーパーは姿を消して、上に乗っていた5円玉は残っている。これで大雑把に物が消えているのではなく、識別している事がわかった。ここで立ち話もなんだから、一旦戻るか」
俺たち4人はこの部屋を後にして、ダイニングキッチンの椅子に座る。明美さんは青ざめた表情で少しずつペットボトルのお茶を飲んでいる。
悲壮感で今にも崩れそうな明美さんには可哀そうであるが、情報も無く敵が姿を現さないのなら対処のしようがない。だから今は待つしかない。
とはいえ待つだけではどうも暇である。
「明美さん。テレビ見てもいいですか」
この部屋の奥にあるテレビを指差すと、明美は首を振った。
「テレビとアンテナを繋ぐ線が無くなったの」
都市伝説はどうやら嫌がらせに関しては上級のようだ。
テレビを見られない、ここにいる人達とどんな話で盛り上がれるのかわからない。
何も出来ないのなら、観念する時が来たようだ。都市伝説で必死に忘れようとしていた試験勉強だ。
俺は鞄の中から数学の教科書を取り出して机の上に広げた。その音で机に突っ伏していた明美さんが顔を上げた。
「何をしているの?」
「試験勉強ですよ。1学期の期末試験が間近に迫っているんです」
「今しなくても」
「この都市伝説が解決しても試験は無くなりませんから。前回はクラスメイトにかなり遅れを取りましたけど、今回は少しでも近づかないといけません」
「解決した後……。相山君は解決できると思っているだね」
「出来なかったら明美さんがどうなるかわかりません。何も無いという事はあり得ないでしょう。
こうして会って話をした相手が不幸になるのは、気分の良い物ではありませんから、解決しますよ」
「相山君……」
明美さんはそう言うと潤んだ目でじっと俺を見て来る。庇護欲を駆り立てられる表情だ。心の奥底が撫でられるようだ。
考えてみれば、俺のクラスメイトの女性達は、独立した女性ばかりである。強い女性というのも良いが、弱さを見せる女性というのもまた心惹かれるものがある。
今はそんな事を考えている場合じゃない。試験勉強の方が大切だ。
「そう言えば明美ちゃんは優秀な【家庭教師】よね。私の交霊会の会員が何人もお世話になっていると聞いたわ。
相山君に教えてあげればいいのではない? 怖がるという後ろ向きの思考よりも、勉強を教えるという前向きな行動の方が精神的に有意義よ」
「そうなんですか! 教えてくれませんか」
これは絶好の機会である。無料で家庭教師のサービスを受けられるのだ。逃す手はない。ここは更に押せる。
「そうだ。この都市伝説が解決したら、勉強を教えてくれませんか。成功報酬というものです」
明美さんは一度身を反らしから、笑みを湛えて机に向き直った。
「そうだよね。ネガティブな事ばかりじゃだめだよね。普段は生徒にはポジティブ思考になれって言っているのにね。
うん、わかった。この件が解決したら相山君に勉強を教えてあげるね。勿論無料だよ」
「交渉成立ですね。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしく宜しくお願い致しますぅ」
明美さんは俺の手をがっしりと掴むと、潤んだ目で俺を上目遣いで見る。
女性に手を握られて至近距離まで顔を近づけられているこの状況、とても良い。
これがハニートラップだったら、俺は呆気なく引っ掛かっている。だが明美さんはマージエリイ夫人という証人がいるから問題ない。
ピンポーン!
「うわ!」
突然鳴り響いたインターホンの音に、つい声を上げてしまった。めちゃくちゃ恥ずかしい。顔を覆おうにも、同じく驚きで俺の腕にしがみついた明美さんによって、腕が持ち上がらない。
その音がインターホンの音だと気が付いた明美さんは腕を離した。
「ご、ごめんないぃ」
明美さんの家のインターホンはカメラ付なので、誰がチャイムを押したのかがわかる。
その姿は警察の榊さんである。
明美さんがインターホンを一瞥してから俺を見る。
「警察の榊さんです。先ほど連絡をしていた人です。中に入れても大丈夫ですか?」
「う、うん。大丈夫だよ。それにしても相山君は警察の人とお知り合いなんだね。すごいなぁ」
「まあ、色々とありましたから」
ゴールデンウィーク以降、幾度となく榊さんには警察署に呼び出された。
クラスメイトのプライバシーに係わりそうな事や、黙っていた方が良さそうな情報や能力なんかは話していないけど、色々な事を榊さんに伝えた。
初めて警察署に行った時に、招かれた部屋が取調室だった時には帰ろうかと思ったが、榊さんにも事情があったようなので大人しく言う事を聞いた。
そのおかげで榊さんの上司に当たる人とか、別部署の人には好印象を与えたようで、次からは居心地の良い部屋と座り心地の良い椅子と、少しばかりの報酬を用意された。
スパイの報酬のようで後ろめたい気にもなったけど、貰える物は貰っておかないと損である。
その後も阿字ヶ峰や鞍馬や水引を正式な形で紹介し、今では仲良くやっているらしい。そのおかげで最近では榊さんに呼び出される事も少なくなった。
榊さんのおかげで懐が潤っているのは事実であるので感謝はしているけど、面倒くさいから今後も出来れば俺を巻き込まないでほしかった。
だけど俺が巻き込む形になってしまった。まあ仕方が無いか。
玄関を開けると、そこにはいつもと変わらない胡散臭い笑みを浮かべた榊さんがいた。
「やあ相山君。久しぶりだね。早速だけど中に入らせてもらっても良いかな」
「どうぞ」
俺が手で促すと、榊さんは小声で「行動を開始する。監視を怠るな」と言う。
「どうしましたか?」
「いつ何かあるかわからないからね。見逃さないように、部下にこの家を遠くから見ていてもらっているんだよ。
僕は無力だからね。保険を掛けておかないと安心できないのさ」
この用意周到さは頼りになる。やはり権力を持っている大人が味方にいるのは心強い。
人は揃った。後は都市伝説の実像が目の前に姿を現せば、話が前に進む。
「入ってください。見てほしい物と聞きたい事があります」
「では見せてもらうよ。この都市伝説の神髄を。都市伝説という驚異を」
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