0.5章 13話 容疑者Mの部屋は汚い

 扉を開けて顔を見せた三島は、昨日の多田篠公園で見た顔とは別人のようだ。


 馬鹿だけど爽やかな青年という感じだったが、今はガラの悪いヤンキー崩れの男だ。

 

 俺は波風の少ない人生を歩んできたし、出来るだけ危なそうな場所には近づかなかった。だから三島のような人種との接点は無かった。


 どうして俺がこんな人に凄まれなければならないんだ。今にもカツアゲされそうだ。

 めちゃくちゃ怖い。今すぐにでも帰りたい。


「なんだよ。何が言いてえんだよ。俺が何したって言うんだ」


「えっとですね。昨日、三島さんは猫がお金を盗んだと言っていましたが、それについて疑問に思うことがありまして……」


「うっせっよ」


 三島は言葉を遮って扉を閉めようとするので、俺は咄嗟に足を入れて閉じさせないようにした。

 足が痛い。だけど表情に出すわけにはいかない。


「ここで立ち話もなんですから、中に入らせて貰えませんか」


「あぁ? 入れるわけねえだろ」


「ではここで話をしても良いのですが、声が聞こえてしまいますよ。周りに」


 俺が道路の方を見ると、そこには買い物帰りの主婦がブロック塀越しにこちらを見ていた。三島もそれを確認すると、舌打ちをして扉を開けた。


「入れ」


「お邪魔します」


 こうして俺と天坂は、三島の家に入り込むが出来たのだが、とても後悔をした。


 ファミレスにでも呼びつければ良かったかもしれない。だけどそうすると三島は来ないだろう。これしかなかったと自分を必死に納得させて、家の中を観察する。

 

 三島の家は1Kと呼ばれる間取りのようだ。玄関に入るとすぐに台所がある。その奥の引き戸の先に1部屋があるようだ。

 

 間取りはどこにでもある安いアパートの間取りであるが、問題は中に入った時の息苦しさにある。


 台所の流し台には幾重にも積まれた弁当のプラスチック容器と、散乱する空いたペットボトル。ろくに洗い流していないようで、鼻につく異臭が漂ってくる。


 足元も漫画雑誌やごみ袋が無造作に置かれていて、足の置き場に困る。目の隅にふと黒いものが見えたので、そちらを見ると台所の奥に置かれた冷蔵庫の後ろに、ゴキブリが潜っていった。


 マジか……。


 俺は靴を玄関外の廊下に置くと、全てを見なかったことにして台所を抜けて、その先の部屋に足を踏み入れた。

 部屋の中央に鎮座する丸机の上には、食べかけのコンビニ弁当が置かれている。それは良いのだけど、問題は机の周りである。


 お菓子の空き袋が机の周りを守り、壁際には無造作に置かれた下着を含む衣服が山を形成して、所々に配置された威圧的に光るコンドームの箱。

 

 これはマズイ。


 女性は絶対に避けるべき家だし、天坂は輝きの中にいるアイドルである。俺は振り返って天坂を見ると、問題ないと首を横に振って足を前に出した。


 さすがに度胸がある。


 三島が音を立てて丸机の前に座ったので、俺はその対面に腰を下ろそうとしたが、そこにあった座布団の上にスナック菓子の欠片が落ちていた。ここには座りたくない。座布団を足で移動させて床に直接座った。


「なんだよ。俺に何が言いたい」


「早めに認めたてくれたなら、罪はもしかすると軽くなるかもしれない。俺はあなたに2回だけチャンスを差し上げます。あなたは嘘をつきました。それは自分がお金を盗んだ事を、猫の仕業にした事です」


「あぁ? してねえって言ってんだろうがよお。お前、俺に喧嘩を売ってんのか。俺に喧嘩を売ってどうなるかわかってんだろうな」


 三島は机を殴りつけて、俺を睨みつけてくる。


 怖いんだけど! 寶川と清水は変な人ではあったけど、いかに紳士的だったかということが身に染みてわかる。


「そんなつもりはありません。罪を認めてくれと言っているんです」


「俺を疑うのかよ。あれは猫が咥えていったと言っただろうがよ。てめえも話を聞いていただろうが」


「はい聞いていました。しかし、あの話にはおかしな点があります。それが猫の模様についてです」


 机の上に昨日三島が見せられた、猫とケイの写真を出す。


「あなたはこの写真を見て左肩の辺りにハートの模様があると言っていましたよね。そしてじっくり見たと」


「それがなんだってんだよ」


「この猫、ハートの模様があるのは右肩の辺りと、左のお尻の辺りの2か所にあるんですよ。この写真は反転したものではない。本当にあなたはじっくりと見たのでしょうか。もしかすると、外を歩く猫を見ただけでは無いのですか?」


「はぁ? 勘違いに決まってんだろ。おめえは過去の事を何から何まで覚えてるのかよ」


「俺がどうしてチャンスを差し上げたのか、わかっていないようですね。大事にしたくないからです。だから自主的に罪を認めて反省してほしい。手荒な事はしたくありません」


「うっせえ。大人ぶりやがって。お前は俺より年下だろうが」


「だから何だっていうんですか。どうですか? 認めますか」


「俺じゃねえって、言ってんだろうが」


「仕方がありません。あなたの敗因は視野が狭すぎた事です。コンビニの監視カメラに細工するぐらいの熱意と技術があるのに、視野は足元で止まっている」


 俺は机の上に持参したノートパソコンを置いて開いた。スリープモードになっていた画面が起動すると、一時停止中の映像が表示された。


「これはあなたが働いているコンビニの前に設置されている監視カメラの映像です。数分後に窃盗事件が起きた時間になります。

 あなたもはっきりと映っていますし、そしてこの道路を見てください。猫がコンビニ前を横切っています。肩のあたりに模様がありますよね」


 三島の表情が険しくなった。


「監視カメラが復旧するまでの1時間、3人で見続けましょうか。時間はたくさんあります。飲み物を頂けますか?」


 再生ボタンを押すと映像が先に進んでいく。すると徐々に三島の顔に力が入っていく。そして問題の時間になろうとした時、三島が突然立ち上がるとノートパソコンの液晶画面を殴りつけてぶっ壊した。

 

「え!」


 部屋に入った段階で手を上げてくる相手じゃないかという懸念はあったが、まさかノートパソコンを壊すといった意味のない行動に出てしまう人だとは思わなかった。

 それほどの暴力性を持つのなら、何をするか想像できない。


 俺は咄嗟に立ち上がって天坂の前に出る。彼女に危害を加えさせるわけにはいかない。

 この行動が恐らく挑発と受け取ったのだろう。


「なんだてめえ」


 三島の右ストレートが俺の頬に命中した。その一撃に体のバランスを崩されて、三島の下着の山に倒れこんだ。

 

 痛ってええ!! 生まれて初めて、殴られた! 殴られるの、こんなに痛いのか!

 

 口の中は血の味がする。頬を触っても血が付かないから、今のところ外傷はないようだけど、有り得ないほど痛い。帰りたい。

 

 天坂は泣きそうな顔で腰をわずかに上げて、目線だけを行ったり来たりさせながら停止している。


 そうだ俺がここで倒れるわけにはいかない。

 恐怖を必死に押し込めて、頬をさすりながら立ち上がる。


「殴ったという事は、認めたという事ですね。三島さんは自分の罪を猫に押し付けた」


「悪いのは店長だ。俺は未来の大ミュージシャンなんだよ。安い金で俺を使いやがったからその対価を頂いただけだ。俺の1時間は数万円の価値があるんだ」


 俺はそんな自分勝手な物言いを鼻で笑う。


「1時間がたったの数万円で済むのか。俺が思っている大ミュージシャンとは違うらしいな」


「てめえ!」


 三島がそう吠えながら俺の胸ぐらをつかむと同時に、玄関の扉が開かれた。


「相山君はえぐい取り調べをするものだ。捜査第二課、いや組織犯罪対策部が向いているかもね」


 その声の主は警察官の榊さんである。


「お邪魔するよ」


 榊はそう言うと律儀に靴を脱いで、家に上がってくる。更にその後ろには多田篠公園で見た他の警察官の姿もあった。


「このパソコンはうちの備品なんだが、ここまで破壊されたら修理は難しいな。それに人を殴ってはいけないよ」


 榊さんは三島の手を握る。


「現行犯だ。器物損壊に暴行と恐喝。もしこれ以上抵抗をするのなら、僕達が得意な公務執行妨害も追加するよ」


 三島は掴んでいた俺のシャツから手を離すと、肩を落とした。その背後の壁にはゴキブリが元気よく走っていた。

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