0.5章 9話 容疑者からの品定め

 俺は寶川さんに事件について聞く為にここに来たのだが、まさかの俺が試される側になってしまった。


 なんだこの緊張感は。こうなるのなら、日を改めて時間をかけて選びたかった。だが、うだうだと考えても仕方がない。俺はじっと寶川さんの反応を待つしかできない。


 寶川さんは品定めするような鋭い眼光で俺を見上げると、梱包紙を剝がしていく。

 そして完全に梱包紙が取り除かれ箱になる。寶川さんは箱を開けて姿を見せた、瓶ジュースに微笑んだ。


 俺がお見舞い品として持ってきたのは、瓶ジュースの3本セットである。それは普段飲んでいるような、飲食店や銭湯に置いているような安っぽいものではない。


 素材へのこだわりを謳い文句にした高級ジュースである。それぞれ赤グレープジュース、ベリージュース、マンゴージュースの3本だ。


 寶川はその内の1本を持ち上げると俺を見る。


「センスが良いと思うわ。ありがとう。飲ませていただくわね」


 どうやら寶川さんの試練に合格したようだ。ほっと肩の力が抜けて、このまま病室から出ていきたい気分になるが、本題はここじゃない。


「喜んでいただいて光栄です。ところで事件について聞きたいのですが、よろしいでしょうか?」


「事件のこと?」


「実は寶川さんが見た猫ですが、現在行方不明なのです。そこで3人で探していまして、少しでも情報を得られるのならと思いまして」


「え! いなくなったの! 私、猫が大好きなの。だから実は飼い主がここに来ると知って、嬉しかったの。ケイちゃんの猫はとても珍しい猫のように見えたから、間近で確認したかったの」


「珍しい猫ですか」


 ケイの方を見ると、「知らない」と一蹴されてしまった。俺は猫に詳しくないから、多田篠公園で見たケイと猫の2ショットの写真を見ても何も感じなかった。


 だけど珍しいと言われたら、とんでもなく気になる。俺はめんどくさがりだが、好奇心はある。


 そうだ! 


「ケイ、あの写真を見せてくれないか」


「しょうがないわね」


 ケイが携帯電話を取り出して、数回の操作の後に画面を見せてくれた。それは多田篠公園で見たものだ。

 寶川さんがその画面をのぞき込み頷いた。


「そうよ。私が見た猫はこの写真の子よ。改めて見ても珍しい猫ね」


「どこが珍しいのですか?」


「わかりやすい箇所で言うと紫色の瞳ね。聞いた事はあるけど、見たのは初めてね。それとこの模様ね。

 黒と白の猫はブチネコと呼ばれているけれど、黒猫が白くなる箇所は口の周りとか口元、あとは前足が一般的。この猫のように背中とか腹にワンポイントだけ白くなるのは初めて見たわ。もう一度会いたいわね」


 寶川さんが早口でまくし立てる。よほど猫が好きなのだろう。寶川さんがキラキラと輝いた瞳でケイを見上げると、ケイは居心地が悪そうに顔を逸らした。

 そして何とかしろと言わんばかりに俺を睨み付けた。


 日頃の行いの悪さを反省させるために、放置してやりたいところだけど、話が進まないから助けてやろう。


「寶川さん、会うためにも話を聞かせてもらっても大丈夫ですか?」


「ごめんなさい。興奮してしまったわ。私のお客様に会う機会があっても、私が猫好きだと言わないでね。

 見るのは好きだけど、飼うのは苦手なの。送られても困るわ」


「覚えておきます。それで猫を目撃したのは、『欲望』という名の銅像の前で間違いありませんね」


「えっと、あの手を上げている少女の銅像よね。それならそうよ。あ! そうだ。あの銅像、気を付けた方がいいわよ。首にひびが入っているから、取れるかもしれない」


 どうやら寶川さんは銅像の首が折れた事を聞かされていないようだ。そもそも、どこまで話を聞かされているのだろうか。

 もしかしたら何も聞かされていないのかもしれない。だとしたらわざわざ話してやる事もない。


「そうなんですね」


「銅像を見上げた後に、ふと下を見ると例の黒猫がベンチから降りてきたの」


「その時、ベンチの上に何か置かれていましたか?」


「ベンチの上? 見ていないわ。何かあったの?」


「手掛かりが少しでもほしいだけです。寶川さんが見ていないのなら、何もなかったんですね」


「どうかしら。黒猫に夢中だったもの。

 で、黒猫を追いかけて行ったのだけど、雨上がりの地面でしょ。ヒールじゃうまく歩けなくて、転倒したというわけよ。普段は履きなれている筈なのに、情けない話だわ」


「暗かったし地面はぬかるんでいましたから、仕方がありませんよ」


 寶川さんがどこまで知らないのか、試してみるか。


「今からの質問は純粋な興味です。こうして寶川さんがお元気そうなので聞けることなのですが、頭を打った時は死ぬと思いましたか?」


「そうね。まさかこうして数時間後にはお話が出来るなんて、想像していなかったわ」


「本に書いていた事なのですが、死ぬ寸前で見た景色は普段とは違って見えるそうなのです。警察の方に寶川さんは仰向けに倒れていたと聞きました。

 死ぬ寸前に空を見たと思うのですが、普段の見ているものとは違っていましたか?」


 寶川は物憂げな表情で天井を見上げると、ゆっくりとした口調で話す。


「普段よりもずっと暗い空だったわ」


「死ぬ最後の瞬間が色褪せた景色というのは、人生の終わりにしては味気ないですね」


「そうね。最後は華やかに死にたいものね」


 なんだか場の空気が重くなってしまった。こういう時にこそ頼れる仲間の出番だ。


「そうだ! お見舞い品を1つだけ貰えるという話でしたが、選んでもいいですか? 箱の大きさと重さで決めようと思います。ここにあるので全てですか?」


「そうよ。さあ、選んでちょうだ」


「失礼します」


 そう言って寶川さんに背中を向けると同時に、雨井に目配せをする。雨井は一度だけ瞼を強く閉じると、半歩だけケイの方に寄ると口を開く。


「せっかくなので、寶川さんが異性を虜にする方法、教えてくれませんか?」


「男性を落とす方法論で良いの?」


「はい。騙されない為の参考にしたいので」


 雨井が移動してくれたおかげで、寶川さんの位置からは箱の前で屈む俺の姿が見えなくなった。これがいい。

 これで俺がお見舞い品とセットになったメッセージカードを読む事ができる。ここには11箱が置かれている。しかし、面会者記入帳には12人が書かれていた。1人足りないのだ。


 俺は箱を選ぶ振りをして、すべてのメッセージカードを開いては、名前を携帯電話に打ち込んでいく。

 11人の名前が並んだところで、11箱目を手に持って立ち上がる。雨井と寶川さんは何やら盛り上がっているようで、連絡先を交換している。

 

 寶川さんのその交換の矛先はケイにも向かう。


「もしこの件が落ち着いてケイさんの猫が戻ってきたら、合わせてくれないかしら。ねえ、ねえお願い」


「う、わかった」


「それなら連絡先の交換ね」


「それは……、私に連絡を取りたいなら委員長を通して」


 知らない間に俺が巻き込まれていた。新手の嫌がらせかな? 勘弁してくれ。ケイと寶川さんの仲介をするなんて、面倒が過ぎるだろ


「ケイちゃんと相山君の関係は不思議ね。それでは相山君、よろしくね」


 俺は愛想笑いを浮かべながら、箱を差し出した。


「これにします」


「これは、塩崎さんの贈り物ね。彼はセンスがいい方だから、きっと良い物が入っているわ。それでは開けるわね」


「いえ、大丈夫です。改めて伺いますので」


「そう。では次来るときは連絡してね。次は、1人で来てくれてもいいわよ」


 絶対嫌だ。


 今も寶川さんは獲物を狩る者の目で俺をまっすぐに見据えている。寶川さんを前にすると、食物連鎖で負けている気になる。1人で会うとか自殺行為だ。


「考えておきます。それでは失礼します」


 こうして俺は病室を出て、再び1階に行き面会者記入帳に記帳する振りをして名前を確認する。

 田中良一、それがお見舞い品を持たずに寶川さんと面会をした人物の名前である。知らない名前だ。


 俺たち3人は病院を出る。


「今日のところはこれで帰るか。残るは天坂だけど会うのが大変そうだから、俺の方で段取りを済ませておくよ」


「わかったわ。じゃあ、連絡先。私はこれだから」


 ケイが携帯電話を差し出してきた。その画面には電話番号が表示されている。


 ケイに連絡先を聞いてもグダグダとはぐらかすと思ったのだけど、案外すんなりと教えてくれた。


 大丈夫なのだろうか。電話を掛けたら外国に繋がって、莫大な金を請求されたりしないだろうか。どうしてか躊躇してしまう。


「何してるのよ。早く登録してくれない? 腕が疲れる」

 

「ごめん。今する」


 俺は電話番号を登録すると、電話を掛けてみた。するとケイが手に持っている携帯電話が震えて俺の電話番号が表示された。


「じゃあ、予定が決まったら連絡してね。委員長の帰り道はどっち?」


「俺はこっちだ」


 病院に背を向けて左方向を指差す。


「私は反対ね」


「僕は相山君と同じ方向だね」


「そう。じゃあこれで解散ね。さようなら」


 ケイは俺の言葉を待たずに背を向けて歩いて行ってしまった。俺と雨井は2人だけが残された。


 お互いに目を合わせる。


「じゃあ俺たちも帰るか」


「そうだね」


 俺と雨井は取り留めのない話で笑い合いながら帰り道を歩いていく。


 そして歩き始めて10分ほどが経過した。周囲は一軒家が立ち並ぶ閑静な住宅街になってきた。すれ違う人は殆どいない。


 そろそろいいだろう。


「雨井、少し話を聞かせてくれないか。その帽子を取って」


 雨井は立ち止まり、目を細めて俺をじっと見る。先程までの和気あいあいとした雰囲気の一切が消え去り、空気が重く張り詰めたのを感じた


「どこで気が付いたの? 私が天坂だという事を」

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