幕間 白昼夢 - Khatia day dream -

「――何をしているの。あなたたち」




 最初の印象は、とても強そうだった――ただ、それだけ。


 


「あ? ンだてめえ邪魔すんじゃねえ、正義執行中だバカや……ろ、――」


「正義? どの口で正義をさえずるのかしらね。冒険者でもなんでもない一般人を寄ってたかって甚振って、同じ冒険者として恥ずかしいわ」



 身の丈、百八十八センチ。推定体重九〇キロ。

 服の上からでも鍛えられているのがわかる。

 得物を持っていないことと、手の甲にいくつもの傷跡があることから、彼は拳闘士グラップラーだとすぐにわかった。



「あなたたちのような質の悪い冒険者が、冒険者全体の評価を貶めているということになぜ気が付かないの?」


「か、カティア・ルイ……なぜ、ここに」


をつけなさいよ、この下郎が」


「ぐびッ!?」



 つま先が男の腹部にめり込む。


 

「―――」



 視線が、まとわりつく。

 


「――?」



 俺、関係ありませんよ――みたいなツラして、わたしの一挙手一投足を観察し、それなりの速度で打った蹴りを目で追って見せた。



 視線が、まとわりつく。

 彼の周囲の空間が、ぞわりと蠢いた気がした。



「ありがとうございます、助けてもらっちゃって」


「……いいのよ。それで、何を揉めてたの?」


「い、いやあ、実は――」







「おい……さっきの新人ルーキー、適性試験Aランクだったみてえだぜ」


「うわ、マジかよ……何年ぶりだ?」


「どっかの大手クランに速攻で盗られちまうんだろうなぁ。羨ましいぜ、生まれながらの才能ってヤツが」



 Aランク……か。

 あの青年が強いのは、一眼でわかった。

 拳の傷跡から、努力を積み上げてきた人間だということもわかる。



 けど、頭で理解していても、噂を垂れ流す男たちと根本は一緒だった。

 妬ましい。

 わたしが四年かけて到達した地点を、そんなあっさりと踏みしめてみせたという彼が、たまらなく妬ましい。



 ――同時に、興味が湧いた。

 彼は一体何者なのか。

 その強さは才能によるものなのか。

 どんな鍛錬をしているのか。



 わたしは、まだ強くなれるのか。




「――ちょっと待って。その依頼、わたしも一緒に行ってもいい?」




 それからの行動は、早かった。

 わたしはまず、彼を知ることから始めた。







 彼――アルマは強かった。

 とてつもなく、強かった。

 己の強さを、恥じるほどに。

 


「《天鎧強化フィジカル・ブースト》――壱段階ザ・ワン



 黒紫色の雷を全身に纏い、刹那――音を置き去りに駆け抜けていた。

 Bランク相当のフロアボスである『デス・スケルトンハウンド』をいとも容易く瞬殺して、何事もなかったかのように、



「な? いけただろ?」



 なんて、戯けて笑って見せた。



 彼は強かった。

 自分が恥ずかしくなるくらいには。

 圧倒的な強さがあることを知った。



 けれども。

 けれども。



 この嫉妬心は、闘争心は、もっと強くなりたいと願うこの心は、消えることはなかった。







「副団長サマの喘ぎ声聞いったってマジ?」


「うらやまー。いいなあ、ダンチョー。俺にも貸出してくんねえかな」



 くだらない。



「カティ、最近どこに行ってるんだ? 僕はキミのことが心配だよ」



 くだらない。



「愛人のくせに……」


「村人のくせに……」


「穢らわしいわ、奴隷のくせに……」



 くだらない。

 くだらない。

 くだらない。

 

 

 どいつもこいつも、くだらない。




「――おーいカティ、飯行こうぜ飯」




 でも、アルマの顔を見ると少し、そんな気持ちも和らいだ。

 噂は所詮噂なんだと、真実なんかじゃないんだと、そんなもの切り捨ててしまえと、アルマなら言ってくれる気がした。

 


 失ってしまった居場所を、彼に見出していたのかもしれない。

 アルマだけは、いつものように接してくれる。

 〝いつも〟をくれる。

 付き合いができたのは、短い期間だけど。



「アルマ、馴れなれしい」


「そう言わずについて来いよ。そこにめちゃ美味しそうな焼肉屋を見つけてな」


「わかったから引っ張らないで」



 彼と一緒にいる時、わたしは安堵していた。







 そんな彼が、噂のアルマだったことを知った時……彼には言っていないけれど、わたしは少しだけ、嬉しかった。



 同じ境遇の人がいたんだ。

 こんなにも身近に。すぐそばに。



 アルマが――

 わたしにいつもをくれるアルマが、あのアルマだった。



 彼は、もちろんわたしの噂を知っているだろう。

 でも、なにも言わない。

 気遣いもしない。

 ただ、笑ってそばにいてくれる。



 なぜなら、痛みを知っているから。

 わたしが独りで感じていた痛みを、彼は知っていたから。



 わたしは、独りじゃなかった。



 それを知って、彼がどう思うかわからないけど。

 わたしは泣きそうなほど嬉しくて、胸が詰まって言葉が出なかった。



「……」


「……」



 終始無言で、ごめんなさい。

 でも、今……何かをしゃべってしまうと、きっと涙も止まらないから。



「……カティ。ありがとな、助けてくれて」



 違う。感謝したいのは、わたしのほうだから。



「幻滅したか?」



 するわけない。だって、あなたは、わたしと同じ痛みを抱えているから。



「でも、カティは俺のために怒ってくれてる。そんな人間の心が貧しいワケ、ないだろ」



 その一言で、わたしは救われた気がした。

 






「もう夜遅いしさ、俺、こっから宿まで二十分くらいかかるんだよな。歩いたら」


「……?」


「だからさ……泊まってっても、いい?」



 ……え?

 泊まる? アルマが、わたしの部屋に?



 表情が崩れそうになる。

 内心でパニックになりながら、熱くなる皮膚をなんとか誤魔化そうと太ももをつねった。

 


 アルマは、仔犬のようだった。

 たぶん、尻尾があったら左右に振ってたと思う。そのくせ、表情は飼い主に捨てられましたと言わんばかりな憂い顔。



 アルマと、お泊まり。

 嫌じゃ、ない。

 男女が同じ部屋で寝るってことが、どういう意味かなんて……もちろん知ってる。

 


 アルマが度々、わたしに気があるアピールをするのも知ってる。

 嫌じゃない。ちょっと知らないフリして、からかってるだけ。

 見ていて、楽しいから。

 でも、でも。

 


 お泊まりって――



「そう。いわゆる女子会ってヤツね。いいわよ、そういうの、初めてだから」



 突いて出たのは、苦し紛れの照れ隠しだった。

 とても恥ずかしくて、心臓がドクドク高鳴って、気を抜いたら顔がすぐ真っ赤になりそうで。

 


「……お……う」


「でも女子会って、何するの? そもそもあなた、女子じゃないけどこれは女子会として成立する?」


「……当然」


「ならよかった」



 でも、その成果に、アルマの呆けたツラを拝むことができて。

 ちょっとばかし笑っちゃって、バレる前に彼の手を引いた。



 手汗とか、嫌じゃないかな。

 部屋、片付いてたっけ?

 下着は……大丈夫?



 アルマと……そういうことしたら、どうなっちゃうの。この関係……?



 早鐘が止まらない心臓を抱えて、わたしはアルマを引っ張り続けた。




「…………結局、何もなかったわね」




 密かに気合を入れたわたしが馬鹿らしかった。

 カーテンの隙間から差す朝日に照らされて、寝返りをうつアルマ。

 ふと、姿見の向こうから自分の姿が見えた。



「……っ!?」


 

 その表情は、まるで別人のように弛緩する、いわば恋する乙女の顔だった。




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