031 ゴブリンの巣穴④

 ——ゴブリン・ブレイブは、歓喜していた。



 かつてこれほどまでに、胸が高鳴ったことはあっただろうか。



 この人間を前にして、彼は凄絶な闘志と愉悦に肉体カラダを震わせていた。



 思い返すこと、十年前――

 魔物種の最弱種族ゴブリンとして生を受けたあの日。

 あろうことか、彼は狂おしく退屈していた。




「おまえは生まれてくる種族を間違えたのだ」




 ゴブリンのみで構成される集落コミュニティで、彼は村長であるホブ・ゴブリンにそう言われたことがある。



 ああ、確かに。

 この身は、到底ゴブリンとは思えぬほどに才に満ち溢れた肉体カラダだった。




「——な、なんだこのゴブリン……っ!? 変異種オルタか!?」


「強い……ッッ!! 変異種オルタにこんなヤツがいるなんて聞いてな――」




 よわい五年にして、ゴブリンの平均を大きく上回る体躯を持ち。


 ゴブリンというだけで襲撃してくる人間や、餌としか見ていない格上の魔物を、引き千切って嬲って殺して、喰らってきた。



 数多の戦場と脅威を乗り越えて、鍛え上げられてきた肉体カラダは鋼のごとく。

 下位種とはいえ、竜種の末裔であるワイバーンの堅牢な鱗を素手で打ち破り、絞め殺したことさえある。



 同じゴブリンから、尊敬と憧憬を集めるのに、そう時間はかからなかった。

 いつしか英雄として讃えられ、名を聞いて集まってくる同胞たちも少なくなかった。



 同時に、数が集まることによる弊害からか、人間と魔物からの脅威は増した。

 



「退屈しているのだな」




 そう――彼は、それでも退屈していたのだ。

 ワイバーンを前にした時でさえ。

 複数パーティの冒険者に挑まれた時でさえ。

 


 脅威や恐怖を心身に感じながらも、彼は退屈を隠せなかった。



 ――きっと、俺は勝ってしまうのだろう。



 それは予言のように。

 傷を負い、泥をかぶり、しかし果てには勝利してきた。

 真に、敗北を感じることなんて一度もなかった。

 死を、意識したことなんてなかった。

 


 憑いて離れぬ〝退屈〟と、日に日に増していく闘争心を内に飼った彼は、持て余していた。



 故に強敵を。

 故に闘争を。

 故に、未知を。



 追い求めるのはあまりにも自明の理。

 あえて強国と噂される王国の目と鼻の先に巣を作ったのも、己の退屈を殺してくれる相手が来るのを待っていたからに他ならない。



 闘うに値する強者ツワモノを。

 退屈を殺してくれる猛者を。

 己を満たしてくれる極上の餌を。




「風の噂で聞いたことがある。王国には、最強の拳士がいると。稲妻を体表に宿し、鬼神のごとく荒れ狂う戦士がいると」




 キングへと進化したホブ・ゴブリンの長は、彼の内情を汲み取った。

 汲み取って、試したのだ。

 いいや、見たかったのかもしれない。


 


 ゴブリン史上、最強と名高いゴブリン・ブレイブが、かの伝説と拳を交える姿を。




 そのためならば、配下をいくら犠牲にしようとも構わん。

 そのためならば、この身を犠牲にしようとも一向に構わん。




 ただただ、彼の痛いほど滲み出る退屈を和らげてやりたい――その一心で。




 そして、今この瞬間。

 願いは、早くも成就されようとしていた。




「おお……おお……ッッ!!?」




 ゴブリン・ブレイブは、相対した人間をみて、確信した。

 彼こそが。



 彼こそが——




「んーっと……別に一対一タイマンじゃあなくたっていいんだぜ?」




 ——村長キング・ゴブリンがいつか口にしていた、最強の拳士なのだと。



「ンじゃよ……始めようぜ。ずっと待っててくれたンだろ? 俺だってずっと我慢してたんだ。早くりたくてうずうずしてたんだよ」



 道を開くゴブリンたちの間を、悠々と歩く青年。

 その重心、肉体、傷跡、呼吸、視線――どれをとっても文句なしの傑作。

 


 理解わかる。たとえ視覚を失っていたとしても、この人間を前にすれば自ずと理解する。

 


 そして足を止め、流れる動作で構えをとる青年――瞬間、ゴブリン・ブレイブは自身の目を疑った。




「――来いよ。敬意をもって、叩き潰してやる」 


「——ッ!!?」



 なんだ……これは。

 なんなのだ……これは……ッッ!!?



 青年の背後。

 歪みとともに現れたのは、双頭の蛇――否、

 


 この洞窟全体を覆ってしまうほどに巨大な二つ首の竜が、構えるようにして顎門アギトを開いていた。



 暴風を今にも撒き散らさんとする一対の翼を広げ、竜の首がうねる。

 かわと見紛う尾からは、蛇に類似した竜の首が極大の炎をちらつかせ――



「……ッ」



 目を疑う幻影光景に圧し潰されそうになるのを、紙一重のところで踏みとどまり、ゴブリン・ブレイブは無理やり笑みを作った。



「……俺は、この日のために生きてきたのか」



 最弱種族のゴブリンが、神話にでも登場してきそうなドラゴンを退治する。

 できるはずなんてない。

 やれるはずなんてない。



 しかし。

 しかし。

 


 英雄譚の始まりがそうであったように。

 子供心に信じたお伽話の主人公がそうであったように。



 ゴブリンという、忌み嫌われる種族によってもたらされる、神話の一ページ。

 最弱ゴブリンが、最強ドラゴンを越える――古今、語り継がれる物語はその類だから。



 この第一歩が、英雄譚へと昇華する――――




「――いざ、参るッッ!!」




 咆哮とともに、闘争の火蓋は切られた。



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