012 勇者、咆える

「みんなの仇だ――死ねエエエエエエッ!!」



 幽鬼めいた相貌をひどく歪ませて、へリィンが剣を振り下ろす。

 隣でカティアが息を呑み、腰元の剣に手を伸ばす。



 いくらカティアといえ、抜くよりも早く剣は俺を裂くだろう。

 たとえ間に合ったとしても、ベンチに座った状態では拮抗できない。



 故に、へリィンの唐竹は必殺――殺意と希望と、歪んだ感情を振りまいて咆えるヘリィンもしかとそれを感じていた。



 しかし。

 しかし。




「――ほわぁ」




 堪えきれず、あくびが漏れた。

 遅い。

 遅すぎる。

 なんだこれ、時が止まってるのか? 



 稚児のごとく幼稚な剣筋。止まっているかと見紛う剣速。

 気迫だけはまあ一人前だ。久々にあった俺に対して、殺す気で奮っているのはわかる。



 だが、感情と実力が伴っていない。

 あの頃と、同じままだ。

 理想だけを掲げて、語って、そのための努力をせずまるで夢が叶っているかのような振る舞い。



 だからおまえは、いつまで経っても弱いままなんだよ。



「ふんごぁッ!?」


「先に手を出したのはそっちだぞ。なら勇者サマとはいえ、サンドバックにされても文句は言えねえよな」


「ンゴがぁッ!?」



 剣が届くよりも速く蹴りが顎を射抜き、胸部を両足で踏み抜くように打つ。

 数メートル先まで地面を削って飛ぶへリィン。

 先回りしてはしり、へリィンの体を足で踏み威力を相殺した。

 


「同窓会といこうか、おい」


「あ゛、が………ぁ、ぁぁ………あぁ、ぁぁぁぁるまぁぁぁッッ!!」


「逆だろ」


「ッほげぇ!?」


「おまえがキレてンじゃあねえよ」


「ほぐらぁ!?」



 腹部に腰を下ろしマウントを取る。

 暴れるへリィンを黙らせるように、俺は拳を振るった。



「おまえのせいで俺、生き辛いンだよ」


「ぐぎゃッ」


「無能、人殺し、男体、ゴブリン――噂が広まっておひれがついて、気軽に名乗れやしねえ」


「ぶぎぶらッ」


「さっきだって――」


「アルマ、もうやめて」


「……」


「アルマ」



 振り上げた腕を、カティアが抑えた。

 気がつくと、へリィンはおとなしくなっていた。

 原型をとどめていない、肉の塊。

 かろうじて生きてはいるようだが、ほぼ虫の息だ。

 


「もう十分……これ以上は、だめ。あなたが、本当に犯罪者になる」


「……ありがとう、カティ。また助けてもらったな」


「……世話が焼けるわ。あなた」



 呆れたような言葉とは裏腹に、カティアの顔は複雑に歪んでいた。



「……こんなふうに、やり返してやろうとは思ってなかったんだ」


「……そう」


「俺の名声とか、偉業とかさ。そういうので、見返してやろうって、思ってた」


「……わかってる」


「でも、実際に会ってみると……抑えられなかった」


「……仕方ないわ」



 ボコボコに歪んだへリィンの顔を見下ろしながら、俺は血に濡れた拳をさする。

 痛くはない。

 強化せず魔物を殴る鍛錬もしてきたから、今さら人間を殴ったところで、皮も剥けないし骨も折れない。



 だけど、初めてだった。

 生々しく熱を帯びた拳。

 俺は、自分が思っていた以上に、へリィンを憎んでいたことを理解した。



「……これでおあいこだ。俺はもう、おまえのことを許すよ」



 返事のないへリィンの体を担ぐ。



「だから、二度と俺の前に顔をみせるな。俺も、おまえにはもう二度と関わらない」



 こうして、なんとも呆気なく、俺と勇者の因縁に蹴りがついた。


 






 病院の前にへリィンを置いて、俺はカティと深夜の街に戻ってきた。

 すっかりと人気がなくなり、清涼な空気が遮るものもなく気ままに吹き抜ける。



「……じゃあな、カティ。きょうはありがとう。それと、ごめん」



 カティが拠点としている宿の前まで来て、俺は彼女に微苦笑を向けた。

 


「別に、大したことはしてないわ」


「それでも、感謝したい心境なんだ。理解してくれ」


「貰えるものならありがたく受け取っておくわ」



 そよ風にさらわれるブロンドの髪をおさえて、カティアが無垢な翡翠色の瞳ペリドットを俺の瞳にあてがう。



「……なんだよ」


「寂しそうにしてたから」


「……は?」


「なんだか、とても寂しそう」



 そんなことを言って、カティアが一歩、俺との距離をつめた。



「わたしは、前のあなたのことなんて知らない。今のあなたしか、知らない」


「……どうした、急に」


「侮蔑したり、馬鹿にしたり、離れていったりしない」


「……もしかして、慰めてくれてる?」


「それ以外に何かある?」


「……いや」



 恥ずかし気もなく顔を近づけてくるカティア。

 美人は、どれだけ顔の距離が近づこうとも、美人だった。

 それとも、光が月明かりしかないからか。

 妙に、目の前のこいつが艶かしく感じられた。



「どうかした? 顔が赤いわよ」


「……いや、別に」


「言いなさいよ」


「いや、だから別に何も……」



 あー、なんだよちくしょう。

 こいつ、めちゃくちゃ可愛いじゃねえか。



「思ったことがあるならはっきり言いなさいよ。友達でしょう?」


「……ああ、そうだな」



 友達、ね。

 そうだよ、俺たちは友達だ。

 男と女の友情が果たして成立するかはどうかは知らないけど。

 俺たちは、友達だ。



「明日、ダンジョン行くの忘れんなよ」


「なに、そんなこと? なら問題ないわ。明日はクランの仕事もないし」


「……それで、さ」


「なに?」


「明日、一緒にダンジョン行くじゃん?」


「そうね」


「もう夜遅いしさ……俺、こっから宿まで二十分くらいかかるんだよな。歩いたら」


「……?」


「だからさ……泊まってっても、いい?」



 バクバクと激しく鳴る心臓と熱で、頭がおかしくなりそうだった。

 そんな俺の心境など知らず……というか、言葉の意味の裏側なんて特に気にした様子もなく、顔を赤らめることもなく、カティアは、



「そう。いわゆる女子会ってヤツね。いいわよ、そういうの、初めてだから」


「……お……う」


「でも女子会って、何するの? そもそもあなた、女子じゃないけどこれは女子会として成立する?」


「……当然」


「ならよかった」



 なんの警戒もなく、カティアは俺を引き連れて宿へと進んでいった。

 女子会……か。

 俺、意識されてないのか。

 まあ、友達……だしな。

 でもまあ、いいや。

 今はまだ、こんな感じで。

 これが、いい。



「早く来なさい。置いていくわよ?」


「ああ、すまん。――なあ、悪いんだけど寝巻き貸してもらえる?」


「ワイシャツでいいなら」


「俺は女子か」





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