第96話 スカート

 レイラは宣言した通り、次の週も訪ねて来た。

風邪を引いてしまい、うつしたら悪いから来ないようにと、透から連絡があったのだが、レイラは逆に心配になり、無理矢理来てしまった。透はすぐにはドアを開けなかった。

 しかし、レイラは頑として帰らず、外にいる方が風邪を引いてしまうからと、開けるようドアノッカーを叩いた。レイラは自分に透が見られたくなくて、追い返す口実だと思っていた。ノッカーを叩き続けられては堪らないと思ったのか、暫くして、ドアは開いた。

 ドアを開けた透は、熱の為か真っ赤な顔をして、ドアノブにつかまるように立っていた。レイラがすぐさま透の額に手を当てると、驚くほど熱かった。


「透、今すぐ、服を脱いで」

「え!? 何を……」

「熱がある時は水風呂に入ると良いって言われた」

レイラは子供の時、熱を出すと、体温より少し低めのお風呂に入れられたのを思い出したのだ。水とは言っても、本当は冷たい水ではなく、温い湯だ。

「み、水風呂!? 絶対に、ごめんだ。余計に酷くなる……」

「な、なんで?! 熱を下げるにはこれが一番」

「日本では、熱を出したら温かくして寝るのが一番だから……」

透はそこから意識がなくなった。


 気がつくと、額に氷の入った袋がタオルに包まれて乗っていた。透のぼんやりした頭に、レイラの話し声が聞こえた。

「温かくして、水分をたくさん取ればいいんですね? ポカリスエットかアクエリアス、またはゲータレードを? 風邪を引いたら、日本では何を食べるのですか?」

しばらくして、レイラがペットボトルを持って透の枕元に来た。

「近所にはポカリスエットもアクエリアスも売ってなかったから、ゲータレードを買ってきた。まずは、これを飲んでて。ここに2本置いておくから」

「あ、ありがとう。誰に電話してたんだ?」

「匠に電話して、洋子さんに代わってもらった。心配してた。これから、おかゆを買いに行って来る。中華街に行けばあるかな? だから、ちょっと待っててね。何かあったら、すぐに電話して。戻って来るまで、もう一眠りしてて」

レイラは冷んやりした手で透の頬をそっと撫でた。その冷たい手の感触を、透は心地よく感じた。透が、もう暫くその手の感触を留めておきたくて、何か言おうと思っている間に、レイラは颯爽と飛び出して行った。


 しばらくして戻って来たレイラは、中華のお店でおかゆをテイクアウトして来たようだった。

「辛いかもしれないけれど、起き上がって食べて」

透は朦朧としつつ、言われるがままに起き上がり、ベッドヘッドに枕を立てかけて寄りかかった。レイラが椅子を寄せて、スプーンを持って近づいてきた。

「はい、口を開けて」

透はぼーっとしているせいか、うっかり、口を開けてしまった。スプーンを咥えてしまってから、ハッと気づいて、耳まで赤くなった。

「ありがと。自分で食べるから、大丈夫……」

レイラは、その様子があまりにも可愛くて、と思わず抱きしめたくなってしまった。だが、透は朦朧としてはいるが、絶対に嫌がるだろうと思い、我慢した。


 透には看病してくれているレイラが、天使のように思えた。透が危機の時には、必ずレイラが駆けつけてくれるような気がして、安心して眠りに引き込まれていった。


 次に、透が気付くと、レイラが透の脇に体温計を挟んで熱を測っていた。

「40度もある! 透、大丈夫? 侍医を呼んだ方がいいかな? どうしよう……」

「大丈夫、寒気がするだけだから。心配し過ぎだよ」

「布団三枚かけてるけど、まだ寒い?」

透は熱のせいで朦朧としていて、今が昼なのか朝なのか、何曜日なのか全くわからなかった。しかし、レイラが、そんなに寒いなら、とベッドに入ってこようとしたのを見て、慌てて押し戻した。

「移ったら、大変だから、マスクして離れていて」


 レイラは、透の汗でびっしょりになったパジャマを着替えさせようと、洋服ダンスを開けた。中に幾つかのコートや服と共に、ロングスカートがぶら下がっているのが目に入った。着替えの下着を探す為に、更に他の引き出しを開けてみると「広田 あきえ」と書かれた名刺が入っていた。別の引き出しに、女性用の下着も入っていた。どう言う事だろう。スカートや下着を置いていくシチュエーションとは……。レイラは今すぐ問いただしたい欲求に駆られたが、具合の悪い相手に聞くような事ではないと考え、我慢して替えになる服を探した。


 レイラはスマホを消音にしていたが、朝から鳴りっぱなしだった。先週は日曜の夜には城に帰っていたのだが、もう既に、月曜の朝だった。護衛たちには、「透が高熱を出していて、一人にして置いて帰れない」と連絡をしていた。だが、それを耳にした大臣や執事たちは、心良しとしなかったため、戻って来るよう、電話をかけ続けてきていた。

 大臣たちの中には、レイラが透に執心だと聞いて、透の高熱が原因ではなく、レイラがのぼせ上がって帰ってこないのでは、と危惧する者もいた。傾国の美女ならぬ、傾国の詐欺師ではと心配し始める者もいた。レイラは純粋故に、その美形の男に騙されているのではないか、豊かな資源を持つサファノバの王配の地位を狙われたのではないか、とまで言い出す者もいた。


 アントンはレイラがずっと、透を好きだった事を知っているが、国民や、議会の人間は知らない。海外から、いきなり現れ、レイラを陥落させ、財産や地位を利用しようとしていると思われる可能性もあると、気がついた。そういうものから、二人を守らなくてはならない。

 レイラ不在の今、アントンや護衛たちは自分の親たちに、透はそんな人物ではないと、一生懸命説明してまわっていた。大臣たちは、では、なぜ、レイラは透を代わりの誰かに任せ、帰国する事ができないのか、なぜ、誰も寄せ付けようとしないのか、と護衛たちが説明できない事を問うた。アントンだけは理由を知ってはいたが、レイラから口外しないよう言われている。アントンは予見していた通りの事が、起こってしまい、何も出来ない自分を歯痒く思った。


 月曜の昼頃、やっと透の熱は下がった。目を覚ました透は、片手が動かない事に気がついた。レイラがベッドに突っ伏して、片手を透の手に絡めて眠っていた。透がそっと手を外して、レイラのおでこに手を当ててみると、熱はなさそうで、移してしまっていなかった事に、ホッとした。

いつもなら軽々と抱き上げられるのだが、まだ熱が下がったばかりでフラフラしている。なんとか踏ん張り、レイラをソファに寝かせ、布団をかけた。運ばれても目を覚まさないくらい、レイラは頑張って看病してくれたのだろう。レイラにとっては慣れない事で、相当疲れたに違いないと、透は思った。透はパジャマと寝具を洗濯機に放り込んで、眠っているレイラに遠慮して、洗濯機のスイッチは押さず、シャワーを浴びた後、冷凍庫にあった鶏肉と、冷蔵庫に入っていた玉ねぎ、にんじんでスープを作った。自分がかけていた布団はとりあえず、窓際に広げて干しておいた。


 レイラは食欲をそそる匂いで目を覚ました。透がダイニングのテーブルでノートパソコンを見ているのが目に入った。

「透、もう起きて大丈夫なの?」

「もう熱は下がったみたいだ。レイラが来てくれて、助かったよ、有難う。今、スープを作っているから、もう少し待っていて」

 そういうと、パソコンを消して立ち上がり、味見をしに鍋に向かった。少し、痩せたようだが、顔色がだいぶ良くなった透を見て、レイラはほっとした。逆に透はレイラが、少しやつれたような気がして、心配になった。

「レイラ、看病疲れしたんじゃないか? ご飯はちゃんと食べていた? 護衛の誰かに迎えに来てもらう? そう言えば、今日は月曜だけど、帰国しないで大丈夫なのか?」

「私は大丈夫。スープをもらったら帰るね。熱が下がって、良かった」

「本当に有難う」


レイラは、不意に思い出した。

「……タンスと引き出しの中にスカートと女性用の……があったんだけど……」

レイラが言った途端、透はまた熱が上がったのかと思うほど、赤くなり、目を逸らせた。レイラはそれを見て、カッとなった。

「ここへは採卵しに来ているんじゃなかったの? 私を遠ざけているのは、他の誰かがいるから?!」

透は驚いて、レイラを見て、再び目を逸らした。

「……あれは、病院に行く時用に、用意したものだ」

透は言いづらそうにして、そっぽを向いた。

「え? 透が着るの?!」

透は両手で顔を覆った。

「もしかしたら、この国では気にしなくてもいいのかもしれないけれど。採卵しに病院へ行くのに、男の格好で行くと目立つかと思って、スカートを履いて、上に体型のわからない大きめのセーターを着て、行っている……。だから髪も切らずに伸ばしているんだ……。本当は女装しているみたいで、嫌なんだ……。でも採卵するのはほとんど女性だから、私がこのまま一人で行くと目立つんだ。サイズは私用だ。レイラは、そんなに、私を信用していないのか……」

そう言うと、透は溜息をついて項垂れた。

 レイラは、透にとって採卵する事が、心身共に大きな負担となっている事を改めて、思い知った。しかし、透が決心して始めたことでもあり、今、自分に出来る事は何もなかった。

透は「女装しているみたいで」と言った。では、今までの透は男装していたのか、違う。女装していると言い切れない、透の複雑な気持ちを感じた。

「ごめん、信用している。私が体外受精の事を口にしてしまったばっかりに……そんな思いをしてまで……採卵してくれて、有難う」

透は黙って首を横に振った。レイラはそっと、透の背に手を回し、いつも透がしてくれるように、ゆっくりとその背を撫でた。


「もう、そろそろ、帰った方が良いんじゃないか?」

「本当は心配だから、もう1日いたいけど、帰れコールがかかって来ていて……」

「私なんかの看病の為に……。ごめん」

「何を言っているの? なんか、じゃない。透は私にとって、何者にも変え難い存在なの。透の痛みは私の痛み。そのうち、式で誓う事になる……。『病める時も、健やかなる時も死が二人を分つまで』って」

言いながら、レイラは透を見つめ、ほんのりと頬を染めて俯いた。透はたまらなくなって、レイラを抱きしめて言った。

「死が二人を分っても、どんな姿になっても探し出す」

「輪廻転生は仏教徒の思想だよ……。仏教徒である透は、生まれ変わる事ができるかもしれないけれど、私は生まれ変われない……」

透はレイラが冗談で言っているのかと思って、覗き込むと、哀しそうな顔をしていた。

「では、死んでしまったらゴーストになって、レイラを見守るよ」

透は言いながらも、自分は何を中高生みたいな事を言っているのだろうと、恥ずかしくなった。気持ちを表現したくても、レイラを前にすると上手くそれを表せない自分に、溜息をつきたくなった。

「透が先に逝くのが前提なの? 私を置いて行くつもりなの?」


 レイラは、何度生まれ変わっても透に巡り逢えるのであれば、仏教に改宗してもいいと密かに思った。改宗できなかったとしても、もし、透が先に死んでしまって、生まれ変わったとしたら、意識の下の方へ潜り、探せるのではないかとレイラは思った。

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