第78話 話題

 玲奈の母親が、お迎えの時にタブレットを片手に、透に近づいてきた。

玲奈は、今日1日、珍しく透に近寄ってこなかった。近くにいるが、距離をとって観察しているという感じなのだ。

「ママ、玲奈はまだ、遊んでたい」

毎日繰り返される攻防にも、透はニコニコと笑って様子を見ている。

「お帰りなさい。今日はちょっと体調が悪かったのか、お弁当を残していました。フラフープ17回、回せたね」

玲奈は透から少し距離をとりつつ、自慢げに母親を見上げた。


「透先生、有難うございます。お弁当、毎日作るのって、大変で……。つい、うっかり嫌いなものを入れてしまったんです。幼稚園も、小学校みたいに給食だとありがたいんですけれど」

「それは、他の方達も言っていますか?」

「えぇ。給食の方が、好き嫌いがなくなるって言われていますし。食育もできるのではないかと思います」

透は検討します、と答えそうになり、口をつぐんだ。


 誠実学園に子供を通わせている家庭でも、最近働いている母親は多い。話を聞いていると、家事も育児もワンオペで、相当母親に負担がかかっている家庭が多数だ。お迎えも圧倒的に、母親が多い。

 給食にしたら、少しは負担が減るかもしれない。負担が減る分で、子供たちと向き合う時間が増えるか、自分の時間を持つことで心に余裕を持ってもらえれば良いのではないか。匠が小さかった時、好き嫌いが激しく、洋子が弁当作りに苦労していた事を、透は思い出した。透が匠の弁当を作った事もある。匠が、「透ちゃんのお弁当!」と喜んでくれた事もあったからだ。保育園では給食が当たり前だと聞く。ただし、アレルギーで色々と制約のある子も多いから、給食とお弁当どちらか選べる方式がいいだろうかと、透は考えた。


「透先生、これ、昨日うちの子が見つけたのですけれど」

そう言って、玲奈の母親が差し出したタブレットに映っていたのは、One smile for allのMVだった。

「ここに映っているのは、透先生じゃありませんか?」

「さぁ、似ているだけじゃないですか」

透はとっさに、誤魔化した。

「これ絶対、透だよ! 透がキスしているこの女の人、だれ?」

いつの間にか玲奈が、透の服の裾を引っ張っている。透は驚いて、MVを見直した。透が眠っているレイラにそっと、キスをするシーンが、歌の合間に追加されたようだ。

「れなちゃん、似ているだけで、違う人だと思うよ」

「絶対、透だもん! この人、誰? 玲奈が透のお嫁さんになるって言ったのに〜!」

「玲奈、先生が違うって言っているのだから、違うんじゃない。昨日、これを見つけてから、玲奈は機嫌が悪くて……。この歌っている子達、誠実学園高校の軽音部だって、下のコメントに書いてありました。2バージョンあるみたいですけれど、どちらも再生回数、すごいですよね。これ撮った監督、凄く有名な人らしいですよ」

玲奈が泣き出す寸前である事に気づいた母親は、玲奈の手を素早く引いて、泣き出される前にそそくさと帰って行った。本人が違うと言い張ったにもかかわらず、この映像は幼稚園では、透だろうと噂された。


 このMVについて、母親たちの間では、「透先生はバイトで生活費を稼ぎながら、俳優を目指している」、という話になっている、と透は園長から教えられた。透はその噂を否定しなくてもいいと園長に伝えた。その噂からいけば、相手は海外の女優ということになり、レイラが誰であるかを特定される事もないし、むしろ好都合かもしれないと思ったからだ。


 そして、匠の通う中学の方でもこのMVが話題になり始めた。匠は髪の色も戻し、カラコンも止めた所へ、ちょうどこの映像が日本でも再生回数が広がり始めた。合唱部で指揮担当の劉が最初に気づき、あっという間に、合唱部メンバーの間に広がった。匠が放課後、合唱部の部室である音楽室に行くと、メンバーに囲まれた。

「匠、これ匠だよね?」

「なんで、高校生と一緒に映っているの?」

口々に質問が飛び交っているところへ、合唱部顧問の木野田が入ってきた。

「みなさん、始めますよ。どうしたんですか?」

「先生、佐方がYouTubeに映っているみたいなんです」

匠をよく思っていなかった3年生の小竹が、木野田に画像を見せた。先生はじっと映像を見た。制服も高校のものだ。匠も高校のジャケットを着ている。


「この子達は確か高校の軽音コンテストで今年、優勝した子達ではなかった? 佐方くん、なぜ、ここに映っているの? 部活の掛け持ちは禁止ですよ」

「先生、そんな事より、これ、世界的に有名な監督が撮っているんですよ? うちの高校の軽音部、凄くないですか?」

美里や劉は、匠が怒られないように、好意的にとらえてもらおうとした。


 匠はリュックの中にあるクリアファイルから、一枚の紙を出して、木野田に渡した。理事長のお墨付きだ。木野田は黙って、お墨付きを読むと、元通りに畳んで、匠に返した。

「わかりました。どちらも手を抜くことなく、やってのけたのですから、問題ありません」

「匠、その紙、何?」

メンバーは興味津々で匠を取り囲んだ。しまおうとした匠の手から、誰かがお墨付きを取り上げた。

「あ、返せよ!」

小竹の手によって、お墨付きが開かれる。

「これ、理事長から、部活掛け持ちを認めるお墨付きじゃない!」

「なんで、こんなもの持っているの?」

「佐方君、別に話しても構わないんじゃないかしら?」

木野田が助け舟を出した。


「高校の軽音部の顧問にスカウトされて、部活の掛け持ちは禁止だと断ったら、軽音部顧問が理事長から、掛け持ちしても良いというお墨付きをもらってきたんだ。だから、合唱が休みの時に、高校の方へ行って参加していたんだ」

「最近、派手だと思ったら、高校の軽音に加わっていたからだったんだ〜。髪も色抜いているし、カラコンもしているし」

美里が屹と、小竹を睨んだ。

「美里、恐っ! 佐方が好きなんじゃないの?」

「何言ってんの!」

美里が赤くなって怒った。

「美里、いいから……。小竹さん、俺はアルビノだから、この髪の色は地毛で、目の色もカラコンじゃない。今まで、目立ちたくなかったから、黒染めして、黒いカラコンを入れていたんだ。でも、この学校は自由で、多様性を認める事を第一に掲げているから、隠す必要がないと、やっと、わかったから染めるのを止めたんだよ。背の高い人や低い人がいるように、髪の色も目の色も違う人がいるんだよ」

 匠はそう言いながら、レイラも透がインターセックスである事を、髪の色や目の色と同じように納得してくれればいいのにと思った。


 匠がアルビノだと知らなかったメンバーは、納得した。目の色もホワイトブロンドも自然な感じで、黒よりも匠に似合っていたからだ。

「ここに映っているのは、やっぱり匠なの?」

劉の問いに匠は頷いた。

「冬休みにある人から、キーロヴィチ監督を紹介されて、記念にメンバーでMVを撮ってもらったんだ」


 小竹と数人以外は、皆どういうふうに撮影をしたのか知りたがった。途中に映っているメンバーでは無い二人についても、誰なのか、聞きたがったが、匠は答えずに誤魔化した。

「佐方君、なかなか貴重な体験をしましたね。さぁ、お喋りはこのくらいにして、部活を始めましょうか」

木野田は映っていたのが理事長だと気づいた様で、ちらっと匠を見たが、それ以上は何も言わなかった。


 高校の方でも、MVは話題になった。軽音顧問の森も、MVをお気に入りに登録したようで繰り返し見ていた。One smile for allのメンバーは校内でも有名人になりつつあった。違う学年の子達が、メンバーのクラスを覗きに来たりしていた。ただし、One smile for allのメンバーも森も、映っている透とレイラについて、名前を出さないよう頼まれていたため、誰に聞かれても答えなかった。答えなくても、透がよく授業などに顔を出していた高校生たちからすれば、写っている人物が理事長だとわかる為、相手が誰なのか知りたがった。しかし、MVが話題になり始めてから、透の姿を校内で見る事がなくなり、確かめることは出来なかった。

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