第77話 惑乱

 アントンは父である大臣に呼ばれた。

「理由はわからないが、レイラ様は日本人とは上手く行かなかった様だな。日本で育った子も、一緒に戻ってしまったし……。戻ってくるかわからないのであれば、1日も早く後継者を生んでいただく為にも、結婚して頂かないと……。家臣の中から、王配をと言う話になるかもしれん。そうなると、お前が第一候補になるから、心の準備をしておけ」

 アントンは口止めされてはいないが、真実をどこまで話して良いかわからず、何も答えられなかった。自分の父親が一番、後継者問題を重視している事だけは、わかった。


 アントンは、レイラの所へ様子を伺いに行く。レイラの執事からも、様子を見るように頼まれていた。執事よりもアントンの方が、レイラにより近い存在だからだ。匠が日本に帰国して以来、レイラは食欲もなく、元気もない。


 アントンがレイラの部屋をノックして、あるのか無いのかわからない返事を待ってから、レイラの部屋に入ると、レイラはグラスを傾けていた。すでに赤ワインの瓶が3本空になっている。アントンは黙って、まだ入っていた瓶とレイラが手にしていたグラスを取り上げ片付けた。レイラはグラスを取り返そうと、立ち上がったが、食べずに飲んでいるせいか、ふらついた。アントンが慌てて支える。レイラはそのままグニャリとアントンに寄り掛かった。

「いくら明日は公務がお休みだからと言っても、飲み過ぎです。少しお控えになってはいかがですか。お水を持って参りますので、少し横になって、おやすみになった方が良いですよ」

 アントンは、麻薬に溺れかけていたレイラを思い出してしまった。中毒になる前に止めさせなければならない。しかし、今回レイラをそこまで追い込んでしまったのは、自分たちだ。

 アントンは骨が無くなってしまった様なレイラを、ベッドまで横抱きにして運ぶ。

「……透?」

不意に、レイラがアントンの首に腕を回してきた。酔いすぎて、現実と夢の違いがわからなくなってしまっているのだろう。アントンがレイラを抱えたまま、ベッドに向かって歩いていると、レイラが囁いた。

「……側に、いて」

 常に凛としている事の多いレイラの、甘えるような態度と囁く声を、アントンは初めて耳にした。透と二人でいる時にだけ見せるものなのだろう。自分に向けられているものではないと、分かっていても、顔が赤くなっていくのがわかる。 


 アントンは誰よりも長くレイラの側にいて、ずっと憧れていた。このまま、レイラが立ち直らず、何も手を打たないでいれば、レイラは早々にアントンと結婚する事になるだろう。アントンは無防備に自分に体を預けているレイラを、ずっと見ていたいと思った。だが、手の中の美しい花は、自分が手折れば、すぐに枯れてしまうだろう。これが1年前であれば、王配の第一候補になっていると言われれば、嬉しくてしょうがなかったに違いない。けれど、今は、アントンはレイラを見ていたいとは思っても、それ以上は望んでいない事に気づいてしまった。

 その上アントンは、透がレイラにとって、もう宗教のようなものだと知ってしまった。レイラは日本から帰国して、望まぬ結婚をし、暗殺の危機に晒され続け、周りの者が次々と亡くなる中で、何とか正気であり続けたのは、「透」と言う存在があったからだ。いつか、また逢える、と言う儚い希望を持ち続けていたからだ。

そして、レイラの夢がやっと叶ったにも関わらず、それを今度は自分を含めた家臣たちが壊そうとしている。女王陛下、と敬うフリをして、その実、その気持ちを無視して、後継者を産むだけの存在に格下げしようとしている。そんな事をする自分をアントンは許せなかった。


「……レイラ様、私は透ではありません」

 途端に、どこにそんな力が残っていたのか、アントンは強烈なパンチを喰らった。うっかり落としそうになったが、アントンは持ち堪えた。

「降ろせ!」

「大丈夫です。レイラ様に何かしようなんて、恐ろしい事は考えていませんから。相当酔っておられたので、お運びしたまでです」

アントンはそっとレイラを降ろした。


「レイラ様のお気持ちが、ずっと透にある事はわかっています。私も第一候補は御免です。だから、なんとか、透に戻って来て欲しいのです」

「第一候補?」

「父がレイラ様は、透とうまく行かなかった様だと知り、王配候補の第一候補として私をあげる様です」

「……勝手な事を。どうするつもりだ? このまま、私と結婚するのか、アントン?」

レイラは投げやり気味に問うた。

「レイラ様のことはお慕いしておりますが、その、なんと言いますか、体が惹かれるのは男性の様で……」

「え? まさか、透?!」

「確かに魅力的ではありますが……」

全く生気のなかったレイラの瞳から、炎が吹き出しそうな様子を見て、アントンは慌てて言葉を継いだ。

「違います」

控えめに答えた。そうですと言ったが最後、何が起こるかわからない上に、強烈に拒否すればそれはそれで、レイラの反感を買いそうではあった。

 アントンは透の父の家で長風呂とビールで酔い、思わず透に寄り掛かった時の事を、すぐに頭から追いやった。酔ってはいたが、自分のやっている事はわかっていた。

 それまで、好きだと思う事はあっても、女性に触れたいと思った事がなかった。透に寄りかかった時に、はっきり自覚した。自分は男性に触れてみたかったのだと。誰でもいいわけでは無い。透に迫らなかったのは、透がレイラの想い人だからだった。心を惹かれ、忠誠を捧げる相手の気持ちを裏切るような真似は出来なかった。その後、より一層興味を強めたのが、マルコヴィッチに対してだった。

「……その、いつからそのことに気がついたの?」

驚いた様に、レイラが聞いた。

「透の家で、時間が遅くなるからとマルコビッチとお風呂に入った時に、はっきり気がつきました。でも本人には何も伝えていませんし、何もしていません。拒否されるされる事は目に見えています。相手から拒否されるのは辛い事です。異質なものを見る様な目で見られ、拒否されるくらいなら、苦しくても言わないで側にいるか、いっそ離れたいと言う透の気持ちが、私にはよくわかります」


 アントンはレイラに惹かれても、触れたいとは思わない。マルコヴィッチはアントンの気持ちを知らない。心が惹かれる対象は女性なのに、肉体が惹かれる対象は男性と言う事はおかしくないと、アレクシスは言ってくれた。でも、それを受け入れてもらえる可能性はとても低い。しかも、そんな事を伝えて、受け入れられようはずもない。カミングアウトして拒否されれば、仲間として一緒に働きにくくなる。それどころか仲間、と言う立場すら危うくなる。レイラはうまく理解できずに、アントンはゲイなのだと勘違いしているようだが、それでも良いとアントンは思った。


「それより、そんなに透を諦められないのなら、どうして、行動を起こさないのです。レイラ様らしくないではないですか」

「透を酷く傷つけてしまった……。それに家臣たちは後継者を望んでいる。透には子供が出来ない。透には、私が暗殺集団のトップだと知られてしまった。もう、どうしたらいいのかわからない。いっそ、女王をやめてしまおうかとすら思った……。そうすれば、後継者については何も言われない。家臣たちをがっかりさせる事もないし、透が後継者について何か言われて傷つく事もない。子供ができない事を家臣たちに黙って、透と結婚したとしても、家臣たちは悪気なく後継者を求める。その事で、透は何度も傷ついてしまうだろう……。透を傷つけたくない。かといって、本人が、子供ができない理由を人に話したがらないのに、私が家臣たちに言う訳にいかない。それに、透が暗殺者集団の事をどう思っているのかも、わからない。……透はそれについて、何か言っていた?」

「匠君に話す、と言うだけで特に何も言っていませんでした。それよりも、王位を捨ててまで、と考えていたのですか……」

(アレクシスはイギリスの「王冠をかけた恋」の話をしていたが、サファノバで同じような事が起きてしまったら、大変だ……)

アントンは冷や汗をかいた。

「透と一緒にいられるのであれば、サファノバを出て日本で暮らしてもいい。透の母親も透が仕事を続ける事を望んでいる。でも、そんな事が私に許されるか? 無理だ……。この国には他国の様に後を継いでくれる者が、もう誰もいない。何年かかけて共和制なり、資本主義なりに移行するとしても、それに何年かかる? その間に透は、日本で他の誰かと結婚してしまうかもしれない……透の母親は、透を結婚させたがっている。それでなくても、透が今まで独身でいた事は、奇跡なのに……」

 インターセックス である透を受け入れてくれる誰かと、自分を忘れて結婚してしまうかもしれない。自分ではない誰かが、透の隣で笑い、微笑み合い、その腕に抱かれる。自分はそれを冷静に受け止める事も、祝福する事も出来ない。 唯一、透とつながりを持てるのは匠を通してだけ。

 その匠も、透を傷つけた自分の元へは、戻ってきてはくれないだろう。レイラは気がついた。透の父の修は、自分の母への求婚を断られ、傷心中に、透の母である菊に慰められて、結婚に至ったのだという事を。同じように傷心中の透の心の中に、するりと誰かが入り込んでしまう事など考えたくもなかった。今すぐ、全てを捨てて日本に飛んで行ってしまいたい想いと、生まれ持って背負わされた義務に縛られ、レイラは身動きが取れなかった。

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