第63話 別れ

 「レイラ、話しておきたい事がある」

透の表情の中に、レイラは不安な要素を見てとった。

「レイラは後継者がいなくても構わないと言っていたが、家臣たちは皆、後継者を望んでいるようだ。ずっと答えを迷っていたが、後継者は不要とレイラが言ったから、話さなくて済むと思って言わなかった。でも、後継者を望まれているならば、言わなくてはならない。……私には……子供が、出来ないんだ」

「……病気か何かなの?」

神様の采配で、出来なかったのと、最初から出来る可能性がないのでは大きく違う。レイラは透の子供を欲しいと思っていた。さらに、周りからは後継者を期待されている。サファノバで産まれて育った子供が、後を継ぐことが望ましいと思っている家臣たちが多いことも知っている。

「身体の中に精巣がないんだ。インターセックスと言う言葉を知っている? 古い言い方で言えばアンドロジナスと言う」


 レイラは思い出した。レイラがふざけてその言葉を口にした時、普段怒らない透が氷のように冷たくなった。

「私の身体には精巣の代わりに卵巣がある」

「どういう事?」

「定期的にホルモン注射を打たないと、……生理が来る」

「え! だって昨夜は……」

「人によって色々違いがあるのだが、私の外形と心は男性なんだ。レイラには、これから夫となる人との間に跡継ぎ必要であれば、私はレイラの結婚相手としての資格がない。私がどんなにレイラを好きであろうと、私がイエスと言っても、決めるのはレイラと周りの人たちだ」

 レイラは透の「生理が来る」と言う言葉にショックを受けて、それ以降の言葉が頭に入らなかった。

「……そんな、信じられない……」

透はパニックになりかかったレイラを、落ち着かせようと、そっと抱きしめようとしたが、レイラがびくっとした為、少し離れたところに座った。レイラの目が異質なものを見るように、透を見た。透は耐えきれずにレイラの視線を避け、俯いた。

「ずっと、言い出せなかった。レイラとの約束を考え始めてから、もう一度検査を受けたけれど、事実は変わっていなかった。昨日のうちに、こういう事になる前に言わなかったのは私の弱さからだ……。言ってしまったら、どう思われるかわからなかったし、君を失いたく無かったんだ……愛していたから」

「……知りたく無かった、そんな事。黙っている事も出来たのに、何で……」

レイラは責める様に、透を見上げた。

「レイラには嘘をつきたくなかった。誠実でありたかった。昨日、後継者の事はもういい、と言われ、伝える必要がないと思ってしまった。でも周りから後継者が必要だと言われるのであれば、言っておかなくてはと考え直した……。ごめん」

 

 レイラはショックを受けすぎて、考える事が出来なくなった。透の言った言葉がすぐに頭に入ってこない。生理が来ると言う事は、女性なのだろうか。でも、透は紛れもなく男性だったと、レイラは思う。自分が愛してしまった人はどちらなのだろう……。目の前の透は間違いなく男性に見える。

「透は、どっちなの? 男性? 女性?」

「……伝えるのが難しいけれど、男性・女性の体には様々な発達状態があって、男性、女性の二種類しかないわけではないんだよ……」


 レイラは混乱した。男性と女性のどちらでも無い、という事はどういう事だろう。悲しいのか、怒っているのか自分でもわからなかったが、涙が勝手に溢れ出して来る。レイラにとって後継者は、匠がいれば十分だと思っていたが、家臣たちは今までの事もあり、もう一人後継者がいないと不安なのだというのはわかっていた。家臣が望む事を透とでは叶える事が出来ない。ほんの数分前まで、生きて来た中で最高の幸せを感じていて、それがこの先続いていくと思っていたのに、一気に、天国から地獄に突き落とされたような気分になった。レイラは透が哀しそうに、見つめているのが分かったが、近づく事が出来なかった。透が独り言のように呟いた。

「中学の時にインターセックスと知り、男性としてのアイデンティティが崩壊した。注射でようやく男性としてのアイデンティティを確立し、日本の高校に戻って来たところへ、男子としてレイが現れた。今思えば、やっと確立したアイデンティティが、男子であるレイを好きになってしまうと、また崩れてしまうのが怖かったのかもしれない。だから、自分の気持ちに蓋をしてしまったんだ。本当は好きになった相手が男だろうと女だろうと、関係ないのに……。今更、何を言っても遅いけれど、私は高校の頃から、レイラがどちらであろうと好きだった……」

 レイラは周りからはもう一人、できれば女の子を期待されているのはわかっていた。でも、透との間には子供は生まれない。透とは離れたくない。透は男性でも女性でもない。自分が焦がれ続けた相手は何だったのだろう、そればかりがレイラの頭の中をぐるぐると回り続けている。


 朝食の席で、匠は昨日まで嬉しそうにしていたレイラが、項垂れている事に気づいた。透もまた、物憂い感じで何を食べているのかわかっていない様子だ。二人とも目を合わせない。夜から朝の間に何かあったのだろうか。聞いてみたいが、聞いていい事かどうなのかもわからず、戸惑った。

「透ちゃん、年末まで滞在するんだよね?」

「今日イギリスの知人に会いに行く事にしたよ」

「え? もう行っちゃうの?! お母さん、どうしたの?! 止めないの?」

レイラは重い溜息をつくばかりで、透を見ない。昨日まで、熱視線で穴が空いてしまうのでは無いかと思うほど透を見つめていたのに。

 朝食が終わるまで、二人は目も合わせず、話もせず別々の部屋へ戻って行った。透に聞いても答えないだろうと思い、匠はレイラの部屋へ駆け込んだ。


「お母さん!」

駆け込んできた匠を、レイラは小さい子の様に抱きしめる。

「一体、どうしたの? 透ちゃんにプロポーズしたんじゃなかったの? そんな事ないと思いたいけど、断られたの?」


(こんな話は他の誰にも出来ない。匠はまだ中学生だが……)

レイラはメイドに部屋を出る様、身振りで伝える。

レイラは、まじまじと匠を見る。余計な事を聞いた為、怒られるのかと思い匠が首を竦めていると、

「断られた? 断られてはいない。透は資格がないと言ったんだ」

「何の資格? 何か条件があるの?」

「家臣たちは後継者を期待しているが、ある事情があって、透には子供ができないと言う」

「跡継ぎは俺だけじゃだめなの?」

「私は匠がいるから、もういいと思うのだが……。こんな言い方は匠の気にさわるかもしれないが、万が一匠に何かあった場合に備えて、周りから王位継承者は最低、後一人は人欲しいと言われている。私にはもう、姉妹も叔父叔母もいないから」

「じゃあ、跡継ぎにしないのであれば、俺は日本にいても構わないよね?」

「そんな事は言っていない。匠は第一王位継承者だ。いずれはサファノバに帰って来てくれなくては困る。透は後継を設ける事が出来ないからと、自ら身を引こうとしているんだ」

レイラは爪を噛む。透は身を引こうとしている。レイラが引き留めたくても、周りの事情が許さない。

「事情はわからないけど、今は不妊治療が進んでいると日本のニュースで言っていたよ。日本で生まれる子供の十何人に一人は体外受精だって」

匠が言った言葉は、レイラの耳には入っていかなかった。


 一方、透の部屋の扉を乱暴に叩く音がした。透が返事もしないうちに、アントンが珍しく足音を立てて入って来た。

「急に部屋に戻ったりして、どうしたのだ? その後から、レイラ様の様子が急変した。透、もしや急に気が変わって断ったのではないだろうな?」

透は、スーツケースに荷物を詰めながら答える。

「断られるとしたら、私の方だ」

アントンは顔を真っ赤にしながら、

「レイラ様に何か無理強いしたりしたのではないだろうな?」

「レイラが望んだ事しかしなかった」

「透〜!」

アントンは歯軋りしている。

「……じゃあ、何でだ?」

透はアントンの方に向き直った。

「アントン、これは私とレイラの問題だ。答える義務はない。聞きたければ、レイラに聞けばいい。レイラの心を乱した事は謝る」

透はスーツケースの蓋を閉め、立ち上がった。

「アントン、匠とレイラをよろしく頼む。さようなら」

「些細な喧嘩をしたとかではないのか? 何でだ? サファノバの習慣が受けいれられないとかそう言う事か? レイラ様を救ってくれないのか? 我々は、日本まで透を救いに行ったのに。透はレイラ様を救いに来て、その後でやっとレイラ様が抜け出した元の暗黒へ突き落とすのか」

「そうかもしれない……。すまない。こんな事を私が言うのもおかしいかもしれないが、レイラに幸せになってほしい、と言っていたと伝えておいて」

透はスーツケースを持って、足早に部屋を出て行った。

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