第55話 ライバル出現

 12月20日。

 翌日、キーロヴィチが来た。背が高く、アントンたち護衛ほどではないがガッチリした体格だ。彼は真っ先にレイラに向かって、少し微笑んでから頭を下げた。一定の距離を保ち、ロシア語で話をしているので、何を話しているのかは分からない。レイラが匠を手招きした。キーロヴィチは匠に頭を下げて挨拶した。その後、キーロヴィチは、無表情とも言える顔でメンバー全員と握手をした。


 楓が、近くにいたアントンに疑問を投げかけた。

「レイラさんと匠に対してはお辞儀で、私たちには握手って、挨拶が違うけれど、なんでですか? 無表情だけど、私たちのような素人相手に仕事をするから、怒ってるんですか?」

「それは無いデス。それは女性と男性に対する違いや、その人との関係で違うノデス。ロシア人は日本人と違って初めて会う人に、ニコニコシマセン」


 メンバーは早速、キーロヴィチの前で演奏する事になった。護衛や、家臣たちが仕事の手を止めて、見学に来た。まだ公にはしていないが、未来の皇太子が人前でボーカルとして歌うと聞きつけてきたのだ。護衛も家臣たちもレイラから、「日本からきた女の子たちがいる間は、匠に恭しく接したりしないように」、と厳命されていたが、将来、自分たちの王となるのは、どんな人物だろうと興味津々だった。


 匠は日本を出る前に黒染めを落としホワイトブロンドに戻したが、女装する必要がなくなった為、ジーンズにパーカーと言う格好だ。メンバーも匠に合わせてジーンズだ。

 キーロヴィチをはじめ、護衛や家臣たちは、歌詞の意味は全くわからなかったが、匠の歌声は確実に彼らの心に刺さった。キーロヴィチも含め、皆が盛大な拍手を送った。


 キーロヴィチはレイラから、匠が女装してコンテストに出た事を聞いていた。

「衣装は、匠君は性別が分からないような服装、メンバーは着物か制服。そうだな、着物なら、匠君は中性的な着物」

 メンバーは念のため、制服を持ってきていた。世界中から日本のアニメが愛され、制服はコスプレだと思われている、と聞いていたからだ。着物も各自借りるなり、家族や自分のものを持ってきている。しかし、着付けができるのはお嬢様の波瑠だけだ。キーロヴィチはそれを聞いて、

「着付け? アニメみたいにカッコよく着られればいい。まずは制服でやってみよう。デザイナーとスタッフを呼んである」

とこともなげに応えた。


 午後キーロヴィチとメンバーと匠でアントンを通訳にして、城の中や周り、街へロケ場所を探しにいく事になった。キーロヴィチは車を止めて降りる時も、相変わらず無愛想ではあったが、メンバー全員に手を貸し、建物では必ずドアを開けてくれた。メンバーは高名な映像作家が、名もない自分たちをエスコートしてくれる事に対して、感激した。

「日本人だと、こうはいかないよねぇ」

結衣が言ったので、思わず匠はチラッと結衣を見たが、どうやら気がつかなかったようだ。紬が気づいて、

「結衣が舞い上がるのって珍しいかも……。匠に向かって言っているわけじゃ無いし、悪気はないと思うよ」

と言ってくれた。匠はなるべく、昨日のことを思い出さないように、何事も無かったように振る舞う努力をした。


 結衣は匠から告白された事をメンバーに言っていないようだった。匠としては助かったが、匠の目から見ても、結衣の心はキーロヴィチの出現で、舞い上がっていた。昨夜は、レイラとやっと親子としての繋がりを確認し、気持ちが上向きかけていた匠だったが、キーロヴィチに心を揺らしている結衣を見て、また気分が沈んできた。告白するほど好きな女性が、目の前で出会ったばかりの相手に、引き寄せられていくのを見ているのは、辛かった。


 レイラ、キーロヴィチを交えたディナーの時も、結衣はアントンを通じて、キーロヴィチに色々質問をしていた。レイラは普通にはしていたが、結衣の様子を見て、心を痛めているだろう匠が、これ以上落ち込まないように、キーロヴィチにロシア語で話しかけた。ロシア語では結衣も話に割り込めない。キーロヴィチがレイラに向ける笑顔が気になった結衣は、会話の途切れ目に、アントンに聞いてもらった。

「レイラさんと、キーロヴィチさんはどう関係なんですか?」

アントンは、無意識に翻訳してギョッとした。レイラは答えず、キーロヴィチが答えた。アントンはレイラの身分が分からないように、言葉を置き換えて日本語にする。

「彼女を初めて見た時に、是非、ショートフィルムでもいいから撮らせて欲しいとお願いしにきたのですが、断られました。彼女は女優ではありませんから、当然です。宣伝するための映像でもと持ちかけたのですが、首を縦に振ってくれませんでした。今回はある約束を取り付けることができたので、普通なら撮らないのですが、プロモーションビデオを撮る事にしました」

アントンが説明する。

「つまり、撮りたい側と撮られたく無い関係です」


 匠が心配そうにレイラを見ると、レイラは匠に向かって大丈夫だと言う顔をして見せた。匠はレイラがMVを撮る代わりに、何か無理難題を飲んだのではないかと心配になった。

「約束ってどんな約束ですか?」

楓が興味深そうに聞いた。

「それは言わない事になっています。それより、明日の朝、デザイナーやスタッフが到着するので、午前中に大体のことを決めて、明後日、最終日に一気に撮りましょう。イメージを固めておいてください」


 ディナーの後、メンバーがキーロヴィチと打ち合わせをする時、匠はちょっと気分が悪いから、部屋で休む、と言って参加しなかった。これ以上結衣がキーロヴィチに熱を上げていく様子を見るのは、匠は胸を抉られるようで、見ていたくなかったのだ。


 匠がレイラの部屋を訪ねると、レイラはまるで自分が痛みを感じているのだと言う表情で匠を見た。

「居た堪れないな……。あの子は匠の気持ちを知っていても、自分の気持ちを抑えられないのだな」

「仕方ないよ……。キーロヴィチは有名な人だし、大人だから……。結衣はそう言う人が好きみたいだってわかったよ。それにこういう言い方はよく無いけれど、チャンスだから……」

「匠はそんな子がいいの?」

「結衣は悪く無いよ。俺と違って、キーロヴィチは大人で、有名な映像作家で、格好良いし。結衣は、そういう人が好きなのかな……」

「有名人や身分がある人が好きなら、私の身分と、匠との関係を隠さない方が良かったのかな?」

「……それはわからないな。紬や楓が遠慮してしまうかもしれないし」

「ホットチョコレート、飲む? マシュマロ入りで」

「うんと甘いやつがいいな」

レイラは匠の頭を撫でた。洋子が同じ事をしたら、「俺、もう中学生だから!」と抗議する所だが、親子である事を確認したばかりのレイラに、それを言う勇気は、匠には無い。


「こんなに性格も良くて、美少年で才能もあるのに、結衣はわかっていないね」

「それはさ、親の欲目ってやつじゃない?」

そういえば、同じような事を透に対して言ったようなことがあったと、匠は思った。自分はなんて恵まれているのだろうと、匠は改めて思った。


「そういえば、キーロヴィチとの約束って何?」

「私の映像を撮らせる事。我が国は小さくてあまり注目されない為、私の写真や映像が出る事がない。彼は、根っからの映像作家だから、他の人が撮っていないものを撮りたいのだろう。サファノバの観光キャンペーンを無料で撮影するから、色々なものを集めた映像の中の一瞬でもいいから出て欲しい、と言うのが交換条件だ。元々、遠い親戚でもあるから、まあ口約束でもいいと言うわけ。今までは、観光キャンペーンなんて考えた事もなかったけれど、透と話していたら、やってみる価値はあると思った。もちろん、匠にも手伝ってもらいたい」

匠はキーロヴィチの感覚がわかるような気がした。レイラの美しさを映像に収めておきたいと言う気持ちは理解できる。今まで撮られたことのない人であれば尚更だろう。

 匠を応援するつもりでメンバーを呼んだのに、逆に匠が傷つく結果になってしまった事に、レイラは結衣に憤りを感じたが、こればかりは人の気持ちなのでどうする事も出来なかった。透なら、どうするだろうか、とレイラは思った。

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