第54話 親子

 結衣と別れた匠が自分の部屋へ戻ろうと、階段を上って部屋までたどり着くと、部屋の前にレイラが銀のトレイを持って立っていた。

 レイラは匠と別れてから、二人の跡を、そっと距離をとって歩いていた。二人の様子が気になってしょうがなかったからだ。だから、匠が結衣に告白した結果も含めて、聞いていた。

 レイラのもう一人の子供は女の子であったし、恋愛する以前に亡くなってしまった為、こう言う時にどうして良いか分からず、城に戻る間に透に連絡し、相談していた。

「自分から話すまでは、無理に聞かない事。話をしたそうなら、聞いてあげる。話したくなさそうなら、温かい飲み物か、好きな食べ物を渡して、そっとしておく事」

レイラは透に聞いたとおりの事を大急ぎで実行した。


「匠、外は寒かったから、ホットチョコレート飲まない?」

「あ、うん」

レイラは匠の部屋に入り、ホットチョコレートをマグカップに注いで、尋ねた。

「マシュマロはいれる?」

「あ、うん」

 レイラは話を聞いてあげたかったのだが、匠とは最近再会したばかりなのだ。楽しい時は気にせずに接すれば良いと思ったが、こう言う時は特に、慎重に接しなければ、とレイラは自分に言い聞かせていた。

(この様子だと、匠はあまり、話をしたくないのかもしれない。透を怒らせ、アントンには散々小言を言われたバンドコンテストの時のように、匠可愛さのあまり嬉しくなって失態を犯してはいけない。再会したばかりなのに、再会を後悔されるほど嫌われないようにしなければ)

「おやすみ」

レイラは匠のおでこにそっとキスをして、そそくさと背中を向けた。


 何か聞いてくるかと思ったレイラが何も言わずに、部屋を出て行こうとしたのと、誰かに聞いて欲しかったのとで、匠はレイラを引き止めてしまった。いつもなら、家に透がいて聞いてくれたのだろうが、ここにはいない。レイラが扉にたどり着く前に、匠は思い切って話しかけた。


「結衣に告白したけど、駄目だった。4歳差は大きいって……」

レイラはそろそろと振り返った。匠に話してもらえて嬉しいのと、慰めてあげたいのとで、レイラはどう言う表情をしたらいいのか分からなかった。その為、レイラは無表情になった。


レイラが無表情になっている事にも気が付かずに、匠は聞いた。

「レイラは、失恋したことある?」

そう聞きつつ、匠は透が初恋であるなら、無いのかと思った。レイラが、匠の前の椅子に腰をおろす。そのなんでもない動作ですら、優雅だった。


「匠も知っている通り、私は高校の時から透の事がずっと好きだった。でも、母から無理やり帰国させられて、知らない人と結婚するよう強制された。母親の寿命が後、四−五年と医師に言われたから、母は自分が生きている間に、私に跡継ぎを生んで欲しかったんだ。その時まだ、高校一年生だった。でも、母親の命令は絶対だった。専制君主だからね。だから、意に沿わない結婚をした。これが失恋と言うなら……」

「ごめんなさい……言いたくなかったよね」

 無理やり帰国させられた上に、高一で好きでもない相手と結婚なんて、匠は想像もしたくなかった。しかも跡継ぎを生む為だけの結婚。自分ならどうするだろう、と匠は想像しようとしたが、想像も出来なかった。


「良いんだ。色々あったけれど、また、透と話しをする事も、逢う事も出来る様になったから」

 自分は好きでもない男との間に生まれた子供だったのか、と匠は今更、気がついた。あまりに若く美しすぎる母親との急な再会と、今日まで、いろいろ事件が多すぎて、そこまで考えるにいたらなかったのだ。

 (よく考えてみれば、わかる事じゃないか。透ちゃんは父親ではない。レイラは意に沿わぬ結婚をしたと言った。意に沿わぬ結婚の結果が自分だ。迂闊な事に、そこに気がつかなかった……。そんな相手との間に生まれた自分を、レイラは自分の子供として可愛いと思えるのかな……)

「じゃあ、意に沿わぬ結婚で生まれたから、俺は捨てられたのか……」


レイラは、不用意な事を言ってしまったと思った。レイラは当時と今の自分の心境は違うのだが、それは口にしてはいけない事だと、わかっていた。

「意に沿わなかった結婚だったけれど、子供はそれとは別でそれぞれ、可愛い。匠は暗殺者から逃す為に、日本に置いてくると言う形を取った。私も、何度も暗殺されそうになっていたから。匠の父親は、匠が生まれる前に、事故で亡くなった。私はその後、さらに母に命令されて、再婚した。匠には父親の違う妹がいたが、去年亡くなった。もし、匠を日本に潜ませていなければ、匠も今頃無事ではなかったと思う」


 レイラは二度も意に沿わぬ結婚をしたのか、と思うと匠はレイラが可哀想になった。失恋の痛みも癒えぬまま、それどころか失恋かどうかも分からぬまま、命じられて次々に二度も結婚なんて……。

「娘の死因ははっきりしないが、多分、暗殺されたんだと思う。匠は大丈夫だ。この間、透に助けられて大国の大統領と話をつけて来た。これからは、安心して三人で仲良く暮らすことが出来るはずだ。その……、透が承知してくれさえすればだけど……」

「え? 透ちゃんはまだ、返事をしていないの?」

レイラは黙って頷いた。匠には意外だった。

「匠は理由を知っていたりしない?」

 レイラは悩ましげな視線を匠に向けた。匠は途方にくれた。

(透ちゃんはレイラを助ける為に、全てを放り出してサファノバまで駆け付けた位で、気持ちははっきりしているはずなのに、まだ返事をしないと言うのは、何かあるのかな)

匠は、透がレイラに似ている自分を見て、溜息をついたり、赤くなってしまっていたりした事を思い出した。そんなに好きなのに何を躊躇っているのだろう、と不思議に思った。

「ごめん、分からない。分からないけれど、透ちゃんがレイラの事を好きなのは確かだと思う」


 いつの間にか手の中で微温くなってしまったホットチョコレートに気づき、匠はやっと口をつける。二人が幸せになってくれればいい、と匠は心から思う。

「クリスマスにサプライズで返事をするとか?」

「そう言うサプライズなら大歓迎だけれど、それなら、もっと早い段階で返事をしていてもいいと思う……。まぁ、私の事はいい。匠、いつでも、何かあったら、いや、何もなくても、私に話をしに来てくれると、私も嬉しい。匠を手放してしまった事を今でも、後悔している。許して欲しいなんて、今更、言えないけれど、少しずつでも、今までの時間を取り戻したい。私に出来る事があったら、何でも言って欲しい」

レイラは目を逸らさずに匠を見つめた。

「……有難う、お母さん」

「匠……。そう呼んでくれて嬉しい」

レイラは椅子から立ち上がって、匠をそっと抱きしめた。

「メンバーの前では、今まで通り、レイラと呼ぶよ」

「それでいい」

「サファノバ語も勉強しなくちゃね」

「少しずつでいい」

「妹のお墓参りもしなくちゃ」

「有難う。きっと喜ぶと思う」

少しずつ、少しずつ親子としての絆を深めていこう、と改めてレイラは心の中で自分に誓った。

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