第45話 二択

 扉が開く音がした。カテリーナが、護衛と通訳を連れて戻って来た。

「あらあら、女王は、騎士に骨抜きにされてしまった様ね」

「カテリーナさん、私もレイラも約束通り、勝手に棺を出ずに、あなたを待っていた。まずはここから出してください」

「大人しく待っていたわけでは無さそうだけど。そうね、それではどちらかが背中を見せていて、話もできないものね」


 やっと、棺の蓋が開いた。透が先に棺から床に飛び降りて、レイラに手を差し出したが、レイラが首を横に振った。しかし、レイラは睡眠薬を注射されていたせいか、床に飛び降りた時に少しふらついた。透がすぐに助け起こす。

「何が望みなのですか。あなたはサファノバを根絶やしにするつもりなのか」

透が、カテリーナに問いかけた言葉で、レイラは覚醒した。

「透、いいから……」

通訳が透の言葉をカテリーナに伝える。

「サファノバの王家の暗殺については私が、指示した訳ではないわ。正確に言えば、私の元夫が指示した事。私に関係がないと言えば関係ないのだけれど、元夫がした仕打ちを、彼女から直接訴えられて、遠くの国の話だった事が、急に身近になって、懺悔の気持ちが湧いて来た、と言えばわかるかしら」

レイラが慎重に頷く。

「先ほど、元夫と話したのだけれど、女王は、自分に向けられた数々の暗殺者を切り抜け、今ここにいる様ね。運が強いだけではない。訓練された戦士の様な人。その上、その美貌と、小さなサファノバを我が国や他の国から、守って来た知力、気力ともに大変優れている女性だわ。私はそんな女王が、大事に想い続けた人が、どんな人物か見てみたかった。女王を助けに、平和な日本からやって来た一般人が、どうやって森を切り抜け屋敷に侵入したのかしら。侍か忍者の子孫なの?」

「私たちを無事に帰してくれるのであれば、話しますが」

カテリーナは透を無視して、レイラに話しかける。

「貴女が大事に想っているその男は、貴女の冷静さを失わせ、思考を惑わしているのではないかしら。先程の貴女の様子からしても、今、此処に貴女が私を訪ねて来ている事も証拠よ。先代の女王は私に依頼などしなかった。近寄れば、自分に災いが及ぶ可能性があったから。いつか、国とその男と、どちらかを選び取らねばならない時が来たら、貴女はどちらを選ぶのかしら。その迷いを、今取り除いてあげましょうか」

 レイラはカテリーナが指摘した事実に、動揺した。透はレイラに翻訳させ、レイラに答える。

「選択肢が二択しかないと思わせるのは、よくある嘘や詐欺の手口だ。答えはいくらでもあるはずだ。私がサファノバにとって良くない存在となるなら、その時は自分から身を引く。今、すぐには思い付かないけれど、二択以外の方法は必ずあるはずだ。だから、今、心配しなくていい」

レイラは頷いた。

 透はこれから話す事を通訳に訳すよう、伝えて話し始めた。

「レイラが此処へ来たのは、今日さえ無事であればいいと、思ったからではなく、明日から先へ続いていく、王家と国のこれからの無事を願ったからだ。貴女の国からの暗殺がある事が前提の、国のあり方を根本から変えられる可能性に掛けたからだ」

通訳は透がレイラに言い聞かせた事も、カテリーナに向かって言った事も翻訳した。

「では、二択しかない状況を作ってあげましょうか。女王があなたを置いて帰れば、現大統領が現職でいる限り、サファノバには手出しはしない。大事な人質がいるのだもの。連れて帰るのであれば、この話は無かった事にすると言うのはどう?」

レイラは視線で人を焼き殺せるものなら、焼き殺してしまう炎のような視線をカテリーナに向けた。カテリーナは現大統領と別れた後に、透と同じ歳くらいの恋人が出来たと言う噂がある。サファノバの為に、透を置いていってしまったら、もしカテリーナが透を気に入って言っているのだとしたら、と思うとレイラは気持ちが引き裂かれそうになり、答える事が出来なかった。透はレイラを庇う様に立っている為、お互いに相手の表情が見えない。


 透はカテリーナを見据えた。カテリーナは視線に気がつき、透の視線の強さに目をすっと逸らした。不意にカテリーナは楽しい事を思い付いたかの様に言った。

「手始めに、あなたは、女王の前で私に忠誠を誓えるかしら?」

「……透、やめて」

カテリーナの護衛が透の為に場所をあけた。透はレイラの制止を無視して無言で、カテリーナの前に進みでて、跪く。レイラが後ろで息を呑む音が聞こえた。カテリーナは勝ち誇った様に、レイラに視線を投げた後、透に手を差し出した。レイラにはそれがスローモーションの様に見えた。透はその手を押し抱いたかと思った瞬間に、カテリーナを人質に取って護衛達と向き合ったからだ。カテリーナの首にガラスを割るのに使用した、携帯用バーナーが当てられている。

「護衛に武器をこちらに投げるように、伝えて」

透は通訳に伝える。唖然としてつっ立っているだけの通訳の代わりに、レイラが通訳する。護衛は拳銃を床に滑らせて、寄越して来た。

「答えが二択しかないなんてことは、あり得ない。あなたを軟禁し、現大統領が現職でいる限り、サファノバに手出しはさせないと言う選択肢もある」

「だ、誰か……」

カテリーナが呻いた。透がカテリーナの耳元に囁く。

「あなたとあなたの元夫が、レイラの家族にした仕打ちを忘れない」

言葉がわからず、甘い囁きの様な心地良い声にカテリーナは声を失った。首にガスバーナーを押し当てられているのでなければ、まるで抱きしめられて、愛を囁かれている様な気分になる。

 透は日本語が通じなかった事を思い出し、通訳の方へ向いて、同じ話を繰り返した。そうしつつも、これでは、カテリーナとやっている事が同じであり、問題は根本的に解決しないと透は頭を悩ませた。恐怖による呪縛はなかなか解ける事がない。例え、その恐怖が消え去ったとしても、恐怖が頭の中にこびり付いてしまっていて、動けないままになる。レイラはそれを打開しようとして、此処まで来た。そこがレイラの強さだ。だが、それがより強い恐怖で、支配されてしまうのでは意味がない。恐怖を打開したその先が、結局、報復という形で返って来てしまうのでは。今がそうだ。此処で、カテリーナを離せば、彼女は間違いなく、レイラを裏から—暗殺や家族を傷つけるという方法で攻撃するだろう。それを止める手立ては多分ない。


「まずは、あなたを殺して、大統領の家族を順番に血祭りにあげていこうか。私がされたように。最後に本人も」

レイラは、怒りのこもった静かな声でカテリーナに話しかけた。

「じょ、女王、私が殺されても、大統領は何とも思わないわ。私に見張りをつけるのは、万が一私に何かあれば、子供達から責められるから」

透はレイラを、言葉だけで止めなければ、と必死になった。両手は塞がっている。レイラの怒りは大事な家族を殺されてしまった者からすれば、当然の怒りだ。しかし、レイラに人殺しになってほしくはなかった。

「レイラ、そんな事をしては駄目だ。それでは同じ事の繰り返しだ。君の次の世代も、同じ目に遭ってしまう。これ以上、悲しい思いをする人を作ってはいけない」

「じゃあ、どうすればいい!?」


「透、無事か?」

先ほど透がスイッチを入れたインカムを通して、アントンが聞いて来た。

「とりあえず、二人とも無事だが、どうかしたか?」

「森の入り口から、不審な人物がそちらへ向かっている」

「何人?」

「一人、若い男だ。もしかしたら、カテリーナの恋人かもしれない」

「アントン、捕らえて連れてくる事は出来るか?」

「わかった」


 しばらくして、入り口から堂々と、アントンが若い男を連れて入って来た。男は透を見るなり、声をかけた。飛行機で通路を挟んで隣り合ったローベルトだ。

「やぁ、透、また会えましたね。僕の彼女に何をしているのですか?」

「ローベルト、君の彼女?」

「カテリーナです」

ローベルトは、後ろ手に縛られているにもかかわらず、にこやかにカテリーナにロシア語で話してかける。

「愛しのカテリーナ、会いに来ましたよ。花束を持って来たのですけれど、さっき取り上げられてしまいましたから、また後で持って来ますね」

ローベルトは日本語で透に話しかける。

「透、カテリーナは抵抗しませんから、離してあげてくれませんか」

透はレイラ、アントンを見る。レイラは首を横にふる。アントンはローベルトとカテリーナを見比べている。

「カテリーナさん、この人はあなたの恋人ですか?」

「そうよ」

透はリュックの中にガムテープが入っている事をレイラに伝え、護衛を縛るよう頼んだ。レイラが護衛を縛り終えたのを確認してから、透はカテリーナを放した。カテリーナが、アントンに捉えられたままのローベルトに近寄ろうとしたので、近寄らないよう注意する。

「透、君の話していた彼女、とても素敵ですね。ちゃんと僕のアドバイス実行しましたか?」

透は首を横に振った。カテリーナは心配そうにローベルトを見つめている。レイラはカテリーナが、ローベルトに本気で恋をしていると確信した。ローベルトの方はどうだろう。ずいぶん歳が離れている。恋に年齢は関係ないが、ローベルトがカテリーナに求めているものが恋ではなく、地位やお金であれば、どうだろうとレイラは思った。

(この男を人質にしたらどうだろう)

「カテリーナ、私はローベルトをあなたの代わりに傷つける事が出来る。我が家族は、あなたの元夫から何人も暗殺されたのだから」

それを聞いて、床に座り込んでいるカテリーナの顔色は真っ青になった。ローベルトが少し真面目な表情になった。

「彼女は心臓が病気ですから、あまり脅さないで下さい。彼女の元夫は少しばかり、心配症で、欲が深いのです。僕がここにくる事も、あまりよく思っていません。もう別れているのに。噂が心配なようです。自分はとっくに新しいパートナーを作っているのに」


 レイラは交渉相手を変える事にした。

「私はカテリーナに、彼女の元夫にこれ以上我が国に手を出さないよう、お願いしたのだが、聞いてもらえないようだ。そのせいで、私と透は先ほどまで、彼女に捕らえられていた」

ローベルトは優しい目でカテリーナを見た。

「カテリーナ、彼女の頼みを聞いてあげたらどうでしょう? 難しくないですよね。その、元夫と話をさせるのは、嬉しい事ではないのだけれど。それができれば、さっき、君にあげるために、透に譲ってもらったお菓子で、すぐに僕たち四人で楽しくお茶を飲めますよ」


 透はカテリーナから取り上げたスマホのスピーカーをオンにしてから、カテリーナに渡し、電話するよう促した。レイラはカテリーナにロシア語で話すように伝える。カテリーナは言われた通り電話をした。

 電話の向こうから、紛れもない現大統領の声が聞こえて来た。現大統領は、さして興味もなさそうに、カテリーナの依頼を聞いてくれた。もう、サファノバは連合加盟してしまった事だし、これ以上手出しをすると、連合が黙っていないだろうと言う事で。


 アントンはレイラに確認し、ローベルトを放した。ローベルトはすぐにカテリーナのところへ飛んでいき、彼女を立たせ、抱擁し、口付けた。透とレイラは、まだ安心できない為、二人から目をそらすわけにもいかず、かと言ってじっくり眺めるわけにもいかず、困ってお互いを見やったが、それもまた気恥ずかしくて目を逸らした。


 アントンはカテリーナの護衛達が、モゴモゴと何か言おうとしている事に気がつき、近寄って一人の口のガムテープを剥がした。

「何もしないから、早く部屋から出してくれ!」

護衛達はカテリーナとローベルトの様子から、早く部屋を出た方が良いと思ったようだ。アントンが、護衛達の戒めを解いた途端に、彼らはすごい勢いで部屋の外に出て行った。カテリーナの護衛たちは、この後、熱烈な二人がどうなるか、心得ていたようだ。

 アントンが自分たちも早く部屋を出た方が良いのではないかと言おうと、振り返ると、レイラが少しずつ透に近寄っている。透は護衛達が転げるように出ていった方を唖然と見ている。アントンは諦めてみない振りをした。そっと横目で見ると、レイラが後ろ手に透と指を繋いだのが目に入った。アントンは何気なく見えるように、二人を振り返った。

「我々も脱出しましょう」

透がレイラからさっと離れた。レイラがアントンを小さく睨む。ローベルトは三人が部屋に残っている事にようやく気がつき、カテリーナを離して、椅子に座らせ、何事もなかったかのように声をかけた。

「帰る前にお茶を、おっと、もうディナーの時間ですね」

「我々の安全を保証してくれるか? あと、マルコヴィッチを開放してくれ」

アントンがローベルトに尋ねると、ローベルトは頷いた。カテリーナが部屋から電話をかけ、ディナーの用意をするよう厨房に頼んだ。


 アントンは恐る恐るローベルトに、カテリーナのどこが好きなのか聞いてみた。ローベルトはあっけらかんと、自分の好きなアニメのキャラに似ていたからです、と言い放った。日本でも世界的に有名な監督の作品だと言われたが、二人ともピンと来なかったようだった。透はもしやと思う人物が頭に浮かんだが、お世辞にも似ているとは言い難かった。写真を見て似ていると思ったローベルトが、二〜三年前にここに押し掛けて来てから始まったらしい。


 ローベルトは何度も来日した事があるらしく、日本人である透に親近感を抱いたようだ。サファノバに来る時は、是非、自分に連絡して、ここか自宅へ来てほしいと透に連絡先を渡してきた。レイラはそれを不審な目で見ていた。ローベルト目線から言ったら、かけ離れていても思い込みで、透もその監督のアニメのキャラに当てはまるのではないか、と思ったからだ。レイラからすれば、とにかく透に近づく人物は我慢出来ないのだった。


「そう言えば、透はどうやってここまで来ることが出来たの?」

レイラもローベルトも知りたがった為、透は森に催涙スプレーを撒き、バイクで来たと、答えた。ローベルトが、ノートパソコンを開き、屋敷周りの監視カメラの映像を確認した。透以外、みんなで画面を覗き込む。バイクが見事に鉄柵を飛び越えた所が映っていた。カテリーナが不思議そうに聞いた。

「日本人はみんなこんな事が出来るの? それとも忍者なの?」

海外では、忍者の人気はいまだに根強い。透は黙って、にっこり笑った。

「囚われた姫を、騎士が白馬の代わりに、バイクで助けに来てくれて良かったじゃない」

カテリーナは仕組んだ自分に感謝しなさい、とでもいうように言った。ラスボスが自分だと気がついていないようだった。レイラは改めて、透を見直した。


 食後にローベルトが透からもらったと、キットカットの抹茶味を出した。アントンが透に、どうしてキットカットを持って来たのかと聞いた。

「高校の時に、レイラが良くキットカットを食べていたから、好きなのかと思って。抹茶味は割と新しいし、海外でも人気があるから」

日本でも美味しいと言われるチョコやお菓子はたくさんあるが、透は真っ先に、キットカットを美味しそうに食べていたレイラを思い出した為、大急ぎで空港で買って持って来たのだ。ローベルトは感心した。

「素敵な花束や美味しいチョコよりも、思い出の詰まった、いいお土産かもしれませんね」

レイラはそんな些細な事まで覚えていたのかと嬉しくて、泣きそうになった。アントンが、レイラ様を泣かせるな、と透の肘をこっそりつついた。透が驚いてレイラを見ると、目の縁に涙が溜まっている。

「ごめん、違うのが良かった?」

カテリーナがしょうがないわね、と言うように解説する。

「レイラは嬉しかったのよ。そんな昔の事を覚えていれくれたのだもの。そういう時は、黙って涙を拭いてあげるものよ」


 透はレイラと再会してから、どう振る舞ったらいいのか分からない事が増えたように思う。元々、レイに対して普通に振る舞うよう努力していたのだから、尚更だ。立ち上がって、カテリーナに言われるがまま、レイラの涙を手でそっと拭った。透はレイラの耳元で囁いた。

「スイーツの好みのアップデートは、いつでも受け付けるから」

甘い囁きを期待していただけに、レイラは吹き出した。

カテリーナの泊まって行きなさいという誘いは、全員一致で断った。もし、カテリーナか、現代統領の気が変わったら、大変な事になる。

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