第34話 接近
レイラが帰国して1週間経った頃、健斗がエネルギー省を通して、レイラに面会を求めてきた。健斗はロシア語通訳と担当者二人の計四人で来た。
会議室に入ってきたレイラは、アントンとマルコヴィッチ、エネルギー省の事務官を連れていた。健斗たちは跪拝し、レイラが着席してからテーブルの反対側に着席した。健斗は大村の最新の業績と他社との比較などを伝えた後、大村産業との取引で、どれだけサファノバが利益を得る事が出来るかを説明した。その上で、一社独占が無理であれば、比率で日本向け輸出の50%は無理でしょうかと聞いてきた。レイラはこの問いに対しては、事務方と詰めるよう依頼した。
事務官と大村側の担当と通訳が、別室で詳細を詰める為に部屋を出ると健斗が、
「護衛抜きでお話し申し上げたいことあるのですが……」
「安全上の問題があるため、悪いがそれは出来ない」
「では、最少人数で護衛の方のみ残してでもいいので。お願いします」
レイラはアントンを残して、マルコヴィッチを下がらせた。アントンはレイラの少し後ろに控えて立っている。
「彼は、日本語は?」
「わからない。次の予定が入っているのでできれば、手短にして欲しい」
レイラは嘘をついた。十人がけの円卓の対面に座っている。このくらい離れていれば、前回のような不快な思いをする事はないだろう。レイラは健斗の表情から見え隠れする不遜さや、人を見下したような態度、何よりも舐め回すような視線が嫌いだった。一見、印象は良いのだが、それが表情に現れる瞬間があるのだ。
「陛下は築地さんが世界史を教えていたのはご存知でしたか?」
「聞いた事はあるが。それが何か?」
「彼は授業の中で生徒に、独裁国家の危険性を説いていたようです。どんなに優れた絶対君主がいたとしても、民主主義には劣ると。ご存知でしたか?」
レイラはうんざりした。こんなところまで、その話をしにきたのか、と。
「貴国の有り様を、陛下の有り様を否定していたのですよ」
「そうですか。色々な主義があってもいいのでは? 彼はこの国の人間ではないし、民主主義の中で生まれ育ったのだから、当然の事だと思うが。その話は何か私と関係があるのだろうか?」
「まぁ、聞いて下さい。絶対君主制の国は解体されるべきとまで、言っていたのですよ?」
「その話については、学生のうちに散々議論を戦わせたから、知ってる。まぁ、築地君は、私が絶対君主国の君主になるとは知らずに、話していたわけだが。私たちの学年は、それぞれの国の特徴や宗教、習慣をお互いに話し、理解を深めるという時間を、彼の提案で持っていた。もちろん、学生だから、喧嘩ギリギリの議論も多々あった。当然、喧嘩にもなった。それでも、相手を全否定はしないと言うルールがあった。全否定されても、その人はそのシステムの中で生きているわけだから」
「でも、彼は絶対君主制の国を否定しています」
「その話で、私たちも学生の時、喧嘩になった」
当時、透は、どんなに優れた絶対君主でも、いずれ、代が変わり暗愚な者が次の君主となった時に、誰も止める者がいない国よりも、例え凡庸でつまらない者ばかりで過ちを繰り返す政府であっても、その政府を変えることの出来る民主主義の方がシステムとして優れていると、いう意見を述べた。だから、絶対君主制国家はいずれ、解体されるべきだと、うっかり言い切ってしまった。レイは自分の国の有り様を否定された為、反論し、ルール違反だと伝え、その日は喧嘩別れした。
レイラは透を好きであっても、譲れないものは譲れなかった。自分はその君主になるのだから。周りの生徒たちからも、二人が喧嘩をしている事は珍しがられた。レイは、喧嘩別れした後も、自身に問い続けていた。
(祖母も母もそのずっと前も暗愚ではなかったからこそ、今も国が存続している。でも自分はどうだろう? 努力はするが、国が傾くほどの間違いを犯してしまった場合、国はどうなるのだろう。自分がなんとか国を保てたとしても、跡継ぎにその才覚がなかったら?)
レイは今まで当たり前だと思っていた自国の制度について考え直してみた。
翌日、透は、
「もし、レイが君主だったとして、国民が絶対君主はもう要らないと言ったら、どうする?」
と聞いた。レイラは一晩考え続けた、答えを口にした。
「その時は、国民投票にかけて、国民に決めさせればいい。国民が君主は要らないと判断したら、日本のように象徴になるか、やめればいい」
弾圧ではなく、平和裏に主権を交代すれば良いのだ。日本のように象徴となるのでも良い。国民不在の王国など意味がないとレイは思った。透は、修からレイラの国について聞いたのか、謝ってきた。
「レイの国は絶対君主制だったんだね。知らなくて、強い言い方をして否定してしまった事は謝る。自分の国を悪く言われたら、嫌だよな。でも、もし、レイが君主なら、迫害や弾圧は起こらなさそうだな」
そう言って、手を差し出した。レイは、仲直りの握手に応じた。
「では、健斗さんだったらどうする? 我が国の国民が民主主義を求めてストやデモを行ったら?」
「もちろん、陛下の絶対君主制が存続するように支援いたしますよ、陛下の為に。ストやデモは解散させます」
そう言うと、健斗はにっこり笑って見せた。そう言えば、レイラが喜ぶとでも思っていたのだろう。その後に付け加えた。
「せっかく、貿易を始めるのに、国のシステムが変わってしまったら、また最初から関係を構築しなければなりませんし、すんなり貿易相手として認められるかもわかりませんしね」
健斗はこれ以上この話を続ける事は、レイラの機嫌を損ねると感じたようで、それ以上言い募らなかった。
健斗は正直なのだろう。健斗の言い分もレイラにはわかる。自分に都合の良い相手が、国のトップにいた方が、商売をしやすいと思うのは当然だ。
だが、国民にそっぽを向かれてしまっては、国として王家が存続する意味はない。その為に国の外交や富の分配、公共事業、全てを、ベストと行かないまでもベターと言えるようにレイラは考えてきた。全てにおいてベストな答えなどない。国民はその成果を受け取り、満足しているからこそ、王家に敬意を払っている。国民の期待に応えられないのであれば、弾圧してまで王家を生き延びさせる事など無意味だ、とレイラは今でも考えている。
「そうそう、お土産をお持ちしました」
健斗は持っていた紙袋から2つ箱を取り出した。小さな箱と大きな箱だ。目の前で開けるよう、レイラに促す。万が一のことがある為、アントンがレイラの代わりに開ける。大きな箱は、日本で有名な、だが、なかなか手に入らないお菓子の特注品だった。小さな箱には有名メーカーのイエローダイヤの指輪が入っていた。
「来日の際は、是非ご連絡ください。大村の威信をかけて、どのようなお望みも叶えましょう」
レイラはアントンから渡された小さい箱を閉じて、
「お菓子はいただくが、これはお返しする」
と受け取りを拒否した。
「リングは好みがあるので」
「それは残念です。お好みを教えていただければ」
「気に入ったものは自分で買うので、結構です」
高価な指輪を送ると、大抵の女性が勘違いして靡いてきたのだが、レイラには通用しないようだ。贈られなくても自分で好きなものが購えるのだから、意味がないようだ、と健斗は受け取った。
「申し訳ないが、会議があるので、ここで失礼する」
健斗が前回のように、レイラに近づこうとすると、アントンがさりげなく立ちはだかる。前回、レイラが手の甲にキスをされていたのを見ていたのだ。
健斗は城の何処かに泊めてもらえるものと思っていたが、
「後は事務官と話を詰めてください。その後は、宿泊先まで送らせます」
とすげなく言われてしまった。
レイラについて部屋を出たアントンが、サファノバ語で、
「透と民主主義の話で喧嘩になった事がありましたね。レイラ様は透に腹を立てて、影でこっそり悔し泣きしていらっしゃいましたね」
「アントン、透にあの時言ったことは本当だ。国民に不要だと言われれば、投票にかける」
「わかっています。そうならないように、日々公務をこなしていらっしゃるのですから。それにしても、当時、本当によく色々な事で、透に腹を立てていましたね」
「……それは、透が鈍感だからだ」
それはフェアじゃないな、とアントンは思った。レイラは男装して男子だと偽っていたのだから。透は誰にでも優しかったから、その度に、レイラは気持ちをモヤモヤとさせていた。
「透に健斗が来たと伝えますか?」
「不要だ。透に伝えると、焼き餅を焼いて欲しいと言っているみたいだ。絶対に、そう思うと思う」
アントンは笑いを噛み殺した。レイラは透の焼き餅を焼いたところを見たいのが本音でもあり、けれど、そうなったらなったで、どう治めたらいいのか分からなくて困るのだろうと思ったのだ。透が焼き餅を焼くかどうかも疑問だが。いまだに返事をしない透は、いったい何を考えているのか、アントンにはさっぱりわからなかった。
レイラのプライベート専用スマホにメール到着を知らせる音が鳴った。このスマホの番号は、護衛と匠、透しか知らない。この間は、匠から「透、お昼寝中」の画像が送られて来た。考えてみれば、透の写真どころか、二人の写真などこの間のスプラッシュ・マウンテンで撮られたもの以外は全く無い。
レイラがその写真を待ち受けにして、嬉しそうに見せてきた事にアントンは呆れて溜息をついた。
匠ならラインだ。透はラインや、メールを送れば、返事を返すが、本人からはなかなか送ってこない。メールならば透からかもしれないとレイラは、期待しながら、メールを開いた。開いてみた瞬間に、レイラはスマホを落としてしまった。アントンが拾って、画面を見ないようにして渡そうとすると、レイラが見るように無言で促した。
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