第22話 対面

「誰?」

邪魔をされ、残念そうな声でレイラが問う。

「匠?! 甥の匠だ。ちょっと、待て!」

透が部屋から飛び降り、匠に追いつき、腕を引いた。

「どうしてここに?」

「父さんと俺が、透ちゃんの腕時計を拾って、ここにいるとアントンに知らせた。アントンは危ないから、来なくていい、と言ったらしいけれど、いても立ってもいられなくて……。トイレの窓から入って、玄関のドアをアントンの為に開けておいた。後は何もできそうにないから、隠れていたんだ」

「そんな危ないことを……」

「あの人を叱らないのに、俺には叱るの?」

「無茶し過ぎだと言ったよ」


アントンが声を聞きつけ、駆け込んで来た。

「透、その子をよく見せてくれ!」

透はアントンの前に立ちはだかり、後ろを見ずに言った。

「匠、もう、帰りなさい」

「いや、確認するまでその子は帰さない」

透とアントンが睨み合う。

「アントン、どうした? 透の甥なのだろう?」

レイラが近づいて来た。匠は、透がアントンと一戦交えても、自分を帰そうとしているかもしれないと危惧した。

「透ちゃん、もう、いいよ。ちょうど良かった」

「匠……」

匠はレイラの方を振り向く。心臓がバクバクしている。初めての対面。

「初めまして? それとも久しぶり、かな? 母上と呼ぶのかな? 透ちゃんたちに育てられた、あなたの息子の匠です」

レイラはその場で凍りついた様に立ち止まっている。アントンが透の胸倉を掴んで問い詰める。

「透、どういう事だ? 甥がレイラ様の子だと、最初から知っていたなら、なぜ言わなかった?」

透の代わりに匠が答える。

「迷って、いたから。透ちゃんが、自分で決心するまで、無理に会う必要はないと言ってくれたから。俺が会うと決心するまで、隠してくれると言ったから。俺は透ちゃん達家族に拾われ、大事に育てられて来た。それをいきなり、物をやり取りするみたいに、捨てた者がまた必要だから、拾いに来ると聞いて、誰が喜んで会いたがると思う? 今の生活を変えたくない。血が繋がっていなくても、家族はみんな優しい。学校も部活も楽しい。それなのに、言葉もわからない国に、誰も知っている人がいない国に、迷わず行きたいと、あなたなら言えるのか?」

アントンは匠の言葉を聞いて、透から手を離した。


 匠がレイラに近づく。

「本当に、私の子供?」

透が、戸惑っているレイラの方を向く。

「私があの日、学校の校門で赤い傘の下にいたこの子を連れて帰った。今は髪を染めているが、髪の色はホワイトブロンドだ。レイラの話を聞いた時、匠の事だと分かった。すぐに言えなくて、悪かった……。疑うのであれば、匠がその時身につけていたベビー服とおくるみ、赤い傘を持ってくる」

「その必要はない。透が、透の家族がこの子を育てたと言うの?」

透が頷いた。

「知っていて連れ帰ったの?」

「偶然だよ。レイラの話を聞くまでは、わからなかった。匠はアルビノだったから、レイラの子供だと気がつかなかった」

匠がレイラの顔を見つめた。レイラの方がまだ少し背が高い。匠は、今日はカラーコンタクトレンズをつけていない為、淡いブルーの瞳が見える。

「この瞳の色は、アレクセイのではなかったのか」

「ホワイトブロンドはアルビノ だから、でもあなたの髪の色と似ているね」

「匠……。触れてもいい?」

匠は戸惑って、透を見上げた。透が頷く。匠は首を縦に振る。

レイラが匠を壊れ物の様にそっと抱きしめた。

「ずっと放っておいて……すまなかった」

「……いいよ。会えて良かった」

匠もおずおずと母の背に腕を回した。自分の手が触れた途端に、消えてしまうのではないかと言う様に。レイラと透が抱き合っている方がまだ現実的に思えた。触れると、煙のように消えてしまうのではないかと思えるほど、近くで見るレイラは、儚げで美しかった。先程の救出劇をやってのけた人物とは、到底思えない。匠の中で、先程のどちらかを取られてしまったようなショックは消し飛んでいた。


「匠、サファノバへ、私の国へ来てくれる? 今すぐとは言わないから。なんなら、次の冬休みに透と一緒に遊びに」

「それって、透ちゃんに来て欲しいからじゃなくて?」

匠が遠慮しがちに問う。

「透抜きでもいい。一人じゃ嫌かと思って。もちろん、透も一緒に来てくれたら嬉しいけれど」

「俺は、邪魔じゃ、ない?」

「何を言っているの……。あなたにきて欲しいの」

アントンが透の後ろで、鼻をすすっている。

「……レイラ……さっきかっこ良かったよ。凄いね。映画を見ているのかと思った。もちろん、その後も」

透は顔を背け、レイラは赤くなった。アントンは何があったのか察して、レイラと透の顔を見ない様に横を向いた。

「匠も護身術を習えばいい」

「透ちゃんと一緒にクラヴマガを習ったよ」

「じゃあ、みんなで格闘技大会をしよう」

「一人だけボコボコにされそうだから、いいや。なんだか、透ちゃんがお姫様で、レイラが王子様みたいだって言ったら、怒る?」

「匠、何を言っているんだ?」

透が慌てる。

「だって、拐われるのは大抵お姫様で、救いに来るのは王子様でしょ? 最近は反対なのかな? 最近のディズニー映画は女の子が大活躍するよね」

レイラは匠の思い描いた通りの、大輪の花を思わせる様な顔で笑った。

「透は私の大事な、大事なお姫様だ。高校の時に、私にお姫様抱っこされたのは透の方だから」

「え? 透ちゃんがお姫様抱っこされたの?」

今の体格差からは想像がつかないが、透から睨まれたアントンが横で笑いを堪えているところを見ると、真実の様だ。

「……レイラ、その話はいいから」

レイラは残念そうに透を見た。

「でも、透はいつでもお姫様っていうわけじゃない」


 レイが静実学園に入学して1週間も経たない頃、クラスの前の廊下に人が集まっていた。レイが何事かと見にいくと、いかにも武道をやっているらしい体格の同じクラスの岩田が、スカートを履いているが男の子ではないかと思われる子の腹を執拗に殴り続けている。レイが止めに入ろうとした所へ、誰かが岩田の手首を掴んだ。

「誰か、救急車を呼んで。多分あばらが折れている。早く!」

「おい、邪魔すんなよ」

レイが隣に立っていた女子に岩田を止めた男子の事を「誰?」と聞くと、

「隣のクラスの築地君。レイ君もかっこいいけど、築地君もかっこいいって女子の間では早くも人気があるよ。ただ、レイくんと違って、ちょっと近寄りがたいんだよね……」

「ふうん」

築地は岩田の手首を離し、殴られた子を介抱しようと背を向けた。

「おい、無視すんな」

岩田は築地の肩を掴んだ。周りにいた誰もが、築地は叩きのめされると思った。だが、気がつくと、岩田は床に腹這い、築地に組み伏せられていた。あまりの速さに何が起こったか、きちんと見えていた生徒はいなかった。

「誰か、早く救急車を!」

築地に促されて、一人の生徒が慌てて電話している。そこへ騒ぎを聞きつけた教師が数人やって来た。岩田の上に馬乗りになった築地を見て怒鳴った。

「こら、何をしている!」

教師の一人が、廊下に蹲っている、岩田に殴られた生徒に目を向けた。

「君が広田君を殴ったのか?」

と築地に疑いの目を向けた。レイは咄嗟に進み出た。

「彼ではありません。岩田君がその子に暴力を振るっていたのを、彼が止めたんです」

「そうなのか?」

築地に向かって確認している教師の耳元に、別の教師が何か耳打ちしている。

耳打ちされた教師は、慌てて築地を見て、態度を改めた。

「築地君、疑ってすまなかった。岩田君を放してやりなさい」

築地は手を緩めない。

「岩田が広田に謝るまで、離しません」

よほど捻りあげられた腕が痛かったのか、岩田は泣き声の様な声で、

「わかった、謝るから」

「スカートを履こうが、ズボンを履こうが、自由なんだよ」

築地に言われ、岩田は首を縦に振った。そして、蹲っている生徒に目を向けて、謝った。

そこでやっと、築地は手を離した。そして、レイに向かって、

「先生に説明してくれて、有難う」

と笑いかけた。築地は広田と友達になり—岩田が手を出さない様に、近くにいたのではないかと思うが、そのおかげか、岩田に目をつけられて、おどおどしていた広田は、自信をもってスカートを履いて登校を続けた。


 築地とはもちろん、透の事である。

「そんな事もあり、透が生徒会長に立候補すると聞いて、私も副会長に立候補したんだ。透は覚えていないかもしれないけれどね」

「あの時の生徒はレイラだったんだ……」

案の定、覚えていない透だった。


「アントン、暫く匠についていて欲しい」

「ええっ、レイラ様、そんな……」

「まだ暫く落ち着かないかもしれないから、影から、匠を守って欲しい」

「そう言うことなら、承知シマシタ」

「透もいるから、アントン一人で大丈夫だろう」

「レイラ、私はいつも匠にべったり付いているわけには行かないよ」

「校内は安全だったよね、透? 匠と同じ家に住んでいるんでしょ? だったら、透がついていない時だけ、アントンをつければいい」

「レイラ、アントンと他の護衛にも有給をあげてからの方が良いのでは?」

「じゃあ、代わりにマルコヴィチを1週間つけよう。アントンが1週間の休みを終えたら、マルコヴィチと交代でどうだろう?」

「匠の送り迎えは私がするから、護衛の人たちは帰国しても大丈夫だ。まずは護衛たちに有給をあげてほしい」

レイラは心配そうにしていたが、匠も当分は学校と家の往復しかしないと約束した。様子を見て危なさそうであれば、連絡をすると言う事で話がついた。


 アントンは1週間休みをもらえても、どうしたら良いのか見当もつかなかった。明日、早速旅行会社へ行ってみようと考えた。

「家族のもとへ帰って、ゆっくりするのも良いんじゃないかな?」

透が提案する。

「それもそうだな」

「レイラは、いつまで日本にいるの?」

匠がレイラに尋ねた。

「……。大臣たちに内緒で、専用機で飛んで来たから、見つからないうちに、またすぐに飛んで帰らなくてはいけない……」


 レイラは匠にすぐに自国へ戻ってくる様に、言わなかった。

「匠にお願いがある」

レイラが匠の耳に何事か囁いた。匠にとって、母からの初めての依頼。

「出来たらね」

そう答えたものの、匠はきちんと引き受けるつもりでいた。


 透と匠はレイラ達が用意した車二台に便乗して、一緒に羽田まで送って行った。羽田に向かう間に、匠が家に電話をし、無事に透が解放された事を伝えた。羽田に向かう車中で、レイラが匠に聞く。

「匠には姉か妹がいるんだよね?」

「いないよ」

レイラは、透には姉しかいないと聞いていた。姉夫婦の子供は匠一人。

「透? 誰と腕を組んで歩いていたの?」

透は答えない。レイラと透に挟まれて座っている匠が、心理的にも挟まれた気分で、代わりに答える。

「俺が女装していた」

「本当に? アントンが女性だと言っていたが、匠くらい華奢なら見間違えるかもしれないな。でも、何で?」

「ある日の母と祖母の話から、透ちゃんが悪い女性に引っかかっていると、俺が勝手に勘違いして、その女性に嫌な思いをさせてやろうと思って……。ごめんなさい。嫌な思いをした?」

「……いや、全然」

憮然とした表情でレイラが答えた。アントンが前列で笑いを堪えて震えている。透は窓の外を眺めている。


「私は、匠の両親と祖母からは嫌われているのかな……」

レイラは少し寂しそうに呟いた。

「うちには俺しか子供がいないから、いなくなって欲しくないんだと思う。レイラ自体が嫌われているわけじゃないと思う。だから、もし、サファノバに行ったとしても、日本とサファノバを行ったり来たり出来れば、良いんだけど。それに、コンテストもあるから、高校まで日本で暮らしたい。コンテスト、見に来てくれる?」

「行かれる様、調整はしてみる」

「来てくれたら嬉しいな。透ちゃんは必ず、見にくるよ」

匠は暗に透と一緒に来たら、と言う意味で言ったのだが、

「いつも近くにいる事の出来る母でなくて済まない」

匠の手をレイラが包み込む。細く長い華奢な指。良く料理をする母の手とは違う手だった。

「匠君、レイラ様は女王様だから、普通の母親の様には動けないノデス」

アントンが申し訳なさそうに言う。

「匠、サファノバは遠いし、今大変な時期だから、仕方ないよ」

更に透が慰める様に言って、匠の頭に手を置く。途端にレイラが答えた。

「……行く。いつ?」

「10月10日合唱コンテスト、11月最初の日曜日に軽音のコンテストがある。でも、無理しなくて良いから」

レイラは少しムッとして黙った。レイラは負けず嫌いだから、本当に来るかもしれない、と透は心配した。


「なんか今日は色々ありすぎて、疲れたね……」

匠が欠伸をしながらモゴモゴ言った。

「羽田に着いたら起こすから、少し寝たら?」

匠は既に、うつらうつら船を漕いでいる。透が匠の頭をそっと自分の方に寄り掛からせる。

「透、匠の件が気がかりだったのか? そうであれば……」

「それだけではないんだ」

「私は透からの伝言通りにした。今度は透が返事をする番だ」

透の手がレイラの手にそっと触れる。

「ごめん、もう少し時間が欲しい。待てないなら、待たなくていい」

「透、ずるいよ……」

「ごめん……」

「ごめんなんて聞きたくない」


 羽田からの帰りの電車で、一眠りした匠は元気を取り戻した。

「透ちゃん、レイラに会ったって言わない方が良いのかな……。母さんとばあちゃんが嫌がりそうだよね……」

「こんなに帰りが遅くなった事を心配させない為に、言った方が良いかもしれないな。言えば言ったで、余計に心配するかもしれないけれどね。でも、二人が嫌がるかどうかは、関係ない。どちらにせよ、冬休みにサファノバへ行くつもりなら、言わないと。私が姉さんに怒られそうだな……」

透がぼやいた。さっきまで、ヒロインだった者のセリフとは思えない。

「俺は二人に結婚して欲しいな」

「自分が一人で行くのが嫌だからって、そんな事言ってるんじゃないか?」

「違うよ。どう見てもハッピーエンドじゃない? 二人とも相思相愛でしょ」

「……匠、例え相思相愛であったとしても、結婚するとは限らないよ」

匠は透が照れからそんな事を言っているのかと思った。


 二人が帰宅すると、家族三人とも心配そうに起きて待っていた。

「無事解放されてから、ずいぶん時間が経っているけど、どうしたの? 心配したわ。匠も危ないから来るなって、アントンさんに言われていたのに、どうして行ってしまったの?!」

「まぁまぁ。二人とも無事だったんだから、良かったじゃないか」

和人が洋子を宥める。

「私が説明するから。明日も学校があるから、もう匠は寝かしてやって」

「大丈夫だよ」

透は、大まかな経緯を話した。

「え? じゃあ、匠はレイラとご対面となったって事?」

洋子が眉間に皺を寄せて聞いた。

「レイラは、悪い人じゃないよ。レイラは透ちゃんを助けに、駆けつけて来たんだ」

匠は両親に気を使って、「母」と言う言葉を避けた。レイラが、誘拐犯を倒したことも伏せておいた。菊も洋子も和人も、レイラがわざわざ、遠路遥々、透を助けに来た事に驚いたが、口には出さなかった。

「暫くは、私が匠を送り迎えする事にするよ」

「ええ! 匠まで、危険な目に遭うかもしれないの?」

「念のため。大丈夫だよ、姉さん、サファノバは同盟に加盟したから、もうこんな事は起こらないはずだ。匠の今の生活は、当分かわらない。レイラは匠に冬休みに遊びに来たら、と誘っただけで、匠をすぐに国へ呼び戻す事はなさそうだったよ」

「冬休みに、行かせるの?」

「それは追々、和兄と相談してよ……。とりあえず、今日はもうこの位に……」

洋子は複雑そうな表情のまま、和人に背中を押されて、自分たちの部屋へ戻って行った。菊は、少し悲しそうな顔をして、自室へ引き上げて行った。

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