第66話 運が尽きない王子

 ギルバートは今すぐ鉄分を飲みたくてウズウズしていた。


 目の前であんな大きな炎を見たのは生まれて初めてである。心臓がドキドキしすぎて今にも倒れそうだ。馬車の中で本当に良かった……。ギルバートは窓の外を眺めながらそんな事を考えていた。もうすぐ戦場だ。


「シャーリー、シャーロット、それからセシル姫はこのままグラウカに戻ってくれ。サイラス、三人を頼めるか?」

「はい、もちろんです」

「ギル、行っちゃうんですか?」


 心配そうなシャーリーにギルバートは小さく頷く。さっきまでドキドキしていた心臓が、今度は違う意味でドキドキである。


「ああ。大丈夫だ、すぐ戻る」

「そうよ。銀狼は物凄く強いって有名でしょ。大丈夫大丈夫。戦争の事は任せておきましょ」

「……うん。怪我、しないでくださいね」


 視線を伏せてポツリと言うシャーリーを思わず抱きしめたい衝動に狩られるが、ギルバートはグッと堪えて短く返事をした。


 ヘパの丘の麓までやってきた所で馬車は止まり、ギルバートはまだ気を失っている元王妃とユエラを担ぐと馬車を下りた。それと入れ替わりに待機していた護衛の騎士が二人馬車に乗り込む。


「道中、気をつけろ。【危ないと思ったらすぐに逃げるんだぞ!】」

「はい、王子も」

「ああ」


 それだけ言ってギルバートは歩き出した。


 しかし意識の無い人間は重い。見た目では分からなかったが、意外と重量感のある二人にギルバートはしばらく歩いた所で足を止めて二人を地面に下ろして大きく息を吐く。


「はぁ【……それにしても重いな。まずこのドレスがそもそも重すぎるんだ。一体どんな素材で出来てるんだ? 鉄か?】」


 ギルバートはサイラスに持たされた水筒の水を飲みながら目の前でスヤスヤ眠っている二人の女性を見ていると、突然突風が吹いて二人のドレスがぶわっと舞い上がった。


「!」


 特に見たくもない元王妃の太ももとユエラの太もも。思わず目を背けようとしたギルバートの目に、何かが飛び込んできた。


 二人の太ももにガーターがついていて、そこに何かがくっついていたのだ。短剣でもない、見た事もない何か。


 けれど何となく良くない物のような気がしたギルバートは、悪いとは思いながらも落ちていた木の棒でドレスをもう一度捲り上げて、その何かを突いてガーターから取り外す。


 二人分のそれを取り外したギルバートは、それを手に取ってしげしげと眺めた。


 それは不思議な形をしていた。何かが飛び出すのか先端に筒が付いていて、微かに火薬の匂いもする。持ち手は握ると指の形にフィットする様にいくつか窪みがついていて、握りやすい。


「ふむ、ここをこう握ると人差し指はここか……ん? ここは動くのか」


 窪みに沿って持つと人差し指が余る。そして恐らくその人差し指を引っ掛ける場所には何やら仕掛けがあった。


「何となく嫌な予感がするな。どれ、物は試しだ」


 そう言ってギルバートは戦場がある丘の上に筒の先を向けて人差し指を引っかけて勢いよく引いてみたが、ストッパーが邪魔をして引けない。


 よく見ると筒とは反対方向にもう一つ仕掛けがある。何だか楽しくなってきたギルバートはその仕掛けを弄っていると、カチリと音がした。


「よし、今度こそ」


 やはり丘の上に筒の先端を向けたギルバートは、もう一度勢いよく人差し指の仕掛けを引いた。


 その途端、物凄い音と共に筒の先端から何かが飛び出し、腕に激しい衝撃が走った。


「何⁉ ここは――ぐふっ!」


 ちょうどその時、運悪く元王妃が上半身を起こしたのだが、その顔面に衝撃と反動を受けたギルバートの裏拳が思い切り当たってしまった。


 意図せずギルバートの裏拳を食らった元王妃は鼻から血を流してそのままユエラの上にドサリと倒れ込む。


「! 【す、すまん! わざとじゃないぞ! 何か変な音がしたが、折れたか? 大丈夫か?】」 

            

 ギルバートは急いでユエラの上から元王妃を退かせようと振り向くと、真っ青な顔をしてこちらを見ているユエラと目が合った。


 どうやらユエラもまた轟音に目を覚ましたようだが、目の前で思い切りギルバートの裏拳を食らった母親を見たからか、顔面蒼白である。


「……起きたか。【すまん、殴るつもりではなかったんだ!】目を覚ました【ら母親が顔面血まみれで倒れてきたら怖いよな! 何なら殴ってしまった僕】のが【怖かったぞ! まさか女性に手を上げてしまうとは……おまけにお前まで目を覚ましてしまうなんて……シャーリーではないが】運の【悪さは僕も同じだな……叫ばれでもしたら終わりだ。ここで僕の運も】尽き、だな」


 そう言ってギルバートは深くため息を落とした。それを聞いた途端、ユエラはヒュッと息を飲んで何故かまた気を失ってしまったではないか。


 何だかよく分からないが、とりあえずラッキーだ。まだギルバートの運は尽きていない!


 何にしてもこれが何やら危ない物だという事がとてもよく分かったギルバートは、二人から取り上げた武器をポケットに仕舞ってまた二人を担ぎ上げ、戦場目指して歩き始めた。

 

◇◇◇

                    

 戦場は混乱していた。モリス王は先頭に居たギルバートを執拗に追い回している。敵将を取れば戦争は終わる。


 モリスからすれば数では圧倒的に負けているし、小麦粉作戦は失敗した。


 セシルの作戦だと王妃から持ちかけられて敵の数を減らそうとしたのに、結果としては戦争が始まるよりも前にどこで戦争を起こすかを伝えただけだった上に、全ての小麦を徴収した為に、この後モリスは飢饉にあえぐことになるかもしれない。


 だから何としてでもこの戦争には勝たなければならないのだ。手っ取り早いのはギルバートの首を落とす事だと踏んだモリス王だったが、これが中々掴まらない。噂の銀狼は噂以上に強かった。


「ギルは逃げるのも上手いな」


 ガルドが言うと、側に居た騎士が苦笑いを浮かべた。


「ギルばかり狙っている所を見ると、あちらはどうやら戦争を早く終わらせてしまいたくて仕方ないようですね」

「ああ。だがあちらはさっきから小賢しい手を使ってくるな」


 さっきから何度もすれ違いざまに持っていた目つぶしを投げつけて来る敵兵たち。

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