第9話 YAEH!
その日から毎日、山里春奈、通称「はるなっち」と家に帰るときに阿蘇山、パノラマラインを超えて南阿蘇へと至る道を通るようになっていた。
はるなっちの家は南阿蘇のバラ農家だそうで、高校卒業と同時に家を継がされるか東海大学農学部に行って大学生活をエンジョイするか、の二択になっているらしい。
それで、二人で阿蘇山超えて南阿蘇へと帰っていくのだけれど、もちろん雨の日は山越えなどはしない。山の天気は変わりやすく、雲とかかかってる時は視界ゼロになる事もあるらしい。
バイクでそんな中走るのは自殺行為なので、雨の日、雨が降りそうな日、雨上がりの翌日、などは峠を走るのをやめている。
雨で視界が悪くなるのもあるし、道路にゴミや砂が溜まってて滑りやすくなるからというのもある。
バイク通学してて、この「雨」というのがなんとも辛い。
ヘルメットは曇るし雨が染み込んでくるし。
江川さんから「雨具は専用のものを買うべし」と言われていたので、バイク用のちょっと高いのを買っていたのだけれど、内側が湿気ってきてじっとりなって気持ち悪い。メッシュが内側にあるので、自転車用とか農作業用のものに比べると全然マシではあるけれど。
蒸れるので雨の日のレインコートの内側はTシャツにプロテクターという感じにしてるけど、プロテクターはベストのようになっているので走り終わる頃にはじっとりしっとり。
帰るまでに乾いてたらいい方で、乾いてない時は帰りもじっとりした感じになって精神的にダメージが強い。
この雨でもさっぱり運転したい!
という願いを叶えるには、プロテクターの入った防水ジャケットというものがあるようなのでそれを買おうかと迷うが、
夏休みの稼ぎが半分くらい吹っ飛ぶ値段なので躊躇してしまう。
なので、雨の日用の
「プラスチックでできたプロテクター」
を新たに購入し、多少濡れても振って干してたら乾くものを用意することにした。
はるなっちにその辺聞いてみたところ
「レッグシールドと、前のスクリーンつけてると雨とか割と平気なのよ。あんたのより濡れる確率が減るからそこまで沁みてこないわ。
いい、スーパーカブは日本が道路事情のまだ悪い時期に、女性が乗っても足元が汚れないようにって、レッグシールドがつけられたのよ。この気遣いが、今のこのスーパーカブにも生きているわけよ。
実用性を持ったデザインだったから、他のメーカーも真似して一時期カブもどきがいくつも発生したわ。
軽自動車メーカーが出したバーディとか楽器屋が出したメイトとか。
でも、HONDAのスーパカブ以外は生き残ることができなかったわ。それはね、やはり真似したものには魂が込められてないからよ。本田宗一郎の魂が込められたものには他の何者も勝てないわけよ。
そんな、実用性の塊でありながら、今の新型はデザインもスッキリして、実用性もデザインもさらに良くなったし、それにスーパーカブはね・・・」
うっかりバイクについて聞くと、全てHONDAの話につなげられてしまうので恐ろしい。適当に話を聞いて、はるなっちのカブの前についてるものについて聞いてみると。
「こういったスクリーンは実用性もあるけれど、ある程度はデザインも重要なの。
スーパカブには、このスクリーンも多数出ていて・・・」
また長くなったので要約すると
スーパーフォアにもつけられるのがあるらしい。
と言って一度スマホで見せてもらったら、これって、どう見ても暴走族のバイク用じゃないの?
メータースクリーンとかいう小さいのはあんま役に立たなさそうだし、ビキニカウルとかいうのも、なんか目玉お化けみたいになって気持ち悪いし。
「そんな人のために、HONDAはね、CB400スーパーボルドールというのを用意しているのよ」
と言ってまた見せてくれる。
前が三角に尖ってて、雨よけのプラスチック覆いがついてる感じ。
ただ、ライトがなんか四角になってて趣味じゃないけれど、顔つきがキツネの妖怪みたいで可愛らしい。
「これ、私のにつけられるの?」
「全く別物よ。買い換えるしかないわ」
「なら見せなくてもいいじゃない」
「CBシリーズにはね、いろんなものがあるのよ。あんたはもっとそれについて意識を広げて知識を求めるべきよ。
最近はCBにもネオクラシックとか言って・・・」
以下略
毎日、帰る際に話すたびにHONDAの知識が植え付けられていく。
このまま私も仲間にさせられてしまうのかしら。
以前の契約通り、放課後は図書室で勉強し、下校の時に、はるなっちとこんな話をして阿蘇山通って帰ることになる。
あるとき、はるなっちが阿蘇山の火口方向に向かうとき、向こうから走ってきたバイクたちに手を振ってることがあった。
場所は草千里から阿蘇山の火口に向かう、古坊中、と言われるところあたり。昔スキー場があったとかで、その名残りとして広い駐車場とかがあったりする。
そこは阿蘇山の道の中でも雄大で、日本ではないような、草原と活火山という風景の中を走ることができるのでお気に入りの場所。
直線が続くので対向車がよく見える。
たまーに夕方にバイクを見かけるけど大体1台で走っているものが多く「あバイクだ」で通り過ぎることが多いのだけれど。
その時は、対向してくるバイクが3台くらいいて、後ろに大きな荷物を積んでいるバイクもいた。
そのバイクたちとすれ違うときに、はるなっちはさっと手をあげ振っていた。
向こうもそれを見て手を振りかえしてくれる。
初めて見る光景に、何かお互いに知り合いなのかと思ったけれど、そんな雰囲気でもない。
相手がHONDAだったから?いやでも正面から見てわかるものかしら。
阿蘇山の火口下にあるバスターミナルでちょっと二人でソフトクリーム食べながら、その時の話を聞いてみると。
「さっきのバイクの人たちと知り合いなの?」
はるなっちはソフトクリームをひと舐めして、飲み込む間私をじっとみて
「あなた、ヤエーって知らないの?」
と、またHONDAの話に繋がりそうなトーンで返してきた。
なにそれ?またHONDAの話?
「阿蘇とかにはね、遠くからわざわざツーリングに来る人たちがいるのよ。
北海道と同じくバイク乗りの聖地
そんな人たちが、すれ違うときに「お互い、安全な旅を続けましょう、あなたに祝福あれ」って感じで挨拶するのが、ヤエーってことなの」
「じゃあ、さっきの人たちは全く知らない人?」
「そうよ。私一人だと、スーパーカブだと地元民と思われて反応してくれないけど、あんたが後ろにいると「ツーリングしてる人」と思われるから、返してくれるかな、と思ってさっきやってみたの」
「じゃあ、初めてやったの?」
「そうよ」
「後ろから見てたら、すごい「私慣れてます」かんが出ててかっこよかった」
「ふふっ、いつか、阿蘇に来てくれているライダーたちに、私から挨拶をしようと密かに練習しておいたのよ」
密かにって、なんかちょっと必死感があって引いた。
「そんなに、ヤエーって大事なの?」
「そうね、お互いの安全を祈る、という行為はいいものだと思うわ。
ただ、最近は景色のいいとこに出てきて、テンションの上がった人たちが手を振っているだけ、って感じになってるけれどそれはそれでいいじゃない。
あんたも阿蘇パノラマラインを走り始めて、こんな景色を見ながらバイクで走ることが楽しくて仕方ないでしょう?」
毎日走っていても、その日の雲の様子、風の様子、空の様子で雰囲気が違っていて、毎日走っていても飽きない。
夕方のオレンジに染まる空を見ながら走ったり、バックミラーに映り込む虹を見たこともあるし。
有明海、長崎の雲仙まで見えるときは感動する。
そこに夕日が映り込んでいたり、静かに沈む様子なんかを眺めていると、なんとも言えない気持ちになる。
牛や馬たちの出現ポイントも毎回違うので楽ししいし。
白い花、黄色い花、いろんな花が咲いている様子も美しいし。
それに、たまにここでソフトクリームを食べるのも楽しい。
私は毎日走ることができているけど、旅をしてきてる人たちは、その一瞬だけを切り取って持ち帰っているのだろう。
そんな、わざわざ旅をしてきた人のために、安全を祈って手を振る。
自分も、旅してきた人が見た風景の1ページに残る。
「なんか、いいねそれ」
「でしょう!次はあんたもするのよ」
と言われてしまった。
江川さんが来たときに、そんな習慣は昔あったのかと聞くと
「昔というほど歳は離れてないと思うけれど。
その時はピースサインだったと思う。本来は、アメリカなんかの右車線を走るバイクが行っていたんだけどね。
日本だと右でアクセル捻るから、左手が歩道とかになるでしょう。
でもアメリカだと左手が反対車線がわになるわけで、そのときにすれ違う時左手でピースサインをさっと差し出すんだよ。
ハーレーとか乗ってる人たちがそれやるとかっこいいんだよね。
でも日本だと右のアクセル離してやるのも危ないから、左手を高く上げて相手にアピールしないといけない。そこでピースだけではなくて手を振るようになって。それがインターネットの発達で変な名前がついて、ヤエーという名称に落ち着いたみたいだよ。大体は北海道を旅するライダーが行っていたのかな」
私も調べてみると、なんだか はるなっちが言ってたみたいな「お互いの無事を祈って」とか「祝福あれ」とかそんな意味ではない使われ方をしていることが多いように思える。
単にテンションが上がったから自己満足でやってる、YouTubeの動画のためにやってるって感じな人が多いのね。
こう見ていくと、はるなっちは本当にバイクが、ライダーが好きなのだと思う。
HONDAの話になんでも繋げていくのがちょっとうざいけれど。
さて、私がやるヤエー、その機会は割とすぐにやってきた。
はるなっちから注意されていたのは
カーブの途中では絶対やらない
自分が手を挙げる余裕がない時もやらない
スピードが出てる時、相手も出してる時はやらない
直線で、向こうからやってくるのが確認できてからやること
ということを説明された。
その決まり事を破ると何かあるのかと聞いてみたら
「危ないでしょう」
と一言。
アメリカのような広大で長い直線があるところならやりやすいのかもしれないけれど。日本の峠のようなとこで片手運転は危ない。
そもそも、このヤエーというのは日本向きではないのでは?
その日は少し学校が終わるのが早かったので、下校時間も少し早めになった。
それでいつもは夕方で車やバイクが少なかったのに観光客らしき人たちが多く走っていた。
前に車がいるとペースメーカーになって運転するのは楽になるけれど、はるなっちは自分のペースでカーブを曲がれなくなるのでイライラしている感じだ。
その車が米塚方向に曲がった後、私たちは一気に阿蘇山火口のバスターミナルへと移動する。草千里の駐車場には車が多く、そこから道路を横断する人がいるので慎重に走り、あの火口へと向かう直線へとやってきた。
青空と、草木も生えない噴煙がたちのぼる阿蘇山火口。
その手間は草原が広く広がっていて、全く高い木が生えてないので不思議な光景に見える。
その直線で、向こうから荷物を満載したバイクが2台走ってくるのが見えた。
はるなっちがちらっと振り返る。
これは、ヤエーをやる気ね。
私も左手を動かせるように準備する。
はるなっちが手を挙げた、相手もさっと返してくれる。
そして、私も左手を上げる
相手もそのまま返してくれて、すれ違う。
あ、なんかいい
見知らぬ人と意思が通じた気持ちになれて、いつもの風景の中に、意識の隅っこに印がついたような、そんな気持ちになった。
ヤエーが通じると、自分のみている景色にも相手のことを記録してしまうんだ。
あの人たちが旅を終えても、私の記憶にはその人たちが走っていた様子が、
そして、あの人たちも今日の私たちが、この阿蘇の雄大な風景と一緒に記憶されてしまう。
人生でなんの接点もないはずなのに、ただバイクですれ違っただけで大切な記憶になる。
こういうのは、普通に生活してたらないなぁ
バスターミナルでまたソフトクリームを買って食べる。
よく二人で下校途中にやってくるので、販売スタンドのお姉さんとも顔見知りになってしまった。
二人、外の椅子に座って阿蘇火口からたちのぼる噴煙を眺めながら、いつものミルクソフトクリームを食べて。
「なんか、いいねヤエー」
私がそう言うと、はるなっちは笑顔で
「でしょう!だから、これからも阿蘇に来てくれた旅人はヤエーでもてなすのよ!」
と言われてしまった。
まあ、それもいいかもしれないなぁ。
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