付録 石黒の独り言

 一種の子守りである。

 私の業務のことだ。たしかにマネージャー業にはタレントを世話する一面がある。

 しかし腑に落ちないのは、子守りの対象が自分の担当するタレントではなく、本来無縁であるはずの遠藤道也だからだ。

 今日も私のデスクの隣に、以前何かの番組の小道具で使った革張りの椅子を持ってきて座り、「芽衣子との二人芝居を中止させろ」と小一時間も文句を言い続けている。

 やかましい。


 現在、十六時。

 事務所内には大勢の社員がいるのに、誰もこの人気モデル様に話しかけようとしない。

 面倒になると知っているからだ。

 私は不運である。

 さて、遠藤くんの本物の世話役(マネージャー)である黄島さんは何処にいるのか。

 フロアを見渡しても、姿が無い。

 壁の行動予定表によると、取引先へ商談に行っていることになっている。――いや、今、彼の部下が書き直した。

「N/R」

 ノーリターン。出先から事務所に戻らず帰るという意味だ。もちろん、「道也を俺に返すな」という主張ではない。

 いや、主張しているのか? ともかく、私に新たな仕事が増えたことは確かだ。遠藤道也を家まで送り届けなければならない。

 いつも、こうである。

 一度くらい文句を言ってやりたいが、私にできることと言えば、役職付きに逆らえないヒラ社員の哀歌をカラオケで熱唱するくらいだ。

 そしてそんな暇があるならば、今は大斗くんを売り込むことに注力しなければならない。

 数年の努力の甲斐があって、やっと演劇業界に高田大斗の名が知られてきた。出演先を増やす好機なのだ。元より子守りなどしている場合ではない。


 作業に手を戻そう。机に広げていた十数枚の写真を見比べた。宣材写真を新しくするために、今日の午前中に撮影をしてきたのだが、――どれもパッとしない。

 ピンボケして見えるというか、影が薄いというか。

 カメラマンをかばうわけではないが、撮影の腕が悪いせいではないことを、私はよく知っている。

 素顔の高田大斗はこの程度なのだ。

 こんなに垢抜けないのに、他者の仮面をかぶった途端に豹変するから、彼は面白い。


「その写真じゃだめだよ」


 と遠藤くんが言った。


「全然だめ。地味すぎ。いっそ舞台の写真を使った方がマシなんじゃないの」

「私もそう考えて、何枚か用意はしたんだけどさ。こっちはこっちでどれも捨てがたいから困っちゃうんだよ」


 封筒から新たに出す写真は十二枚。

 プロになりたての頃から、つい最近のマシュー役まで、並べると私たちの二人三脚の歴史のようで感慨深い。全てが大切な一場面だった。

 ところが遠藤くんが戯曲家の青年役の写真を摘まみ、


「これは失格」


 だと言う。


「写真を保管するのもやめてくれない。全部捨ててよ」


 無茶である。

 しかし無茶を承知で遠藤くんは言っている。この劇がすこぶる嫌いなのだ。

 二人が共演を始めて間もない頃に、黄島さんが独断で、遠藤くんへの出演依頼を拒否した劇だからだ。

 だけど、あれは仕方がなかったと私も思う。

 まず企画からして素人の提案だった。

 当時、少しばかり話題になっていたグラビアアイドルが、劇の主演をやってみたい、と言い出したところから始まっていた。

 スポンサーは彼女の古参のファンだった。好き者の資産家で金払いがいいから、世間知らずなオンナノコ(24)の一声で動き出したとは思えない優秀なスタッフが次々と集められた。

 そのうちの一人が、無名だが上手い役者がいる、と提案してくれたおかげで、大斗くんは演者に加えられたのだが、どうやらお姫様の狙いは別のところにあったらしい。

 事務所の繋がりを利用して、遠藤道也も自分を取り巻く男衆の一人に加えようと企んだのだ。

 時に無知は強い。

 格上のベテランモデルに、「人気娼婦(主人公)に客を奪われて、落ちぶれていく男娼の役」をあてがおうとした。現実に彼女がそういう野望を抱いていたのか、それとも真摯に遠藤くんに見合う役だと考えたのかは知らない。

 だが、どちらにしたって浅はかだ。

 黄島さんを怒らせてしまった。噂によると、企画書を一べつするなり破り捨てたらしい。彼女の仕事が急速に減っていった要因の一つであったことは間違いない。


 話が逸れた。

 遠藤くんがこの事実を知ったのは、後になってからだった。

 黄島さんに詰め寄る遠藤くんを、当時の私はこの席から目撃していた。


「どうして勝手に共演を断ったんだ」


 黄島さんは


「馬鹿な女が男をはべらせたいだけのオナニー劇に、お前が出る必要はない」


 と言い捨てた。


「でも高田サンは出るんだろ」

「あいつは仕事を選べないからだ。誰しもそういう時期はある」


 これを聞かされていた私の気持ちを、誰か想像してみてほしい。

 遠藤くんは嗤った。


「分かってないな。高田大斗はプロだから芝居を選ばないんだよ」


 これを聞けた私の気持ちも、ぜひ想像してほしい。

 ともあれ遠藤くんの交渉下手はこの時から健在だった。話は物別れに終わり、遠藤くんが腹いせにチャリティーショーに出演して、グラビアアイドル顔負けの色気と脱ぎっぷりで世界を席巻したのは有名な話である。


「まだ根に持っているのかい」


 今、あらためて聞いてみると、遠藤くんは「当然」だと答えた。


「あの女、大斗くんを凡顔だって馬鹿にしてただろ。自分こそ下手くそすぎて、たちんぼにしか見えなかったくせに、――」

「事務所で下品な言葉を使うんじゃない」

「お安い売春婦にしか見えなかったのに、絶世の美女に持ち上げてやったのは大斗くんだろ」


 目の前で高田大斗がこけにされているかの如く怒っている。

 私が遠藤くんを憎めない理由がこれだ。

 私の大切なものを、彼も大事に思ってくれている。――すこし極端だが。


「そんなに大斗くんを好きなら、舞台上でちょっかい出さなきゃ良かったんだよ。彼にとって舞台の上は聖域だよ。逆鱗に触れるって考えなかったの」


 ましてや素に戻ってキスをするなんて。

 もちろん、声には出さない。

 千秋楽の後、珍しく血相を変えた大斗くんからひそひそと打ち明けられた時には仰天したが。

 つまるところ、今、遠藤くんが私の隣で二人芝居に対する文句を言い続けているのは口実で、本当は、大斗くんに逃げられている現状を私に助けてほしいのだろう。

 やはり交渉下手である。

 さらに言うなら、思いを伝えるのが下手なのだ。

 そのくせ他人の腹づもりに対しては察しが良いから、私のおもての下に何か感じたのだろう。小首を傾げ、挑発的な表情を浮かべた。


「石黒さんって、俺とちょっぴし似てますよね」

「そんなにイケメンだったかな」

「違うよ。思いが、いつも一方通行になるところ」


 嗤っている。

 ――いやんなるね。私はきみほど傲慢に自分の心を大斗くんに押しつけていないよ。

 机の上の写真をまとめて手帳に挟んだ。本当に、文字通り挟むのだ。

 ぺーじを増やしすぎて、かなめがばかになった扇子みたいに開きっぱなしの手帳だから、一番後ろのすき間に差し入れたら、手帳全体を紐でしばる。

 高校演劇の大会で見つけた高田大斗少年への賛辞から始まる、今日まで彼が演じてきた芝居の記録である。

 それと、日常の覚え書きを少し。

 たとえば大斗くんが呟いた言葉、見つめていたもの、その日の服装や、三食の献立、――。


「石黒さんも、大斗くんを大好きでしょ」

「好きだよ。ただしファンとしてね」


 ファンの愛情は常に一方通行の奉仕だ。見返りを求めないからこそ、一生捧げることができる。

 遠藤くんとは違う。同じであっては困る。


「たちが悪い」


 と遠藤くんが言った。

 なるほど、そういう意味でなら、私たちは似たもの同士かもしれない。


【完】

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僕と俺が演ずる喜劇 いそね @isonekaku

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