第9話
エピローグ
○伯爵邸の中庭 朝
マシュー、イザベラの手を取り、うやうやしく口づけをする。
「愛しのイザベラ。僕の女神。おぞましい男爵は夜の帳の下に閉じ込めた。彼は夢の中でとこしえに道化を演じ続けるだろう」
「もう私たちの前に現れない?」
「誰が来ようと、僕の愛はきみのものだ」
花園の中でキスをする二人。
明けの明星さえかすむ朝日の祝福をうけ―― 完。
結局、大斗は芽衣子を選んだ。原作の流れを尊重したのである。芽衣子との二人芝居に出る権利も公式に得た。
ヒロインの座を奪えなかった男爵は、マシューが台詞内でほのめかした通り、夜の逢瀬の最中に寝台で胸を刺される描写が、最後の登場シーンとなった。
道也が演じてきた役柄の中で、もっとも悲惨な最期を遂げた人物である。――が、そこは道也だから、ただでは退かない。
千秋楽では大斗が握る短剣に自ら胸をあて、
「きみが私を殺すのではない。私がきみの手を夢想しながら心臓を突いて死ぬのだ、マシュー。だってきみは、私を、本当は失いたくないのだろう」
と述べた。
本来は自分を選ばなかったマシューに対して恨み節を吐きながら息絶える場面である。「期待していたのに」だの「俺の方がイザベラより美人だ」だの、男爵が大勝したヒロイン投票に多く集まった意見を呟き、観客の笑いを誘う仕掛けになっていた。
それを、台詞ごとひっくり返してしまった。
道也が見せるただならぬ気迫に、観客は息を呑んだ。
大斗はこう答えた。
「僕の正体に気づいていたんだね」
「きみのことは全て知っている。きみをずっと見ていたから。私の、初恋だった」
「僕は可愛いイザベラを愛している」
道也は静かに首を横に振った。泣いている。
「さよならだ、男爵。僕の心の、一番奥のひと欠片を、あなたの枕元に置いていくよ」
大斗は短刀を捨て、舞台の袖に去ろうとした。
が、後ろから突然道也に腕を引かれて、寝台に倒れこんだ。気づけば二人一緒に毛布の下である。道也がにんまりと笑っていた。
大斗は声をひそめながら怒った。
「やりすぎだ」
「高田サン、まだ気づいてないでしょ」
「えっ」
「俺の初恋。大好きですよ」
道也の唇が、大斗の唇に触れた。
わあ! と叫び声を上げて大斗は寝台から這い出た。
客も、舞台袖にいるスタッフらも、何が起こったのか分かっていない。
が、大斗が右手を振り上げ、「この馬鹿男爵」と道也の頬をひっぱたいて退場したために、終幕後のネット上で「男爵の死因:撲殺」というキーワードがトレンド入りし、劇が再び脚光を浴びるようになる。
続編を求める声に応じて、四ツ谷が次回作の構想をテレビで暴露した。
悪夢と化した男爵と、夜ごとうなされるマシューの駆け引きを描く物語である。
イザベラは悪夢に取り憑かれたマシューを捨てた設定であるため、登場しない。
芽衣子の面目は保ちながら、真のパートナーは男爵にする、大斗らしい、どちらも立てた大団円にたどり着いたのだった。
ところで読者の皆様は、大斗と道也の関係がその後どうなったのか気になさっているのではないか。
石黒が時折漏らす愚痴によると、相変わらず道也が一方的に大斗を追いかけ回しているらしい。
変化があったとすれば。――
これは前述の構想暴露直後にインタビューを受けた二人の様子である。
互いを
「道也くん」「大斗くん」
と名前で呼び合っていた。
事務所の意向で変えたらしいが、案外、まんざらでもなかったのではないか。
いや、舞台の外でのことは、観客には知りようがない。
【完】
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