第8話

 朝になって、大斗が結末を選ぶ三日後まで主な稽古を中止すると、連絡が回った。

 大斗は道也が突然降板になった影響だろうと思ったが、直後に電話をかけてきた芽衣子が騒動について知らず、「裏方の打ち合わせが難航しているせい」だと言った。

 黄島は制作陣に対して、社長のかんしゃくをまだ隠していた。

 道也が抱えている仕事は劇だけではない。全ての契約をキャンセルすれば損失は計り知れず、そのため後回しにできる案件には傍観することを決めた。時間が、社長をなだめてくれるのを待つのである。


 芽衣子は「スケジュールに穴ができてしまったことだし、これから会って、次の企画について話しましょう」と大斗を誘った。

 別の思惑もある。

 イザベラを選ぶと約束させたかったのだ。

 すでに宣伝班が二通りの結末について公表しており、マシューのパートナーに相応しいのはイザベラか、男爵か、投票サイトまで創設して世間を賑わせている。

 現時点では、男爵を望む声が圧倒的に多い。道也のファンが繰り返し投票しているせいもあるが、大衆の興味が劇の意外性に向いている以上、票差は広がる一方だという見方が制作陣の中にできあがっている。

 いくら決定を大斗にゆだねるという前提があっても、商売なのだから客の意見はむげにはできない。

 うかうかしていたら、ヒロインの座を道也に奪われかねない。芽衣子は焦っていた。築き上げた経歴に、イケメンモデルに敗北したなどという傷は要らないのである。

 幸い、大斗も自分と同じく道也にうんざりしているようだし、次の仕事を好餌にして駆け引きすれば、望み通りの結末を得られると計算していた。

 が、大斗が「すみません」と断った。


「今日は用事がありまして」

「でも、さっき中止の連絡がきたばかりでしょう」


 大斗を逃さないために、すぐさま電話をしたのだ。


「もしかして、二人芝居の話を進めたのは迷惑だった?」


 芽衣子は揺さぶりをかけた。


「乗り気じゃないなら、別にいいのよ」

「そうじゃありません。実はあまり眠れてなくて」

「まあ、台本のせい?」

「ええ、まあ」

「気持ちは分かるわ。物語の結末を変えるのは勇気が要るもの。四ツ谷さんたら、ちょっと意地悪よね」


 大斗の反応は聞こえない。


(まだ若いから、演出家の批判には乗りづらかったかしら)


 芽衣子はソファーの肘掛けを指で叩きながら、大斗を惹く言葉をしばし練った。


「大斗くんが苦労させられっぱなしで同情しちゃう。遠藤くんはああだし、世間は勝手に色々言うし。どちらの結末であれ、私はあなたに恋する女の子として、最後まで後押しするからね」

「ありがとうございます」

「なんだかイザベラが他人事じゃない気分。仕事の話はまた今度、落ち着いてからにしましょう」


 好意をほのめかせ、献身的で、無理強いはしない。道也とは真逆の余韻を残して電話を切った。芽衣子の手管である。

 大斗の心を掴みにいく初手としては悪くない。

 しかし芽衣子は気づいていなかった。

 大斗が眠れないほど考えていたのは、道也のことだった。

 芽衣子と通話している間に、石黒からメッセージが届いていた。


 ――社長に謝るよう、遠藤くんを説得してくれないか


 住所を教えてください。と返信してから、大斗は亮に電話した。

 亮は元気がなかった。

 明け方まで店の客が帰らなかったために、さっきやっと片付けを終えたのだ。


「今から寝るんだけど」


 と言う。大斗はかまわず


「弁当作ってくれない。二人分」


 と頼んだ。

 亮は呻いた。が、気い遣いの大斗が無茶を言える相手は自分くらいだという自負がある。


「優しいお兄さんに感謝しろよ」


 スペインバル・GUAPOグアポの看板の明かりが消えぬまま、換気扇が再び回り始めた。

 ところで、GUAPOとはスペイン語で「イケメン」を意味する。客から「イケメンのお兄さん」と呼ばれるために、亮はわざわざこの店名にしたのだ。阿呆である。

 阿呆だが、人が好い。

 わずか十六席しかない小さな飲み屋が黒字経営を続けていられるのは、味方が多いからだ。商店街一帯が友達のようなもので、トラブルが起きても、援助の手が多いから困ったためしがない。

 外で店の倉庫が開く音がした。卸業者が食材を納めにきたのだ。

 亮が顔を出すと、業者が冬だのによく日焼けした顔で笑った。


「いい匂いがするから、中にいると思いましたよ。また帰れなかったんですか」


 また、と皮肉された通り、週に二日は店に泊まっている。いっそ仮眠室を自宅にした方が便利なのだが、恋人ができた時に招く場所が店の奥では寂しい気がして、アパートを解約できずにいる。

 亮は作りたてのサンドウィッチを業者に渡した。


「こないだ良い肉を回してもらったお礼です」


 この調子で人たらしだ。業者はにこにこで受け取って「また良い食材を見つけてきますね」と言った。厚意の応酬を結ぶのが上手い。

 調理場に戻り、冷蔵庫を開けた。


(二人分の弁当か)


 誰のための弁当だろう。亮は考えた。


(差し入れじゃないよなあ。マネージャーと食うのか。それか、好きな人だったりして)


 演劇狂いの大斗に恋愛感情が芽生えたなら喜ばしい。成就を願って可愛らしく盛り付けてやろうと気を利かせたのだが、店に来た大斗が「遠藤と食べる」と言うから、大声をあげて驚いてしまった。


「急に仲良くなったのな」


 男と食うなら弁当箱に詰めるまでもない。パエリア鍋にホイルをかぶせて、そのまま持って行けるよう風呂敷で包んだ。他のつまみもさっさとプラスチック容器に入れていく。


「あいつ、クセは強いけど、大斗に懐いてたもんな」

「おととい僕が帰った後、遠藤くんと何か話した?」

「客のプライベートは教えませーん」

「石黒さんから聞いたんだけど、あいつさ、僕に憧れて芝居を始めたんだって。本当かな」

「それはあり得るでしょ」

「――よく分からないんだよ。劇が好きなら、いろんな人といろんな舞台に立った方が楽しいのに。僕にこだわって、社長とケンカして降板させられるって、本末転倒じゃないか」

「なんだ、それ」


 僕にも分からない、と大斗はうなだれた。


「分からないから、会って話してくる」


 しかし前回が物別れで終わったから、今日も上手くいく気がしない。大斗の不理解が原因ならば、状況が変わらない今も、同じ轍を踏む予感しかしないのだ。

 亮が、おかずの紙袋に酒瓶を数本足した。


「劇をやる理由も人それぞれなんだろうな。俺は遠藤くんの気持ちがちょっと分かるよ」

「どんな」

「お前がもっと自由に、好きなだけ芝居をやれたら良いのにって思うからさ。今度、マネージャーさんも連れてこいよ。大斗にたっぷり人生経験を積ませてくれてるお礼をしたかったんだ」


 舞台の仕事をだしに、こき使いやがって――とは大斗の前では言わない。


「遠藤くんのケアなんか、本当は事務所がやることだろ。お前は楽しく美味しいメシを食ってこい」

「会えればね」

「えっ」

「家に行ってみて、会えたら差し入れするんだ」

「先に連絡すれば良いだろ」

「でも、僕にも怒ってるかもしれないし。なんでかなあ。これは黄島さんの仕事だって、僕も分かっていたんだけどなあ」大斗は溜め息をついた。「亮くん。僕が今、何を考えているか分かる」

「いいや」

「面倒くさい」


 筋書きが決められていない人間関係は面倒くさい。

 観察以上のコミュニケショーンをおろそかにしてきた代償を、よりにもよって道也のために支払っているのは腑に落ちないが、


(あいつは、――)


 こう考えざるを得ない。


(僕にとって、芝居の外でも付き合う人間になっていたんだなあ)


 亮と家族以外には数人しかいない人材である。


(快挙だよ、遠藤くん)


 亮が手配したタクシーが店の前でクラクションを鳴らした。

 大斗はパエリア鍋と紙袋を持った。


「ありがとね。いつも甘えてごめん」

「ひとり立ちされたら、逆に寂しくなるって」

「じゃあ今度布団を貸してくれる」

「買えよ」

「保管場所がないからさ」


 大斗の家はウサギ小屋のように小さい。そのうえ壁も薄く、雨が降るとぽつぽつとうるさいし、風が吹くと部屋中にうなり声がとどろく。

 若い役者なんか誰しもが似た暮らしぶりだと大斗は思っていたが、しかし石黒から知らされた住所は都内の一等地だった。

 その時点で、嫌な予感はしていたのだ。

 到着して途方に暮れた。

 道也の住まいはコンシェルジュ付きの高級マンションだった。

 大斗は場違いに鍋を抱えたまま、共同玄関の前につっ立った。


(このままここにいたら、通報されるんじゃないか)


 と不安には思うが、すでにロビーから警戒の目を寄越しているコンシェルジュに、ブイヨンが匂い立つ鉄鍋をかかえて、道也との取り次ぎを頼むのは気が引けた。

 だいたいアポ無しなのだ。道也から断られたら、不法侵入者になる。

 仕方なく、大斗は道也に電話をかけた。数年来の付き合いで初めてのことだった。

 案外、通話はすぐに繋がって、道也がいつもの無愛想な調子で「なんですか」と言った。


「めし食った?」

「まあ、適当に」

「まじか。差し入れしに来たんだけど。今、お前んちの下にいる」

「えっ」


 受話口のむこうで何かが崩れる音がした。


「大丈夫か」

「うちに来てるんですか」

「そう。悪いんだけど、下りてきてくれない。鍋持ってるから、僕、不審者みたいになってるんだよ」

「準備があるんで」


 道也は相変わらずガチャガチャと音を立てている。


「ロビーのスタッフに言ってください。高田サンが来るって伝えておきます」


 大斗は一時マンションから離れた。道也が連絡を入れるのに足る時間を空けてから、再び共同玄関を覗いた。コンシェルジュが会釈してきた。先ほどとは態度が違う。

 来訪者カードに記名してドアをくぐり、エレベーターで上階へ向かう。床がモザイクタイル柄の、洒落たエレベーターだった。


(こんな所に住む人は、どんな感性に育つんだろう)


 道也の部屋のチャイムを押した。

 玄関が開いた。上半身裸の道也が出てきて、大斗はぎょっとした。


「なんで裸」


 道也は答えない。

「遅かったですね」それから「道に迷ってたんですか」


「遠藤くんがバタバタしてるっぽかったから、時間を置いたんだよ」


 しかし通話中に聞こえた騒音は掃除の音ではなかったのか、室内が無惨にとっ散らかっていて、高級物件が台無しであった。

 道也からつけたての香水の匂いがした。


(分かった。こいつ、風呂に入ってないんだ)


 あわてて顔を洗ったが、しかし大斗がなかなか上がってこない。それならシャワーも浴びてしまおうと服を脱いだ瞬間に、チャイムが鳴った。


「なんだよ!」


 ズボンを穿き、シャツは羽織らずに、体臭消しに香水をたたく。


(こんなところだろう)


 大斗は笑った。


「なあ、パンツは穿けてるのか」


 道也が苦々しく顔を歪めて、シャツをかぶった。


「高田サン、すけべですよ」

「先に掃除をしよう。僕が部屋の物に触っても平気?」

「いいですよ。どうせ俺のものじゃないし」

「誰かと住んでるの」

「いえ、事務所から借りてる部屋なんで。もう追い出されるかもしれませんけど」


 大斗は散乱するリキュールの瓶を部屋の端に寄せた。暴食した形跡は無いのが、さすがモデルである。コンビニのサラダパックと、チーズの包み紙、それに酒と合わせたのだろうライムの皮だけがテーブルの上に残されていた。

 布巾は無かった。ソファに捨て置かれていたウェットティッシュでテーブルを拭き、持ってきたスペイン料理を並べた。とっくに冷めているが、中央に置いたパエリアが鮮やかで見栄えがいい。


(それにしても)


 大斗は首を傾げた。

 道也がまったく手伝わないのだ。亮から貰ったビールをあけて直で飲みながら、せっせと片付ける大斗を眺めている。


(こいつ、これで普段ちゃんと生活できてるのか)


 割り箸を並べた。


「食おう」

「このビール、めちゃ苦いんですけど」

「どれかと一緒に食べたら美味いんだよ」

「どれですか」

「さあ」


 亮がその種の心配りをする人柄であることは熟知しているが、物事のトリビアまでは覚えていない。これも人間観察を極めた弊害であった。人物像以外には興味が無い。

 そういう大斗を、道也はよく識っているという風だった。苦言もせず、当たりの料理を探している。


(僕たちは、こんな関係だったか)


 大斗は目からうろこが落ちる思いだった。

 まるで気やすい友人だ。


(いつからだ。僕が気づいていなかっただけなのか)


 あっ、と道也が顔を上げた。


「これだ。高田サン。チュロスと飲むと美味い」

「菓子じゃん」

「あんたが持ってきたんでしょ」


 大斗はパエリアを紙皿によそった。ご馳走を前にしながら菓子をつまむなんて、趣味ではなかった。


「美味い」


 道也もムール貝をかじって頷く。


「都心でも通用するんじゃないかな」

「移転されたら困るから言っちゃだめだよ」

「店長と仲良いですよね」

「兄の同級生だったんだ」

「へえ」

「今じゃ僕の方が、兄よりも会う回数が多い。サッカーもやるし」

「えっ」

「どうせ似合わないって言うんだろ」


 しかし道也は悪態をつくよりもショックを受けていた。大斗がサッカーをすることに気づけなかった自分が信じられないという。


「そんな話をする仲じゃなかっただろ」

「喋らなくても分かります。俺、高田サンのことはよく見てましたから。勝手に、目が追っちゃうんです」

「――なんで」

「地味だから」


 大斗は、一瞬、耳を疑った。


「喧嘩売ってる?」


 そうじゃない。道也は目を伏して笑った。

 表情が美しく完成されているから、香水のポスターでも見ているようだと大斗は思った。

 やはり道也には生まれ持った華がある。

 しかし大斗の場合は、――道也は言った。地味なくせに舞台の真ん中に立つからすごいのだと。モデル業界ではありえない驚異だ。


「高田サン、舞台に立つと自分を消しちゃうでしょ」

「役者だからな」

「前に演じたピアニストと、次に演じた木こりが同一人物だって、気づかない人も多いはずだ」


 観客は高田大斗を見ない。

 この男を通して別人の人生を知る。それは脚本に書かれた一面だけでなく、たとえば三人兄弟の真ん中だろうとか、今、登場する前に犬の糞を踏んづけてきたようだとか、細かな人柄を感じていくのだ。

 人となりが分かると、愛着が湧く。

 観客は舞台の上に一人の友人を得る。


「俺はね、好きなんですよ。高田大斗が。もっと色んな顔を見たい。だから共演したかったんだ」


 大斗は食べかけのエビを皿に置いた。


「戻ってきなよ。社長に謝って、舞台の仕事をやりなよ」


 道也は嗤って、そっぽを向いた。


「黄島の差し金でしょ。高田サン、俺のこと嫌いだったじゃん」

「うん。でも今は遠藤くんとやる芝居が楽しい。お前がいないと、張り合いがなくなると思うし」

「本当?」

「うん」


 道也が寄越した飲みさしの苦いビールを、大斗も直に飲んだ。砂糖をまぶしたチュロスをかじる。


「美味い」

「高田サンがお願いを聞いてくれたら、社長に頭を下げます」

「なんだよ」

「イザベラを捨てて、俺を選んでください」

「えっ。それは、お前、――」

「今回の舞台だけは絶対に降板しないようにします。でも次以降はどうなるか分かりませんもん。最後の共演になるかもしれない。幕が下りるまで高田サンと舞台に立っていたい」 


 綺羅星のまたたく瞳が、大斗をしかと捕らえた。

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