第6話

 翌日の稽古は滞りなく進んだ。――といっても、道也の男爵は独自性を深化させていくし、芽衣子が演じる令嬢も負けじと強かに育っている。他の共演者もそうだ。皆が真剣を握り、一瞬の油断を見せようものならば舞台の外へ切り捨てられる、そういう緊張感の中で劇を創りあげている。


 石黒の車で北千住に降りた二人は、人目を避けてすぐに南の小路に入った。戦後の闇市の名残で、細い歩道の両脇に店が軒を連ねて雑然としている。

 深夜二十三時。押しにおした稽古の後だ。行き交う人々のほとんどが赤ら顔で、昂奮してわめく集団もあった。

 前方から歩いてくる会社員の一団も、足下のおぼつかない酔っ払いを中に抱えて、えいこらと歩いていた。

 前後不覚の状態で、すれ違いざまに大斗にぶつかりながら、まったく気づかずに通り過ぎていく。まるで獣道をいく猪である。

 突き飛ばされた大斗はちょうどそこにあったスペインバルの看板に身を預けた。体を打ったが、呻かず呼吸を落ち着ける。街中では黒衣に徹する癖が出た。誰にも存在を気づかれずに事が過ぎるのを待とうとした。

 が、今日は道也がいる。

 道也は大斗の肩を抱いて引き起こし、自分の側に寄せた。車道で女を守る男の仕草だった。

 大斗は道也の脇腹を小突いた。


「距離感」


 だいたい守られる必要などなかったのだ。大斗が手をついた看板の店こそが、成見亮が経営するスペインバルだった。

 やはり大斗と道也は間が合わない。

 大斗が店の戸を開けた瞬間に、道也が言い放った。


「仕方ないですよ。俺、さっきまであんたを抱いていたんですから」


 わずか十六席の店内にひしめいていた客達が、一斉に二人の顔に注目した。


「あっ。遠藤道也くんだ」


 と、若い女が言った。それから道也がモデルであることが言いふらされ、男二人の関係性が酒の肴にあてがわれた。そんな話題なのにキャアキャアと喜ぶ妙な人もいる。

 大斗は首をすぼめながら、カウンターの奥の席についた。


「お前、馬鹿なの。なんでわざわざ目立つことを大声で言うんだよ」


 道也も居心地が悪く不機嫌になっている。


「静かな所って言ったら、個室くらい用意するでしょ。よりにもよって、こんなちっさい店に連れてきますか」


 カウンターの中で伝票をまとめていた亮は、つい笑った。


(なるほど、話に聞くより強烈な性格してるな)


 遠慮しいの大斗では手に余るだろうに、よく面倒を見続けたと感心もした。


(俺は言われっぱなしで済まさないけどね)


 ワインセラーの最上段から、とっておきの一本をとった。お得意様用に置いている希少品、アメリカのオーパス・ワインである。

 亮はわざとボトルを見せずに、グラスに注いだ。半分を満たして、これだけで普通なら七千円はとる。味も香りも一級品。こんな小店にあるとは誰も想像すまい、本物のワインだ。

 はたして、店をこけにしたタレント様がどんな反応を見せてくれるのか、亮はいたずら心を隠して二人の前に差し出した。

 道也はグラスを持つと、揺らして香りをたしかめ、それからひと舐めした。

 味わっている風である。

 しかし、それよりも亮は道也の視線が気になった。じっと亮を見つめて離さないのだ。


(――なんだ?)


 数秒。

 その間に、客達も静かになった。皆、道也へ意識を傾けている。

 満場の期待を集めてから、道也はやっと口を開いた。


「旨いよ。俺、ワインは苦手なんだけど、美味しいって初めて思った。こんな店とか言ってすみません。飲める酒が増えてうれしい」


 甘い顔でにこりと笑う。


(あっ)


 隣でふてくされている大斗が視界に入らなければ、亮は店の客達と一緒になって、道也の可愛げにほだされていたはずだ。


(演技か? だとしたら末恐ろしい奴だな。自分がどう振る舞えば一番得をするか、分かってやがる)


 幼少期からカメラを向けられ続けた人間が育んだ才覚だった。他人が自分に何を求めているか、水の流れを読むように、しぜんと察せられる。

 ならば、舞台関係者を引っかき回す横暴ぶりを、なぜ起こすのか。


(誰かがそう期待しているから?)


 ――誰が。

 亮の頭には正解がひとつ浮かんでいた。が、今は店主として二人を迎えている。好奇心を湧かせている場合ではなかった。

 伝票を各テーブルに配り、


「さあ、みんな、おひらきの時間ですよ。約束した通り、今見たこと、聞いたことは、全部胸の中にしまっておくこと。でないと、お兄さんの美味しいご飯を食べられなくなるからね」


 やだやだ、と子どもの駄々を真似て戯れながら、馴染みの客達が勘定を済ませていく。馴染みは大斗も同じだから、全員が顔見知り以上の間柄であった。店を出がてら気易くからかっていくから、大斗はつんけんに受け流した。

 隣で道也が目を見張った。

 空になって、すっかり貸し切り状態になった店内で、


「それが素ですか」


 ぽつりと言った。


「違いますよね。前から思ってましたけど、高田サン、周りに合わせすぎじゃないの」

「どうした。急にケンカ売ってくるなよ」

「いい顔しいだから」

「おい」


 大斗はカチンときた。道也相手だと熱しやすい。


「僕は遠藤くんみたいな性格はしてないんだよ」

「俺みたいって?」

「ひねくれもの」


 道也が唇の片側だけをつり上げて笑った。


「ひねくれてる振りかもしれないでしょ」

「自慢じゃないけど、人を見る目だけはあるんだ、僕は」

「知ってます。でも、俺のことだけは分かってくれませんよね」


 大斗は答えるのをためらった。が、正直に


「うん。そうだったかもしれない」


 言った。


「だからちゃんと話してみたくて、今日誘ったんだ」

「無理じゃないかなあ」

「えっ」

「だって高田サン、自分に向けられてる視線に気づくのは苦手でしょ」


 ふいに亮が笑った。「あながち間違ってない」という。


「昔、あったじゃない。お前が観察していた女の子が、ずっとお前のことを好きだった事件」


 同じ進学塾に通い、同じ菓子を好み、見ているテレビドラマまで揃いだったその女の子を、大斗はじっくりと観察していながら、「自分と嗜好が似ている人物」としか考えなかった。

 大斗を好きだから会話のきっかけを作るために趣味を真似続けていたのに、「全然想いに気づいてくれないから、脈が無いんだなって、諦めたよ」と、少女は涙ぐんで告白した。

 大斗は告白されながら、同時にフラれたのである。


「鈍感だって自覚は持っておいた方がいいぞ」


 と亮が言った。


「自分のこと全般にうといんだ、お前は。他人のことばっか見て、役に染まって、たまに大斗自身は消えたみたいになるから、お兄さん、心配してるんだぞ」

「僕はいるよ」


 だが亮が今言いたいことは、そこではない。

 大斗が見落としている視線――遠藤道也は、大斗のために横暴を振るっているのではないかということだ。


「遠藤くん、大斗によく懐いているよね」


 道也は否定しなかった。

 この気位の高い男が、自分ごときに懐いていると揶揄されて腹を立てないことに、大斗は驚愕した。


「なら、どうして僕を困らせるんだよ」

「困らせましたか。たとえば?」

「今の劇の惨状がそうだろ。なあ、亮くん。シチューを作るつもりで材料を揃えたのに、いざ作り始めたらカレーになったら、困るよな」


 亮は苦笑した。


「そりゃあ、料理人が馬鹿なんだろ」

「高田サン。四ツ谷さんの悪口は駄目ですよ」

「ばかばか、言ってない。お前が横からガラムマサラやらチリやら投げ入れるから、芝居が変わるんだ」

「でも四ツ谷さんはオーケー出してるじゃありませんか。世間の評判だって上々ですよ」

「問題は無いって言うのか」

「無くはないですけど。俺、音響から苦情言われましたし」

「なんて」

「用意していた音源が使えないって。コメディシーンはホラーになるし、ロマンスがサイコになるから」


 大斗は頷いた。やはり、迷惑を被っているのは自分や芽衣子だけではない。

 が、道也は、


「でも、高田サンは、楽しんでるでしょ」


 と言う。


「俺と芝居やっていて、楽しいでしょう」


 大斗は返答できなかった。

 唖然としたから――ではない。

 しかし、とっさに否定できなかった。なぜか。分からない。

 道也はカウンターに肘をついて大斗の顔をのぞきこみ、面白げにしている。


「ねえ、自由に演技をできて満足しましたか。これからも俺が高田サンのやりたい芝居をできるようにしてあげますからね」

「なにを言ってるんだ」


 大斗は道也から離れた。嫌な予感がしていた。


「お前の勝手を、僕のためみたいに言うなよ。こっちは迷惑してるんだ。今日だって、一緒の仕事は終わりにしようって話すつもりだったのに」


 距離を置く大斗の手を、道也が掴んで引き寄せる。

 まるで舞台の上の男爵とマシューだ。


「俺と離れて、高田サンに未来があると思ってるんですか」

「――馬鹿にするな」


 大斗は手を振り払い、逃げるように店を出た。

 駅まで駆けながら、(そういえば布団を借りるのを忘れた)などと考えていた。

 そんなことに気が回るのだから、自分は今冷静だと、安堵した。


(僕は正気でいる。あいつがヤバいと感じているし、今の劇の状態はおかしいと思っている)


 自分に言い聞かせた。


(遠藤とやる芝居が楽しいだなんて、僕は思っていない)

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