第5話

 芽衣子は若い時分から歌劇団で花形を飾っていた実力派の女優で、三十二歳で退団、現在は芸能事務所に所属し、テレビから映画、歌手と幅広く活動している。

 今年で三十六歳になる。しかし芝居の中で、バラ色に頬を染めて恋を歌う姿は、清らかな少女のように愛らしい。


「化けもの」


 と道也が呟くのを、大斗は一度聞いたことがあるが、否定できなかった。

 こうして素で会話をしている時は、さすがに少女には見えないが、それでも十歳は若く見える。肉体の内側から照明にあてられているような、まばゆい引力を持つ女だ。

 芽衣子は大斗の目をじっと見つめながら、


「今日もお疲れ様でした」


 と、しかし残念なニュアンスを含めて言った。稽古に不満があるのだ。


「若い人の元気についていくのは大変だわ」


 道也の無謀を示している。が、


「面白いんだけどね」


 とかばいもするあたり、大人の分別をきちんとわきまえている。

 大斗はほっとした。同じ目線で話せる仲間にやっと出会えた。


「遠藤が好き勝手やって、すみません」

「彼っていつもこうなの」

「ええ、まあ。でも今回みたいなのは初めてです。四ツ谷さんが怒らなかったのがラッキーというか。――僕達にとっては不幸でしたよね」


 芽衣子は相づちこそ打たなかったものの、静かに頷いた。


「私ね、実は、大斗くんと共演できるって聞いたから、出演を引き受けたんだあ」

「えっ」

「ファンなの」

「まさか」

「前にやってた、娼婦に恋する青年の役」


 芽衣子は劇中で青年が娼婦と逢瀬をする際の目印にもちいていた口笛を真似て吹いた。

 大斗は驚愕した。当時、唇が乾き裂けるまで練習して、やっと吹けるようになったメロディーだったからだ。

 芽衣子は「毎日吹いているから」うまくやれるのだと言った。


「本当に観てくださったんですね」

「お世辞なんか言わないわよ。ねえ、可愛いって褒められるのはおイヤ?」

「いいえ。褒められるなら、なんでも嬉しいです」

「それなら百回でも言いたいわ。男性があんなに可愛らしく男を演じられるなんて、私、嫉妬しちゃったんだから。あれを観てからずっと、大斗くんと共演したかった」

「恐縮です。僕なんかが、――」

「謙遜しないで」

「でも、僕は遠藤のバーターで、子守ですから」


 芽衣子は眉をひそめた。


「本気で言ってるみたい」

「事実なんです」

「有り得ない。バーターなんかで、この規模の舞台の主演を任せるはずがないでしょう。あなたを選んだ四ツ谷さんに失礼よ。私に対しても。大斗くんと共演できるって聞いた時に、本当にこう飛び上がって、――」


 芽衣子が文字通りその場で跳ねた。


「喜んだのよ。まあ、彼に振り回されていたら、ろくでもないことを考えるようになるのは理解できるわ。お気の毒様。私が気分転換させてあげられたら良いんだけどな」


 大斗はドキリとした。芽衣子の強い瞳が、胸をつんつんと刺激してくる。


「えっと、あの」

「二人芝居に興味はない?」

「えっ」

「企画を立ち上げているの。大斗くんが乗り気になってくれるなら、私から推薦するわ」


 推薦といっても、芽衣子がプロジェクトの中心にいるのだから、本決まりと同じである。


「ねえ、青山の円形劇場には立ったことはある」

「いえ。あそこ、すごいですよね。三六〇度、客席が舞台を取り囲んでいるって」

「一瞬も気を抜けないわよ」

「面白そうです」

「私と二人。今回の口直しをするのに、最高の会場だと思うなあ。ね、検討して。演者としてステップアップできるよ。ううん、絶対にさせてあげる」


 願ってもないお招きであった。なのに自分の意思だけでは応えられない立場を、大斗は恨めしく思った。

 せめてもの感謝と喜びの表現として、さっき芽衣子がやったと同じように、跳ねてみせた。

 芽衣子が笑った。

 芝居の中で令嬢が見せるはずだった、屈託ない笑顔だった。


(受けたい)


 大斗は石黒を説得するための理屈を練らねばならなくなった。

 夜の間、家の壁をたたく風の音を聞きながら思案にふけったが、しかし行き着く結果は、事務所側の社員にいくら頼んでも叶わないだろうという虚しい現実だった。

 道也の方が大斗よりも稼いでいるからだ。


(なにか僕が勝るものはないか)


 スマホが鳴った。芽衣子からメッセージが届いた。

 道也がSNSに投稿した記事が話題になっているという。

 大斗は道也がSNSをやっていること自体知らなかった。見てみれば、今日の夕刻に開設したアカウントで、そのくせすでに八万ものフォロワーがついていた。

 投稿した記事はまだ一つだけ。

「誰も見たことがない。俺もこれからどうなるか分からない」というコメントを添えた短い稽古風景の動画だった。

 三つ巴の様子が映されていた。


 ――面白そう

 ――オレ様な道也がかっこいい

 ――私の知っている物語と違う。すごい


 反応はどれも肯定的だった。

 しかし芽衣子は「うまく編集された動画だこと。実際は苦労しているのにね」と苦笑いの絵文字付きで感想を述べた。

 芽衣子のマネージャーが言うには、アドリブ満載の劇として宣伝することになったらしい。「意外性を売る」のだと。


(遠藤が宣伝に協力しているのが、いちばん意外だろ)


 大斗が考えているよりも、道也は役者を楽しんでいるのかもしれなかった。


(だとすれば、今朝のあれは嫌みに聞こえたかもしれない)


 大舞台にしか興味が無い馬鹿だと言われたと勘違いして、「大斗は独りよがり」だと応酬したのだとすれば、道也が真面目に取り組んでいる証左になる。


(話し合う余地があるのは道也の方だった。役者として成長したいって思いを共有できたら、事務所を説得する味方になるんじゃないか)


 大斗と道也、両者から反発されたら、さしもの事務所も無視はできない。

 なにしろ道也はよく稼ぐ。

 大斗は石黒経由で教えられていた道也のケータイ番号に初めてメッセージを送った。


 ――明日の稽古の後に、ご飯でもどうですか


 すぐに返信がきた。


 ――静かな所でなら良いですけど


(けど、なんだよ)


 つくづく愛想が悪い。


 ――分かりました。知り合いがやっている店があるので、そこにしましょう


 続けて成見亮にもメッセージを入れた。


 ――明日、気難しい年下の後輩を連れていくので、空けてくれますか


 亮からの返信は、いたってシンプルである。

 にわとりが卵のからを突き破って仰天しているイラストだけだ。


(僕も驚いているよ)


 大斗は布団をかぶった。

 窓から流れてくる冷気で足が凍えていた。


(ついでに店の仮眠室から羽毛布団を拝借しよ)


 長い一日だった。

 身震いしながら、大斗は久しぶりに満足に眠った。

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