第4話

 翌朝、大斗は五時に目を覚まし、近くの公園へ走りに出た。およそ五キロメートルを三十分で走り、帰宅してシャワーを浴びた。洗髪料はメンソール入り。洗い上がりにシトラス系のコロンをひと吹きかける。すぐに香りは消えるが、ここ一番の時に大斗がやるげん担ぎである。

 洗面台の鏡にうつる自分をにらんだ。目の下にくまができている。

 昨晩は眠れなかった。

 道也と一緒に仕事をするのをやめたいと申し出るだけだが、事務所の意向に対して異を唱えるのは初めてである。


(この齢になっても気が弱い)


 夜の間は頭が冴えざえとしていて、今までに溜めていた不満も合わせて訴えようと思っていたが、朝になって冷静になると、まだ経歴の浅い雇われ者には無謀ではないかと、意気地が折れてしまった。


(いや、ここは通さなきゃいけない。役者を続けるか、潰されるかの瀬戸際なんだから)


 マネージャーの石黒いしぐろから電話がかかってきた。家の前に着いたという。

 大斗がマンションから出ると、石黒は車の運転席に座ったまま手を振った。後部座席に座れと目配せしている。

 先客の人影があった。

 人物の顔を確認して、大斗は目を疑った。

 道也が乗っていたのだ。


(今日に限って)


 と苦々しく思ったが、本人を前に嫌な顔はできない。大斗は素面を保ち、後部座席の空いている左側に体を寄せて座った。

 挨拶は、大斗からする。芸歴の差に対する配慮だ。

 得意の愛想笑いを浮かべて「おはようございます」と言うと、しかし道也は空気の抜けた声で「うん」と応えるだけだった。

 空気の悪さを察知した石黒が、黄島きじまさん(※道也のマネージャー)が次のコレクションの打ち合わせで車を出せないから、こっちに乗り合わせて行くことになったんだ」と早口で事情を説明した。


「へえ。遠藤くん、またランウェイを歩くの」


 しかし道也の返答はなおざりだった。

 大斗はむかっ腹が立ったが、どうせ道也の仕事なんかに興味は無いのだからと、冷静を取り戻した。


(モデルだけやっててくれないかなあ。そしたら僕が組まされることもないし、こいつだって、その方が楽しいんじゃないの)


 一度だけ、道也のモデル仕事を見たことがある。見たといってもテレビ画面の中でだ。

 二人が共演を始めて間もない頃、チャリティーショーに出演した道也の姿が世界中を賑わせた。

 英国仕立て風のスーツを着てステージにあがった道也が、客席の中央にのびるランウェイを進みながら、手袋、ネクタイ、上着、ベルトと一つひとつ脱いで素肌を露わにしていったのだ。

 こうして出演者が脱いだアイテムを競売にかけ、売上金を海洋保護活動団に寄付するという趣旨のイベントだった。

 出演者はプロサーファーから漁師、市役所の職員、大学のミスターコン優勝者まで多岐にわたり、最後は豪快に水着一枚になって入札を誘う。

 しかし道也の見せ方は、まるで上質なストリップショーだった。それまでケラケラと笑いながら「千円」「三千円」とろうに値踏みしていた観客達が、息をひそめて、道也の濃艶に見入った。

 ソックスガーターを外し、小尻にぴたりとはりついた黒のビキニパンツ姿に道也がなった時、腰のゴム部分にジョークをねらった小さな赤い蝶ネクタイが縫いつけられていたにも関わらず、皆、ベッドシーンを想像した。

 当時、赤い風車さながら娼婦に恋する戯曲家の役を演じていた大斗は、朝のテレビニュースで放送されたショーの様子に、不覚にも目が釘付けになった。


(僕の相方女優よりも色っぽいじゃないか)


 道也の脱いだ服と装身具にはすべて五万円以上の値が付き、特に彼が素肌の上に直接着ていたウイングカラーシャツは百二〇万で落札された。当然、イベント内で断トツの最高値であった。

 海岸沿いの町で行われたマニアックなチャリティショーが、観客がスマホで撮影した道也の動画をSNSに投稿したのをきっかけに注目を集め、全国、更には「#MizugiHotGuy」のタグと共に世界にまで広がった。

 イベントの規模以上に大きすぎる歓心を買ってしまったため、運営に対して「チャリティなのに性を売りものにして不謹慎」などという潔癖な批判も寄せられたが、後日緊急発売したショー映像の売上金を寄付額に追加したことで、日本海沿岸の掃除が進んだ。各県の知事が感謝の言葉を表明し、物議は沈静化していった。

 この世界規模の騒動を思い起こすたびに大斗は


(あいつに環境保護なんて高尚な意識があったとはなあ)


 と奇妙に思う。


(だけどあれは、間違いなく転換点になった)


 モデル・遠藤道也の代名詞であった透明感や繊細という賛辞の上に、エロスをまとうドぎつい極彩色の魅力を上塗りしたのだ。モデルとしても、役者としても、仕事の幅が格段に広がったし、これがきっかけで大斗が選ぶ個性的な芝居の演目にもすべて参加するようになったから、二人が「ニコイチ役者」として扱われるようになった。


(僕にとっては、不本意な転換だった)


 大斗のすねに道也の靴の先が当たった。これ見よがしにほっぽりだした長い脚が、後部座席下を占領していた。

 大斗は窓側に身をよじって避けたが、道也に悪びれる様子はない。カメラのフラッシュを浴びれば綺羅星きらぼしのように輝く瞳を伏せて、腕を組み、つまらなそうにしている。

 狭い車内で二人一緒にいるのが不愉快だと言わんばかりの態度だった。


(不本意はこいつも同じか。僕みたいな地味な役者とばかり共演したって退屈だろうさ。華やかな大舞台に立つ方が似合うもの)


 窓の外を見た。

 集積所に出された不燃ゴミを、老人があさっていた。わきに停めた自転車の荷かごに、今、拾ってきたのだろう中華なべやゲーム機なんかが入っている。荷台にくくりつけてあるレンジは不法投棄されていたものだろう。


(一般ゴミには出せない代物だと、捨てた本人は知っていたかな。回収されるか心配しながら捨てたんじゃないか)


 大斗はレンジを捨てた若い女性になったつもりで回想した。


(違反だって貼り紙をされて、置き去りにされたらどうしよう。私が会社から帰る夜まで、ずっと放置されてしまったら。きっとご近所のうるさいおばちゃん達が犯人探しをするわ。なにかの拍子にうちのゴミだって知れて、これだから一人暮らしの女は、なんて陰口をたたかれたら堪らない。ああ、どうか業者が回収していきますように)


 女は人目を避けるためにわざわざ早起きして、まだ薄暗いうちにレンジを集積所に出した。

 家にもどり、四十分ほど眠りなおし、いつもの時間にあらためて目を覚まして、朝の支度を始める。食パンを焼くのも、化粧下地を塗るのも、いちいち億劫なのは心配事があるからだ。

 パンプスのかかとを引きずりながら、玄関を出た。

 そして気づく。

 レンジがなくなっている。

 他のゴミは回収を待っているままなのに、レンジだけが忽然と消えていた。

 女は馬鹿ではない。不法に持ち去られたのだとすぐに察する。そして思うのだ。


(持っていかれて良かった)


 と。犯罪を助けたにも関わらず、


 ――突然、大斗の耳元を風がくすぐった。

 道也の高い鼻のあたまが、大斗の耳裏を探っていたのだ。

 大斗はぎょっとしてのけぞった。


「高田サン」


 と道也は言う。


「なんだよ」

「いい匂いがする」

(だからって、人の首元でにおいを嗅ぐか)


 こんな馴れなれしいヤツだったろうか。

 まさか。ふてぶてしいのが遠藤道也だ。他人に、ましてや大斗相手に、なつっこく振る舞ったためしは無い。


「お前、昨日の稽古のせいで、距離感がおかしくなってないか」

「高田サンだって、マフィアの役をやった時は素で口が悪くなってたじゃん」

「そうだよ。それで恥かくんだから気をつけとけ」

「今回はバカ貴族みたいに色気づいたんですか」

「違うね」


 大斗は前を向いて腰かけ直し、バックミラーに映る石黒を見やった。


「遠藤道也と組む最後の舞台だから、気合い入れてんだ」


 石黒がちらりとミラーを見た。大斗と視線がぶつかった。


「私に言ってるのかい」

「半分は、そうですね」


 大斗にしては珍しく不遜にこたえた。


「ついに言い出したって思いましたか」


 石黒は困った表情をした。ハンドルを握る指が伸びたり曲がったり、いらいらと動いている。


「難しい問題だよ。事務所の方針がある」

「僕の地味さを遠藤君の華で、遠藤君のマイペースさは僕の気弱でカバーしたいんでしょう。でもそれは、僕らがお互いに納得してこそのWin,Winですよ。そうでなくちゃ不満がたまります。なあ、遠藤くんだって、もっと大きな舞台で活躍したいだろ」


 しかし道也はさめた顔をしていた。いや、いつもこんな顔か。そしていつも通りに脈絡のない話を始めた。


「高田サン、犯罪者の役をやったことはありますか」

「――コメディなら」

「俺はないですけど、知り合いがストーカーして捕まったんですよ。そいつが言うには、逮捕されるまで、自分が悪いことをしてるって自覚が無かったそうですよ。彼女が毎日同じ電車で通勤するのは、俺に見つけてほしいからだ。ちょっと早足で帰宅するのは、俺に追いかけてほしいからだ。ゴミを奥に隠すように捨てるのは、俺以外の人に誤って拾われないためだ――って思っていたって」


 聞いて、大斗はぞっとした。逮捕されるまで、なぜそれが独りよがりだと気づけなかったのか。

 それで、と大斗は胸のうちで呟いた。


(それで、今、その話になんの意味があるんだ)


 道也は薄ら笑いを浮かべていた。


「認知のゆがみって言うんですよ」

「なに」

「自分に都合よくしか解釈できないんだ」


 と、大斗を指して言った。

 みるみる大斗の顔が紅くなる。


「僕が独りよがりだって。お前が言うなよ」

「大斗くん」


 石黒が止めた。


「その話は今度あらためてしよう。今日の稽古に悪い影響が出たら困るよ。ほとんど、きみら二人の絡みなんだから」

「うんざりですよ」

「大斗くんらしくない」

「役者として成長したいと考えるのが、一番僕らしいじゃありませんか」

「それは分かってる、分かっているから、きみのために私も力を尽くしている」

(詭弁だ。僕を遠藤の保護者でいさせたいくせに)


 この日の稽古は大斗にとって散々だった。

 令嬢に扮する大斗にかしずいて求愛するはずの道也は、「俺の愛なくば生きていけないだろう」と相変わらず横柄だった。

 令嬢役の女優がこれに呑まれ、本来であれば大斗が演じるマシューと、道也が演じる男爵、二人の男を手玉に取る傾城であるはずなのに、大斗にすがって


「わたくしのことをお忘れではありませんよね」


 と泣いた。

 演出家の四ツ谷が絶賛した。


「マシューが本当の意味で主人公になった」


 という。


「原作を凌駕する展開じゃないか。高田くん、初日を迎えたら、きっときみへの仕事がわんさか舞い込むぞ。マシューは当たり役になる」


 石黒の手前、大斗は素直に喜べなかった。道也から始まったアレンジで当たり役に仕上がったと言われるのも釈然としない。

 嬉しそうにしている石黒と車内で話す気にはなれず、大斗は電車で帰ることにした。

 荷物をまとめて廊下に出ると、令嬢役の女優、芽衣子めいこがまっ赤な唇で微笑みながら、待ち伏せていた。

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