第5話 覚悟

テオドールの作戦とは「変装」だった。




 こみ上げる激情をなんとか落ち着かせたリーザロッテは、テオドールの作戦に目を瞬かせる。必要に応じて着飾ることはあるが、変装とは一体何だろうか。




「変装って、何ですか?」


「えっと……ここから出るためには貴女が「リーザロッテ」様だとバレてはいけません。なので、周りが貴女を見ても「リーザロッテ」様だと分からないようにするんです。そのための装いが変装です」


「私が私だと分からなくする……」


「はい。そのための準備はしてあります」




 テオドールは乱雑に置かれた木箱のうちのひとつを開ける。薄明りに照らされて、布の塊がぼんやりと姿を現した。


 飾り気のない黒く丈の長いワンピースと、白いエプロン。髪をまとめるスカーフと胸元で結ぶリボンも白い布で作られていて、リーザロッテの纏うドレスほどではないが比較的上質な生地が使われている。


 リーザロッテはこの衣装に見覚えがあった。王宮勤めの使用人たちのお仕着せである。




「こ、これを着るのですか……!? こ、こんな丈の短いものを!?」


「元々作業着なので動きやすさが第一ですので。といってもそれほど短くないんですが……」




 ワンピースはリーザロッテの足首の少し上まであり、ブーツを履くことを考えれば露出はほとんどない。しかしこれまでドレスしか着たことがなく、足が出る服など寝間着くらいしか経験のないリーザロッテには予想以上の露出だった。ぽぽぽっと頬が羞恥で赤く染まる。


 これには流石にテオドールも苦笑気味だった。彼女が知らないだけで平民たちの着る服の中には膝丈やそれよりも短い丈の衣服もあるのだが……今はこれ以上刺激するのはまずいとテオドールは口を噤んだ。英断だろう。




「……ま、まあ貴族の娘がこんな格好をしていることはありませんから? 確かに周囲の目を誤魔化すことは出来ると思いますが……これを一体どこで?」


「貴女と似ている体格の使用人から予備を頂いただけですよ。……時間がありませんので着替えてください。私は外で見張りをしています」


「えっちょっと待って!」




 出ていこうとするテオドールの服の裾を咄嗟に掴む。勢いが良すぎて彼の鎧が音を立て、一瞬身が竦んだ。


 しかしリーザロッテには重大な問題があった。真剣そのものの眼差しで彼に縋る。


 年頃の男性に告げるのは大変に恥ずかしかったが、背に腹は代えられない。




「どうかしましたか?」


「…………のよ」


「はい?」


「……ひ、ひとりで着替えたことがないの。手伝っていただける……?」


「は……」




 テオドールが息を呑んで呆然とする。それを見て、リーザロッテの頬から一筋汗が滑り落ちた。


 生まれながらの侯爵令嬢である彼女には常に使用人が付き従っていた。着替えもお風呂も移動にすらリーザロッテは使用人の手を借りて生活していて、当然一人で着替えたことなどない。脱獄した今、リーザロッテは生まれて初めて「一人でお着替え」というものに直面していた。


 もちろんリーザロッテとてテオドールのような青年にこんなことを頼むなど恥ずかしくって仕方がない。ただその恥ずかしさと、一人で着替えることへの困惑を天秤にかけたらほんの少しだけ後者が勝ったのだ。




(わ、わかってる……! こんなこと、夫婦でもしないもの! でも今の私にはこれしかないの!)




 ばくばくと心臓がうるさくて、顔がこれ以上ないくらいに火照ってしまっている。腕を伸ばして彼の服を掴んだはいいものの、テオドールの顔を見ることは出来そうになかった。


 一体どれくらいそうしていただろうか。掴んでいた指先を優しく振りほどかれ、リーザロッテはいつの間にか閉じていた眼を開ける。




「――――よく聞いてください」




 耳に心地よい低音がリーザロッテの中に落ちてくる。ふ、と顔を上げれば、無表情のテオドールと目が合った。


 テオドールはそのまま「お許しください」と前置きして、リーザロッテの翡翠色の瞳を真っすぐ見返す。




「リーザロッテ様。今から貴女が出て行こうとしているのは、使用人の助けなど無い世界です。着替えも食事もすべて自分の力でこなさなければならない。貴女がこれまでの人生で当たり前のように享受していたものは、王宮を出れば一切と言っていいほど手に入りません。いいや、それが当然の世界なんです」




「これは最初の関門だとお考え下さい。この先おひとりで着替えることが出来なければ……貴女は遅かれ早かれどこかで息絶えることでしょう」




 テオドールの声音は淡々としていた。


 けれどその冷めきった声音と言葉はリーザロッテの甘えきった性根を張り飛ばした。


 目を見開いて硬直してしまったリーザロッテに、テオドールは目を伏せ頭を下げる。




「……厳しいことを言って申し訳ございません。ただ、事実を受け止めていただきたくて――」


「分かったわ」




 テオドールの言葉を遮って、リーザロッテはゆっくりと頷いた。




(要するに私は、覚悟が出来ていなかったのよ)




 勘当され行く当てのないリーザロッテは、王宮を出ればただの平民となる。そうなれば今までとはまったく違う生活をすることになるのは想像に難くない。


 ただリーザロッテは想像こそすれど、それが自分の身に起こるという実感も覚悟もなかった。おとぎ話のようにふわふわしていて、現実味が薄かったのだ。断罪の覚悟は出来ても生きることへの覚悟がまったく出来ていなかった。




 ――遅かれ早かれどこかで息絶える




 テオドールの言葉はリーザロッテのそんな「甘え」に深く突き刺さった。


 死にたくない、とリーザロッテの奥底で誰かが囁く。


 折角助けてくれるのにみすみす死んでしまうのは、テオドールに対してとても不誠実だと、リーザロッテは思う。


 テオドールに応えられないのは絶対に嫌だ。その想いが彼女に生を望ませた。




 リーザロッテは気づいていない。その気持ちが彼女が初めて自分から「したい」と望んだものだということを。




「テオドール。剣を貸してくださる?」


「は、……なにをっ」


「大丈夫。自棄になったわけではないわ」




 リーザロッテがそう言えば、テオドールはしばらく考えたのち懐から短剣を取り出し差し出した。それを受け取って、リーザロッテはぐっと背筋を伸ばす。


 今からすることは、リーザロッテが考えついた覚悟の表れだ。


 甘えていた自分への断罪。


 助け出してくれるテオドールへの感謝。


 そしてこれから生きていくために――「変わる」ために、リーザロッテが自ら選んだ選択。




 金色の輝きが宙を舞う。


 無造作に手で掴んだ髪の根本に短剣を添え、驚愕の表情で固まるテオドールの目の前で思い切り腕に力を込めた。


 ザクッと耳元で音がした。振り抜いた刃の先で握りしめた金色の束が魔法石の光を浴びてきらきらと瞬いている。はらはらと床に数本、名残惜しそうに落ちていった。


 はくはくと声にならないテオドールを、今度はリーザロッテから真っすぐ見つめる。




「私、死にたくない」




 ――――心からそう思った。




「貴方が連れ出してくれる世界に行きたい」




 ――――たとえ厳しい現実が待っていたとしても。




「だから王宮ここには、「貴族の私」を置いて行くわ」




 ――――貴族の私。何一つ自分で選ぶことを許されず、選ぼうともしなかった自分を、今ここで捨てていく。


 だから。


 だから――お願い。






「私を助けて」

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