第4話 脱出2
「大丈夫ですよ!」
明るく断言され、本来なら頼もしいはずのその言葉にリーザロッテの背筋が凍る。
(大丈夫って、なにが? もしかして殿下は国外追放ではなく私を本気で死罪にしようとしている……!?)
手元で光る魔法石の光量は手元がギリギリ分かる程度。暗い森の中を照らすには不十分だが、今ここで何か行動を起こすだけなら事足りる。
最悪の事態を想像してざあっと血の気が顔から引いていく。けれど殿下が決めたことならリーザロッテに抵抗する権利はない。それよりも怖いのはそれを笑顔で宣言し実行しようとする目の前の騎士のほうだった。
リーザロッテに出来るのは最後のプライドを以て気丈に振舞うことしかない。
「……そう。ですが貴方、仕事ですからさっさと終わらせるようにしなさいね? いくら人に言えない嗜好だからといってそのはけ口にいたぶられるのは」
「ちょっと待て? っていうか待ってください!? 何の話ですか!?」
がしっと言葉を遮るように肩を両手で掴まれる。先程の彼の腕の感触を思い出してしまいリーザロッテが反射的に口を噤むと、そのまま軽く揺さぶられた。
「誤解です。俺は――私は、貴女を助けに来たんです」
言葉の意味を理解するのに5秒かかった。
そして理解してもなお、リーザロッテは言葉が出てこない。まるで声の出し方すら忘れてしまったみたいに、薄闇に紛れた騎士の姿を見上げることしか出来なかった。
リーザロッテの視線に何を勘違いしたのか――騎士はすっと彼女の足元に跪く。白い光に照らされて、彼の纏う鎧がわずかに輝いた。
「ご挨拶が遅れてしまい大変申し訳ございません。私はテオドールと申します。時間がありません故、正式に名乗らぬことご容赦願います」
「…………うそ」
リーザロッテの口から出たのはそんな阿呆みたいな掠れ声だった。
信じられなかったのだ。王子からの冤罪に、実父の理不尽な切り捨て。リーザロッテの環境は最低で、このまま世界は終わっていくのだと思っていた。
誰かが助けに来てくれるなんて、考えたこともなかった。
「嘘じゃありません。お手を。足元暗いので、お気をつけて」
テオドールに促されて、再びリーザロッテは彼の手を取る。
自分とは違うしなやかで骨ばった指が、彼女の華奢な手をしっかりと包んだ。あたたかく、頼もしい手に、リーザロッテの胸の内で安堵に似た何かが火を灯す。
痛くない程度に手を引かれながらリーザロッテは独房のある場所から脱出した。
***
「助けに来た……と仰っていましたが、一体どうやって? 見張りなどもいるのでしょう?」
独房からほど近い小部屋に移動したリーザロッテは、きょろきょろと周囲を見渡しながら不安そうに眉を寄せた。魔法石を使われていなかった魔法ランプに嵌め込んだため、かろうじてだが部屋全体が見えるくらいに視界は明るい。
テオドールが案内してくれたこの部屋はどうやら使われていない物置部屋らしい。いくつか木箱が無造作に置かれているだけで掃除した形跡も人が出入りしている様子も無かった。王宮にこんな場所があることを初めて知ったリーザロッテは、埃っぽい部屋の空気にくしゃみを我慢しながらも内心そわそわと落ち着かない。
幸運なことにこの部屋に来るまでに見張りや巡回の騎士や使用人に会わなかったが、ここから王宮の出入り口まではかなりの距離がある。誰とも会わないというのはまず無理だ。
今やリーザロッテは重罪人。誰かに会ってしまえば独房に逆戻りだ。
「……私に作戦があります。慣れないことをさせてしまい申し訳ありませんが、よろしいですか」
「ええ、構いません。……けれど、その前に一つよろしい?」
「はい?」
「どうして貴方は私を助けてくださるの?」
リーザロッテは真っすぐテオドールを見据えて問うた。
暗かったというのもあるが、初めてきちんと彼の姿を真正面から捉えた気がする。
テオドールは白い光に照らされ輝く白銀の髪と、宵闇を思わせる藍色の瞳が印象的な青年だった。騎士という職に就いていながら細身で、顔立ちも角度によっては女性と間違えてしまいそうなくらい儚げで繊細に整っている。
しかしリーザロッテを見返す眼差しは、芯が通っていた。心に決めた目標に向かって揺るがない覚悟を持った者の熱を孕んでいた。
リーザロッテは彼のその眼を見て、本気で彼女を助けに来てここから逃がそうとしているのだと理解した。けれど同時に疑問でもある。
テオドールにリーザロッテを助けて得られるメリットはないはずだ。リーザロッテの実家からの謝礼目当てだとすれば、残念ながら無駄骨である。
「貴方にとって私を助けるメリットはないはずです。私自身、助けていただいても何のお礼も出来やしません。……それでも助けてくださる?」
「もちろん。ここから必ず連れ出すと誓いましょう」
「どうして?」
口にしてから、自分の馬鹿さ加減に気づいた。
折角助けてくれる人に対して、こんな試すような物言いを繰り返すなど失礼にも程がある。ここでへそを曲げられてやっぱりやめた、などとなったらリーザロッテはおしまいだ。
さっと血の気が引いたリーザロッテが口を開くより早く、テオドールが制した。
「こんな馬鹿げた場所に、貴女はいちゃいけない」
辛辣に響いた言葉が胸を突く。
「私は騎士です。学園に通っていたわけじゃない。ですがあの日、私も護衛としてパーティーにいました。あの王子たちのやり取りが、私には三文芝居にしか見えなかった」
感情が喉元まで込み上がってくる。
「私は私の判断で、貴女は悪くないと考えました。だけどこのままじゃ貴女は死ぬ。それは、駄目だと思った」
視界が歪んで、体の奥深くで熱が弾けたようだった。
「……答えになっていないでしょうか?」
「いいえ、いいえ……!」
リーザロッテは激しく首を振る。
そうでもしないと泣いてしまいそうだった。貴族として、王子の婚約者として、他人に泣くところなど見せられない。
それくらい嬉しかった。世界のすべてが敵になったような気持ちだったリーザロッテにとって、テオドールの言葉は心の脆い部分に染みわたる。
生まれて初めて、純粋な心配を与えられたような気がした。
唇を噛んで、両手を握りしめて、リーザロッテはただ歓喜に身を震わせていた。
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