035

 今まで、僕は久美や白石教授、その奥にいるウィズに対して『説明はするな。わざとらしいのは、もう止めてくれ』と言ってきた。


 なぜならそれは僕とは全く関係がないことだったから。


 最早ウィズが居ようと居まいと僕には関係がない。


 物質移転装置が双子電子を基に造られていようと僕には関係がない。


 この世界がどのように造られ、この世界がどのように管理されているか、なんて僕には全く関係がない。


 この世界がまがい物で、自分以外の全ての人間が嘘だと言われても、日常的には何の変化も起こらないからやはり僕には関係がない。


 僕が月に移転されようと、別段死ぬわけでもなく、記憶も失われ月で日常を送るわけだから、たいして僕には関係がない。


 そもそも。


 昨日から始まった、この世界の真実とやらの説明自体が全く僕には関係がない。


 昨日から起こり、僕が直接的に関係した事は。


 久美にキスをし。


 教授の胸に穴が空いた。


 ただそれだけのことだった。


 それ以外の、説明とかウィズとかは全て他人事に過ぎなかった。


 久美も言っていたけれど、本当に僕が知る必要もないことだった。


 何も知らずに生き、


 何も知らずに死んでおくべきだった。


 今更後悔しても遅いけれど、


 もう知らないでは済まされない領域に入ってしまった。


 整理すると。


 久美は僕の誕生日に贈られるプレゼントの予定だった。


 久美は僕の本当の母親をモデルに造られた、アンドロイドだった。


 いや、違う。


 画面の中の吉良教授や、本当の父さんも言っていたように、椿久美は僕の母さんそのものとして造られた。


「なあ、椿」


「……?」久美は何も言わずに、目線だけで僕を促す。


「僕の本当の母さんの旧姓って何だ?」


「…………『椿』です」


 僕はもう予想についていた名字を椿は答えた。


 もう駄目だ。久美を名前で呼ぶことは僕にはもう許されない。


 せめて『椿』と呼ぶことしかできない。


「戦争が起こったのはいつだ?」


「あなたの誕生日の三日前」椿は、ぼくが訊きたいことをショートカットで答えてくれた。


「椿、お前だよな、僕をここまで導いたのは」


「…………」椿は答えなかった。


 思えば、椿が以前にした説明は、僕に関して起こったことに対しては、全く説明になっていなかった。


 僕が午前零時に月へと旅立つこと。それを説明するのは別に吉良教授ではなくても、誰でもよかったはずなのだ。


 もちろん、あのとき水前寺駅前の公園で、椿久美本人が、僕の月への移転をしても、ウィズからしたら何の問題もなかった。


 全てのアンドロイドを操作の支配下に置くウィズからしたら、誰が真実を語ろうと何も影響は変わらなかった。


 では何故、椿は公園で、もしくは駅で真実を告げることがなかったのか。


 それは僕を導くため。今も大学の、白石遼博士の元研究室に、二〇八〇年になっても残してあった、椿久美を起動させるための鍵へと導くため。


「国民誰もが、戦争が起こったことすら知りませんでした。それどころか、最早、空爆と気づかずに、消えてしまった人が大半でした」


 椿は訥々とつとつと語る。


「あなたのお父さんですら、空爆の一時間前に知らせを受けたほどです。物質移転のエキスパートである、あなたのお父さんですら」


 椿は訥々と語る。


「もう、間に合わないと悟った、あなたのお父さんは、私、椿久美を物質から組み立てるデータをチップに詰め込みました。そして……」


「もういい」


 僕は椿の続きを遮った。


 その続きはもういいんだ。


「でも、父さんは鍵渡せばよかったじゃないか? どうして……」


「私にもわかりません、が、恐らく……鍵はあえて渡さなかったのでしょう。当時からウィズはほぼすべての物質を管理していました。しかし、人間にはプライバシーの問題があった。なので、ウィズを基にした、物質移転装置の実用化の前に、いち早く実用化されたものがありました。いや、正確にはものではなくて原理ですが……」


 椿は闇に染まった右手を、僕と椿の間に持ってきた。


「不定形です。これで皆それぞれのプライバシーを守っていました。不定形が存在している間、不定形と、不定形の大きさに応じた周囲の環境はウィズには観測されません。不定形が消えた後にそのようだった、と観測されるだけです。私の鍵も本来は不定形で守られていました。私用アンドロイドはプライバシーの極みですからね」


「もういいよ」


 今度は説明を遮ってしまった。


 なんかもうどうでもよくなってきた。


「つまりは、その闇のおかげで、今はウィズに干渉されてないってことか」


「はい。そうです」


「どうでもいいよ」


「?」


「ああ、すまん。なんか僕から質問を振っておきながら、どうでもいい、はないな。ごめん。でもやっぱり……」


 どうでもいい。


 ウィズが僕のこと観測してたからって、何か変わることがあったか?


 いや、二つだけあるか。


 一つはその椿の右手の闇と。


 もう一つは。


「なあ、椿。その口調は、ええっと、元には戻らないの?」

「口調、ですか……?」

「うん、数分前の椿のような、口調には戻らないのかな? って」

「パターンは数通りほどありますが、どれにいたしましょう? ちなみにおすすめは十八歳椿と四十歳椿とありますが」

「じゃあ、四十歳でいってみようか」

「由人、私は一体何をしゃべればいいんだ?」

 ちょっと挑発的な、四十歳位の口調になった。

「『ここほれワンワン』って言ってみて」

「ここを掘りな、由人。掘ったら何かいいものが出てくるぜ……」

 すげえ……何か熟練女性の謎の説得力がある。

 というか。

「その四十代椿って、まんま僕の母さん口調ってこと?」

「全く持ってそうだね」

「こんな挑発的な母さんだったの?」

「挑発的ってなんだい……。別に挑発的じゃあないの。息子に対してこんな口調になるのが母心ってもんよ」

「じゃあ、十八歳椿に設定変えられる?」

「ん……ちょっと待ってな。……おまたせ由人くん」

「くん付けで、きたか」

「確かに、くん付けしたりくん付けしなかったり、ウィズさんは曖昧だったかも」

「ウィズ、もさん付けに戻ったか」

 僕はもうウィズでいくぞ。面倒くさいし。

 それに、ウィズ、先程の説明からとても怖い存在に思えてきてるし。

「ていうか、由人。自分の領域に持っていくな! まだ私の説明の途中だったでしょうが」

 椿がばっと右の掌を僕に差し向け、『ちょっと待った』ポーズをする。

 椿、心の中で突っ込ませてもらうと、お前の右手すんごく黒いぜ。

 というか。

「くん付け二度目で終わったな」

「いや、やっぱりあざとい感じ出ちゃうし。あざといの由人嫌いでしょ。なんかキャラ付けしてるみたいって前言ってたじゃん」

 え、言ってたっけ? そんなこと。

 結構好きなんだけどな。椿のくん付け。

「って。とにかく!」

 椿は少し語調を強めにした。

「私に説明させてよ! この場面まで持っていくのにどんだけ苦労したと思ってんのよ!」

 バンバンバン布団越しにベッドを叩く久美。

 やめんか。ベッドがきしむわ。

 ん? 今普通に久美は自分が導いたと発言した感じだな。

 さっきまでの神妙な受け答えはどこへ行っちゃったんだろう。

 まあ、僕が壊してしまったのだけど。

 それよりも目の前のことだ。椿すごく怒ってる。

 目が軽く三角になっちゃってるし、歯をギシギシ鳴らしてるし。

 ここは聞こう。

「ごめん。話を続けて」

 椿は自分の話の腰を折られて悔しいからか、僕の布団をくしゃくしゃに鷲掴わしづかみしてる。

 突っ込みはしないよ。もう。話が全然進まないから。

「それで話戻すけど、白石遼博士は由人に鍵は渡さなかったの」

 ようやく僕の質問の核心に触れた。

「どうして?」

「必要なかったから」

「必要なかった……のか?」

「だって、ウィズさん経由で私を起動しても、由人を手助けし、守ることは変わらないからね」

 それはそうだ。ウィズだって人を自ら殺めるようなことはしないだろう。特別な理由がない限り。

 今回だって、僕がウィズの秩序を乱す行動を起こしかねない、と危惧したからだ。

「それに、これは多分なんだけど、人間がいなくなったら、プライベートの不定形の管理だって誰もできなくなっちゃうしね」

「不定形を留めることって難しいのか?」

「制御システムがないと、まず無理だね。それも、当たり前だけどウィズさんを媒介としないシステムがないと無理」

「ふーむ」

 正直よく分からない。でもここで話を途切らせるのはもっと良くない。さらに分からなくなってしまう。

「それに加えて、これは多分だけど、白石遼博士は、あえて由人に鍵を渡さなかったかもね。私個人の人工知能に頼るよりも、より莫大な知識量を誇るウィズさんを媒介にした方が、由人の安全を考えたら、よりよい判断ができる、と考えたのかもしれないね」

 とりあえず、あのとき、僕の父さんは僕に鍵は渡さなかった。渡す必要がなかった。渡さない方がむしろ正解だった。

 では何で。

 これは最後の質問になるのかもしれない。

「では、何で、椿はここまで僕を導いたんだ?」

「……」

「……」

「……」

「……」

 僕は二拍程待った。僕は、椿から話し始めるまでじっと我慢した。

「……私たちアンドロイドがどんな風にして造られたか、分かる? ウィズさんの原理をもとに、人類が到達した科学を基に、考えてみて」

「物質が、そこにあるように組み立てるのだろう?」

 考えるまでもなかった。それがウィズの根源的原理だ。

「……そう、そして、これは前にも言ったけど、私たちアンドロイドは人間とほぼ同じ物質で出来てる」

「……」

「人間と同じ神経、人間と同じ筋肉、人間と同じ骨、人間と同じ内蔵、人間と同じ血液。人間と同じ皮膚。違うところは脳に埋め込まれてるチップだけ」

「……」

「特に、一部のアンドロイドは無くなった人間そのものをモデルにしてる……これもさっき言ったね。私は由人のお母さん、白石久美を。吉良教授型のアンドロイドは吉良教授本人をモデルにしてる。私も吉良教授型アンドロイドも、生前の本人と全く同じ物質で出来ている」

「……」

「そんな私たちが、機械だからって、記憶を失くしてるからって、生前の思い出を、完全に忘れることが出来るなんて、思いますか?」

「……」

「私は、由人の前に現れてから、初めは全く動けなかった。話すことすらできなかった。そこで、すぐにウィズさんに見つけてもらって、助けてもらった。助けてもらって、ウィズさんに従うことに決めた。ウィズさんに操られることに決めた。それでいいと思ってた。由人が生き続けられるならば、幸せでいられるならば、それでいいと思った……昨日までは。昨日の、あの宵闇よいやみまでは」

「……」

「ウィズさんから、明後日の午前零時に、由人が月に移転されることが決まったと、伝令が、伝わった。私には、由人に月への移転を伝えろと、命令が、下された。下されてしまった……」

「……」

「私は、由人がいなくなることは、私の本来の、私が存在する理由と、目的とに完全に反していた。私は、由人を守るために、誕生したのに、今、目の前で、由人が、地球上から消されようとしている。由人は何も悪くないのに、由人は、普通に生きて、普通に恋をした、だけなのに」

「……」

「だから、私は、命令に従った振りをした。私よりも、もっと科学的知識の豊富な、熊本大学理工学部の教授に、由人の月への移転を、説明させようと、心の中で決心する、振りをした。私は、説明者へと導く媒介者である振りをした……」

「……」

「吉良教授にも、由人が移転されることは、もちろん知らされていた。知らされていながらも、絶対に納得していないと、私は確信していた。吉良教授も、心のどこかで違和感を感じていると、私は考えていて……」

「……」

「そして、案の定、吉良教授は、私が吉良教授の眼前に、立つと、全てを思い出したような、はっとした顔をして、『過去と未来と現在を、一遍に見た』と言ってくれた。それで私は確信した。吉良教授が全てを思い出してくれた、ということを」

「……」

「私は安心して、その場から離れた。自分が、常にウィズさんから監視されていることを思えば、もう、吉良教授を信じるほかは、なかった……」

 全ては繋がった。

 椿があの夕方、突然に口を利かなくなり、急激に体温が上昇したこと。

 あれは、椿がウィズの命令逆らったから。ウィズが椿を操作する行動は、白石由人に真実を告げることだったから。

 それ以外は、何もなかった。

 故に何もしゃべることができなかった。

 ウィズはごく自然に椿に圧力を掛けていた。だが、それに椿は必死に抵抗を重ねていた。

 椿はウィズと戦っていた。

 故に、オーバーヒートで体温が急激に上昇した。

 吉良教授が突然に発した、訳の分からない発言は、椿に、ウィズに悟られないように、全てを思い出したことを伝えるため。

 吉良教授が、胸に闇穴を空けた後、不定形により本来ならばウィズとの伝令が途絶え、行動が不可能となった後も、デスクボックスへと僕を導いたのは、やはり、全てを思い出していたため。

 ウィズの知らないところで、本当の椿の姿を僕に知らせるため。

 吉良教授の、あの震える手、鍵を指差した後の、充実感と達成感に満ち溢れたあの笑み。

 吉良教授もまた、戦っていた。科学技術の果てに造られた、もはや全てを司ると言ってもいい、ウィズと戦っていた。

 理不尽な運命と、戦っていた。

 それは、つまり、椿のために。

 そして、何より、僕のために。

 椿の右手は、不定形で、プライバシーモードで、ウィズに観測されない状態になっていて、僕が、その、不定形の、椿の側にいれば、いることができるのならば。

 ウィズは、僕を月に移転させることができなくなる。

 僕は、僕は、僕は、僕は、僕は、僕は、僕は、僕は。

 知らないところで、僕は、関わっていて、護られていて、愛されていて。

 実はもっといたのかもしれない。例えば、学校からのエスケープなんか、誰かから呼び止められていれば、絶対に成功しなかったケースだろう。

 全ては僕を生かすため。

 全ては僕を救うため。

 これが感謝せずにいられるか。

 巨大なシステムからの命令に背き、自分で判断し、誰かのために行動をする。

 椿久美も、吉良教授も、その他全ての者たちも、アンドロイドを超えている。

 すでに立派な人間だ。

 僕の独断で、偏見で、相手への慰めで放つ、その場凌ぎの言葉としてではなく、本当に生きている。    

 生きている。

「椿……」

 僕はもう泣きそうだった、ウィズから不必要と言われた時は、憤っただけで、泣くことなんて無かったのに。

 僕は椿を抱きしめた。自分の中にある全ての感謝を込めて、椿を自分の胸元で抱きしめた。

「間違いないよ。椿はやっぱり生きている。椿は立派な人間だ」

 僕は言った途端に、今まで堪えていた涙が、僕の両目から零れ落ちた。

 先程、大学で椿を抱いたときとは逆で、今度は僕が泣いていた。

 一方、椿は完全に力が抜けきっていた。泣いていたら普通、身体が硬直するので、泣くのとは正反対の身体の状態だったのかもしれない。

 椿は、重力に何の抵抗もせずに、ただただ僕に身体を預けていた。

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