013

 熊本大学工学部情報電気電子工学科とう二階、A‐205号室。扉の横のプレートには「吉良KIRATAKASHI 教授」と書かれている。ここが、久美が僕に会わせたい教授の研究室らしい。


 この扉の目の前まで学生服姿ですんなりと来たが、上は長袖白ワイシャツ、下はスラックスの僕と、白ブラウスと紺色スカートの久美。この二人が大学の中を歩いて行くのは場違いすぎる。思い返してみて少しネガティブになった。


 今更ながら、久美は教授とアポイントを取っているのか疑問が浮かんできた。しか

しその不安に構わず、トントンと久美は205号室の扉をノックした。


「失礼します」


 久美はそのまま部屋に入って行く。僕も付いて行く。


 九時ごろ特有の明るい日差しが部屋に差し込む中、少し白髪混じりで、おかっぱ頭の人がいた。いかにも教授らしい人だった。その人が部屋の中で一人、オフィスチェアに座ってパソコンでキーボードを打っていた。投影キーボードではなく、旧型のボタン式キーボードだった。


「別に私は入っていいとも言っていない。それに事前の質問の予約もされていない。一体どちらさ……」


 彼はパソコンから目を離した。彼は僕らを見て絶句した。


 いや、正確に言うならば椿つばき久美くみを見て言葉が途絶えた。


「まさか、まさか。……ふふふっははははははははははっは! おい、我が友よ! お前の予想が当たったぞ! ふーっはっはっはっ! これが運命か! これほど愉快なことはない!」


 彼はいきなり笑い出した。


「ああ。でもここに二人で来た、ということはあれか……、そういうことか! ああ、まるで情景が目の前に浮かんでくるかのようだ! 素晴らしい! ああ! なんと青春の美しきことかな!」


 次に彼は恥ずかしそうに顔を抑え出した。


「いや、待てよ。ということは。いや、待てよ。こうなってしまうのか! ああ、ついにこの時が来てしまったのか。なんと悲しきことよ。ああ!」


 最後に彼は泣き始めた。


「あの」


 目の前でハンカチを目に当てながら、目をらしている博士に声を掛けた。


 なんか声を掛けるのが申し訳なく感じた。


「ああ、スマンスマン。だけだ。あまり気にすることはない」


 言ってる意味が分からない。僕は久美を眼だけで見た。久美は目に力を入れたまま口を一文字に閉じていた。視線を教授に戻した。しかし、何なんだこの変な博士は。初めのほうはまだ、ましだった。見しれぬ訪問者に対しての接し方は常人だった。だが、そのあとの一人芝居は尋常ではなかった。笑ったり恥ずかしがったり泣いたりと忙しそうな教授だった。


「ああ、えっと君の名前は?」


 ハンカチで目を拭き終えた彼が、久美を指して尋ねてきた。


椿つばき久美くみです」


「ああ、そうかそうか。そうだそうだ、そういう名前だったなあ」


 まるで昔から椿久美の名前を知っていたかのようなセリフだった。久美が世間的に著名な吉良崇教授の名前を知り、その研究室を訪ねるのはある程度、理由としては理解できた。しかし、この一介いっかいの女子高校生にすぎない椿久美の名前をどうしてこの博士は知っているのだろう。元々名前を知り合う出来事でもあったのだろうか。


 でもそれだったら、事前に久美から説明があったはずだ。しかし、旧知の知り合いであったという説明は一切なかった。


 謎である。


 また一つ、今日の出来事で不思議なことが増えた。


 今はまだ九時台の、一日のうちの半分も過ぎていない。久美の行動にしても、目の前にいる、このおじさんの発言にしても謎だらけで、謎が多すぎてなんだかもうわけが分からなくなる。


「ん。なんだか君、顔色悪そうだね? ほら、あそこに丸椅子いすがいくつかあるだろう? あれ使っていいよ。くん」


 何故なぜ、この人は僕の名前を知っている? 熊本高校バスケ部のファンか何かか? いや、それだったとしたら、僕はこの人の顔くらいは知っているだろう。でもこの人の顔に全くの見覚えがない。今日、久美に無理やり連れて来られなければ名前だって知らなかった。本当に初めて接点を持った人のはずだ。


 僕は返事が出来なかった。


「ん。ますます顔色が悪くなってきたね。さあさ、早く椅子を持ってきて話そう。今日は私と話しに来たんだろう」


 彼は、が吉良博士と話がしたいと思って訪ねてきた、と思っているらしい。


「いや、違うんです。今日、吉良教授に会いたいと突然言い出したのは彼女のほうで、その、僕は付き添いみたいなものです」


 久美と僕の、二人分の椅子を運びながら僕は言った。


「いや、白石しらいし君、いやこの呼び方はよそう。じゃあ、由人ゆうとくんで……。由人くん。彼女は僕と君とを会わせたいがために、わざわざ平日のこの時間に、できるだけ早く僕を訪ねに来たんだろう? 椿つばき君はそう言っていなかったかい?」


「ああ、確かにそんなこと言ってました」


 僕はよいしょっと二つの椅子をデスクの前に置いて、二人それぞれも椅子へと座った。


「うん。そう。由人くん。私は君に話すべきことがあるんだ。大丈夫。私が話せば君がいだいている、心のもやもやとした疑問は全部晴れるさ。多分、あまり好ましくない形でね」


 語るって……、教授の研究成果か何かだろうか? 久美はこの教授の凄さをじかに体験してもらうためにわざわざ僕をこの研究室まで連れてきたのだろうか?


「あー、いや、すまない。好ましくない、というのは私の独り言だ。私はただ私の良心にしたがってありのままに告げるだけだ。なに、そんなに心配そうな顔をしなくともよい。好ましいか好ましくないかは君自身が決めることだ。いや、口が先走ってしまった。失敬失敬」


 僕は何も返せなかった。


「さて、何から話そうか、とその前に」


 教授は話を区切り、久美の方を見た。


「椿君。君は出たほうがよさそうだね」


「……わかりました」


 そう言うと、久美はすっと立ち上がってくるりとドアへ向き直した。そのまま歩いてドアを開け、がちゃんっと扉を閉め外へと出て行った。


 え、どういうこと?


 僕は何も言えず一連の動作をただぽかんと見つめていた。


「さて、まず何から話そうか。話すことが多すぎて何から話し始めればいいか分からないな」


 相変わらず、自分のペースで話を始める吉良教授。僕はあわてて吉良教授の方へと向き合った。


「そうだな、まず君には選択を迫ろう。君はこの地球に居続けたいか? それとも違う世界で暮らしたいか?」


「はい?」


「ああ、スマン。やっぱりこの言いかたじゃダメだ。うーん考えろワシ。どうすれば首尾よくこの青年に物事を伝えられるか……、うーん」


 腕組みして考え始める教授。


 はっきり言って、『奇怪』という言葉が一番似合う。


「うん、そうだな。私の一人語りでも間に合うだろうが、私は聴衆者に質問をしてから話を始めるタイプでな、いつも講義でもそうして始めておる……。だからといってさっきのは少々飛躍しすぎた質問のようだった。よし、質問を変えよう。君にも答えやすい質問をしよう。まあ、気軽に答えてくれ。君は両親が好きかい?」


「はい。仕事が忙しくてすれ違うことが多いんですが基本好きです」


「そうか。君には兄弟はいるかい?」


「いません」


「君は学校の友人たちは好きかい?」


「はい、仲良くやっています」


「そうかい。それは良かった。では、次の質問」


「椿久美は好きかい? ああ、これは言ってなかったね。私は知ってる。君と椿久美が特別な交際関係にあることは既知の上での質問だ。君は、椿久美の事が好きかい?」


「……好きです。言われればどこにだって付いていけるくらい好きです」


「そうかそうか。それなら良かった。いや、良くなかったと思うべきところかな。まあ、そこは君が判断するところだろう。では君は……」


 教授は考えるように少しめた。


「そんな君の好きな、君の周りにいる人が全て嘘だと言われたら、信じられるかい?」


「……」


「君の周り、いや、君が見える範囲だけじゃない、この世界中のほとんど全ての人間が、人間ではなく、人間のりをした人間に限りなく近い構造を持っている『機械』、すなわちロボットだと言われたら信じられるかい?」


 矢継やつばやに、真面目そうな上目使いで次々と話を続ける教授。


 だから、そんな真剣な表情で冗談みたいなことをかれても返答に詰まった。


「それは……、つまり僕の両親や友人や学校の職員なんかがみんなロボットだって言ってるんですか?」


「そうだ」


「信じられません」


「だろうな。だが、これは真実だ。この二〇八〇年現在、公式に地球上で生存している人間は君だけだ。君以外は全員人間の振りをしているロボットだ。……もちろん私を含めてな」


「嘘です。だって現にあなたは人間じゃないですか。どう見たって人間の姿をして僕の目の前に立ってるじゃないですか。今僕は、人間としゃべっています」


「うん。うん。わかる。君の言わんとしていることは僕にも簡単に想像がつくよ。だが、これは真実。私はロボット。君は人間。そして君以外の周囲にいる人間はみんなロボット。そして私が一番辛いのは、君に私がロボットである証拠を見せることができない点だ。まあ、体を分解してみればわかることなのだがね……」


 教授は軽く笑った。僕は負けずに言い返してみる。


「僕以外の人間がロボットである、でも証拠は無い。それだったら別にあなたたちを人間と見做みなして生活していけば何の不自由もないんじゃないですか?」


「そう、それなんだよ。別に君にとっては世界の真実を聞かされようと、私生活に何の影響も及ぼさない。だが……」


 ちょっと言いにくそうに博士は目線を左下に逸らし、続けた。


「それも昨日の君と椿君のキスまでな」


 は? どういうことだ? 色々どういうことだ? 何故なぜこの博士は僕と椿久美がキスをしたことを知っているんだ?


「なんで知っているんですか?」


「ん、まあ、それは椿久美が特別な、いや、君にとっては特別なロボットだからだよ。まあ、私が知っているのは椿久美が思い入れのあるロボットだからなんだが……。まあ、その辺は追々話をするとしよう。それよりもまずは君に迫っているある危機について話さなければならん。君には時間がないんだ。端的に言おう。君の命はええと……」


 そう言うと、博士は壁にけてある時計を見やる。時刻は午前十時ちょっと前、九時五十五分辺りといったところか。


「君の命は後残り約十四時間、明日、五月二十五日午前零時に終わりを迎える」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る